2009年5月31日日曜日

歓喜と感動の瞬間!!

皆さん、今日の日本競馬最高峰、3歳クラシック第2冠、日本ダービーご覧になりましたか。感動しました。興奮しました。そして、心から喜びが沸いてきました。

というのも、以前ブログでご紹介したことがある、あのロジユニバースがついについに、今年の3歳馬、7768頭の頂点に立ち、日本のすべてのホースマンの夢の祭典、日本ダービー優勝馬となったからです。

「無敗の3冠馬誕生への壁」と題して、今年の牡馬クラシック3冠の1冠目、皐月賞の結果について以前お知らせしましたよね。それまで無敗の強さで、圧倒的1番人気馬になりながら原因不明の惨敗で、14着に敗退し、多くのファンを心配させたり、がっかりさせたこの馬。

皐月賞の敗因としては、マイナス10キロの馬体重だったことから、どこか体の具合がわるかったのでは、、、、と密かに心配されていたロジユニバース。従って、このダービー前には、皐月賞馬のアンライバルドの人気の陰で、あまり期待されずひっそりとしていたのに、、、。

でも今日、ふたを開けてみれば、やはり2番人気の期待馬として、多くのファンの支持を受けていた。その優雅でハンサムな品のよいルックスも大いに人気の秘密かも、、、。

今日の東京は大雨で、馬場はダービー史上40年ぶりの不良馬場。騎手も馬もゴールまで泥だらけになって死闘を繰り広げていた。しかし、ロジユニバースはそんな重馬場をものともせず、ラストスパートでは見事に2着馬、あの超良血のリーチザクラウンに4馬身差をつけて完勝。

12年ぶりに関東馬がダービー勝利馬となり、関東のすべてのホースマンも喜びに包まれていた。クラシック制覇としては、あの名マイラー、ダイワメジャー以来の関東のエース馬誕生の瞬間だった。

勿論、手綱をとった関東のベテラン、横山典弘騎手の最短コースで馬に負担をかけぬ好騎乗も光り、彼自身もダービー挑戦15回目にして初の名誉あるダービー騎手の称号を手にした。

横山騎手は皐月賞でロジユニバースが原因不明の惨敗をして以来、「もしかしたらこの馬はダービーには難しいのでは、、、、」と疑いを抱き、あまり自信を持てなかったそうだ。

勝利騎手インタビューに答えて、「馬を信じきれなかった自分が情けない。最後のゴール前ではもうヘロヘロに疲れていたのに、ロジユニバースは最後まで頑張り抜いてくれた。本当にこの馬に助けられた!!」と優しい言葉で愛馬を労っていたのが、清々しいコメントだった。

東の横山典弘、西の武豊とその名騎手ぶりを讃えられているこの関東のエース騎手が、実はこれまでダービー騎手の称号を手にしていなかったというのもちょっと信じられぬ意外な感じがしたが、それほど、ダービー騎手になるのは難しく、すべての騎手の憧れのタイトルなのだろう。

普段は勝っても負けても喜怒哀楽をほとんど顔に表さず淡々としている横山騎手が、24年の騎手生活で初めて掴んだダービー騎手の称号に、本当に嬉しそうな顔をしているのを見て、私まで幸せな気持ちになった。

今年の名誉あるダービー馬となったロジユニバースの生い立ちから、オーナーとの出会いのストーリー。2歳からの本格的な調教でみせた非凡な素質と、その素質を信じて大切に育て上げた陣営の熱意。その苦闘の歴史を少し読んで知っていた私は、なんとかこの馬に勝たせてあげたいとかねがね思っていた。

サラブレッドには致命的とも言える足まがりという体のハンデがありながら、このドロドロにぬかるんだ道悪の馬場をゴール目指して必死に走るロジユニバースの健気な姿を目の当たりにして、本当にジーンとくるものがあった。まさに歓喜と感動の瞬間だった。

この馬をじっくり眺めた事がある人なら、誰もがその上品な面立ちと馬体に魅了され、イケメン馬ぶりを口にするロジユニバース。今日はその上品な馬体一杯に泥を跳ね上げ、道悪の中、超一流馬と死闘を繰り広げ、さぞ疲れたことだろう。

ロジユニバースと陣営の皆さん!!日本競馬の祭典、牡馬クラシック第2冠、日本ダービー優勝おめでとう!!そして見事初のダービー勝利騎手の栄冠を手にした横山騎手、本当に本当におめでとう!!お疲れ様でした。

2009年5月29日金曜日

新たな楽しみ実現??

