2013年10月7日月曜日

歴史の重さと凄さを実感!!凱旋門賞2013年観戦記

 数分前に今年の凱旋門賞が終わった。大方の日本人は希望に胸を膨らませ、感動の瞬間を信じて応援していたことだろう。ある人は現地で、ある人はテレビの前で、、、。その願いは恐らく日本人の誰もが共有できるレベルにまで高まっていた。

 それ程、今年の凱旋門賞に挑戦した2頭の日本代表馬はファンに愛され、人気を集めた最高の代表馬だったと言える。日本馬のどちらが勝つかな?という疑問がかすめた人は多かっただろうけど、他国の馬にやられるとは夢にも思っていなかったと思う。それだけにこのブログを書いている今でも心は重く、本当に残念でたまらない。

 しかし、これが現実の実力の差。嫌でも完敗だったことを認めなければならない。勝ったのは地元フランスが誇るオークスをレースレコードで制しこれまでG1連勝中。無敗の3歳牝馬トレブ。「あの歴史的名牝ザルカヴァの再来か!!」と言われている地元フランスが誇る最強牝馬であり、けっして伏兵などではなく、堂々たる優勝候補の一頭でそれが日本馬と真っ向勝負しての結果だから仕方がない。

 トレヴが最後の直線、ゴールに向かってスパートを始め、オルフェやキズナとの差が3馬身程開いた時、私はすでに深いショックとともに「オルフェに追撃は無理だろう!」と直感した。なにせトレヴとオルフェの間には「5kgの斤量差」が存在する。すでにそれ程離された位置に居る軽量のトレヴを斤量5kg差でオフフェが追い越せるミラクルは起らない事を、絶望とともに認めざるを得なかった。トレヴの快走は鮮やかで、敵ながらあっぱれ!!まだ、もしオルフェの斤量がトレブと同じだったら、、、、などと未練が残るが、この斤量差は元々分かっていて勝負を挑んだこと。愚痴は言うまい。

 オルフェはフランスダービー馬アンテロのペリエ騎手の好騎乗にも悩まされ、結果はわずかに先行して2着を確保するがのがやっと。そして、今年の凱旋門賞は「フランス馬のフランス馬によるフランス馬の為のショー」という印象の中で終わった。事実優勝フランス、2着日本、3着フランス、4着日本という結果となり、日本馬は完敗。凱旋門賞を創設したフランスの地元としての意地、プライド、技術、相馬眼、調教馬の馬体作りなどの蓄積が日本より遥かに長く、素晴らしく、「凱旋門賞はフランスの聖地。フランスが世界に誇る大切な歴史文化のひとつだ。負けてなるものか、、」という地元フランス人の意地が強く胸に響いた。

 しかし、池江調教師も武豊騎手もそしてどちらの陣営の人々も、これで終わりなどとは思っていない。池江調教師の「勝つまで必ず又来ます!!」というレース直後のインタヴューでの宣言。これはすべての日本のホースマンとファンの宣言だろう。どうか来年、再来年、どんな事をしても日本馬を出走させると決意を新たにしてください。

 それにはその調教訓練にもっとも必要な環境とロンシャンの芝の重馬場コースをクリアーできる馬場づくりから開始すること。関東も関西も日本の全てのホースマンが話し合い、凱旋門賞仕様のレースコースを早急に日本に創る必要がある。シャンティイーの芝調教で、馬の体が徐徐に変わる事をまざまざと目にした人々なら、日本で同様の施設を創る必要性をひしひしと感じていることだろう。ロンシャンで走るまで馬場適正がわからないなんてナンセンス。至急JRAと相談して、まず欧州の芝仕様の施設で常時馬を訓練するところから計画を始め、そこで存分に体作りをしてから世界仕様の馬を育成するべきだ。日本馬もグローバル化すべき時はいつ?「今でしょ??」

 ともあれ、悔しい一夜は終わり。明日からは又、一年後を信じて厩舎の垣根をとり払いオールジャパンチームとして牝馬も牡馬も年齢も多彩な混成メンバーを引き連れて凱旋門賞へ。諦めぬ夢の実現を早めるために、、、。

 キズナは世界初デヴュー。それでいてかなり早く現地になじみ、イギリスダービー馬も他の欧州の実績馬もかなり後に置きざりにした。「よく頑張ったね。まだ幼い君が。異境フランスでの堂々たる振る舞い。お見事!!」4着とは言え、このおっとりとした大物サラブレッドの未来は明るく、大いに期待できるだろう。世界デヴューというからには、その夢の続きは必ず有る筈。楽しみに待っている。

 最後に敗れたとはいえ、日本馬は掲示板に2頭とも載る大健闘。大好物の人参を沢山食べさせ、休ませてから、人馬とも堂々と無事に日本に帰って来て下さい。我々ファンは両陣営のホースマンの皆様の努力、勇気、愛、心意気すべてに感謝感謝。「夢をありがとう!!又必ず見せて!!」とお願いするのみ。ひとまず今年はご苦労様、ありがとう!!そして又来年!!