5月24日の日本オークス、皆さん観た??ブエナビスタの末脚、異次元の凄さだったね。でも、最後の直線に向かったばかりの時は、正直、間に合わないと一瞬思った。しかしゴールを抜けたときには、明らかに差しているとわかった。でもでもきわどいハナ差とは、、、、。

名手アンカツにして、4コーナーでの進路コース取りに一瞬の気の迷い。しかし、当日の天候では、その迷いは当たり前の馬場状態。雨にぬれた後の外の芝では、いかにブエナビスタが凄い末脚をもっていようと殺される可能性が高い重い馬場。内の方が伸びやすいことは名手には想定済み。そんな状態の中、内へ行こうと彼女を導いたのは当然の判断。

でも前の壁が厚く、あまりの混み具合をみて、内では他馬が邪魔になり抜け出す事が難しいと判断した、とっさのコース変更はまさにベテランならではの剛胆な決定。

しかし、その内へ外への迷いを経た移動は、時間ロスと負担を馬に与え、観戦していた誰もが一度は「間に合わないんじゃないか?!」と一着ゴールを半ばあきらめかけたことだろう。私も同じ。

なにしろゴールまで残り2ハロンの時点で、すでに先頭に立っていたレッドディザイアとはまだ4馬身半ぐらい差があったんだから、、、。並の馬なら絶望的な差。

しかし、そこからが凄かった。本格的に追い始めてから瞬時に伸びたブエナビスタのもの凄い鬼脚。あのハラハラドキドキのラストスパートは、伸びにくい外の芝状態と雨の影響を考えたら、奇跡的とも言える信じられない豪脚。まさに異次元の脚ですべての他馬が止まって見えた。

桜花賞1600から距離が一気に延びたオークス2400。しかもあの馬場状態で上がり3ハロンを33秒6という末脚が使えるなんて、やはりブエナビスタという馬は並の牝馬ではない。凄いの一言!!

一瞬の迷いで生まれたコース取りのミスを自ら認め詫びていたアンカツ騎手を救ったのはブエナビスタの「追われたら絶対に前に居る馬は抜き去る」という超一流サラブレッドのみが持ち合わせている本能的な高い高いプライドとド根性。

今回は超一流サラブレッド、ブエナビスタの卓越した能力とプライドが、この逆境を跳ね返し、自身で夢の舞台、フランスのロンシャン競馬場で開かれる、凱旋門賞行きの切符をもぎ取る原動力となった。

ディープインパクトと同じく小柄で普段は大人しく、おっとりした優しい顔の馬で、一体どこにこのもの凄い闘志とスタミナがあるんだろうと信じられない程なよなよとした印象のブエナビスタ。見るからにがっちりして大柄な馬格を誇る強そうなウオッカとはあきらかに外見の印象は違う。

今の私の興味は、ウオッカとブエナビスタの直接対決。一体どちらの方が強いんだろう。瞬発力のみくらべたら、ほぼいい勝負。ウオッカの引退前(今年の年末前)にぜひ、この夢の対決を見てみたい。実現したらいいなあ〜〜この豪華対決!!ファンにはたまらない魅力だ。

先日私が偶然アメリカで観戦したケンタッキーオークスの勝ち馬であり、85年ぶりにアメリカクラシック3冠の2冠目を牝馬として制覇したレイチェルアレクサンドラが今年の凱旋門賞に参加するかどうか、すでに注目の一頭となっている。

去年の凱旋門賞優勝馬は3歳牝馬ザルカヴァ。果たして今年の凱旋門賞の優勝馬は???世界のダービー馬が牡馬の意地をかけて、凱旋門賞牡馬優勝を目指している。

日本からも昨年のダービー優勝馬、ディープスカイ、昨年のジャパンカップ優勝馬、スクリーンヒーローが挑戦を表明し、すでに一次登録を済ませたそうだ。勿論、ブエナビスタも一次登録は済ませたと聞く。

もし、順調にブエナビスタも参加できれば、日本から3頭が凱旋門賞挑戦という壮大な夢が叶う。ブエナビスタの挑戦が実現すれば、日本調教馬として3歳牝馬の凱旋門賞挑戦は、JRA史上初。

昨年の凱旋門賞覇者、牝馬3歳(当時)ザルカヴァといい、今年のアメリカクラシック2冠目の覇者、牝馬3歳レイチェルアレクサンドラといい、世界中でまだまだウーマンパワーが炸裂中。

異次元の末脚でオークスを制覇し、日本の牝馬クラシック2冠馬となった根性娘のブエナビスタ。女ディープインパクトと言われる彼女に、今年の凱旋門賞制覇の夢を託したいなあ、、、、、、。

そして、毎年凱旋門賞が開かれ、世界一美しい景観を持つ競馬場といわれるフランスのロンシャン競馬場へもぜひ行ってみたいものだなあ〜〜!!イギリスの伝統を誇るアスコット競馬場など、まだまだ行ってみたいところが多い。

もともと故障さえしなければ、あの女傑、ダイワスカーレットで今年の凱旋門賞挑戦の夢を語っていたアンカツさん!!このやんちゃ娘ブエナビスタで夢が叶うかもよ!!

お体お大事に!!夢はまだまだ続くんだから、、、、。10月の第一日曜日、凱旋門賞のファンファーレが楽しみになってきたあ〜〜!!

2009年5月27日水曜日

映画鑑賞(2)

5月20日にカナダから日本に移動し、ちょっとがたがたしていて、ようやく又落ち着いてブログに向かう静かな時間がきました。

昨日と一昨日の二日間は例によって例のごとく、我が友人との楽しい映画鑑賞タイム。念願の映画、新たに話題となった映画を二日間に立て続けに3本観ました。

「グラントリノ」「消されたヘッドライン」「天使と悪魔」。どれも凄いです。飽きない展開です。迫力も満点で、噂に違わぬ名画です、、、、とまあ、私は思うのですが、、、、。

「グラントリノ」に関しては、前にすでにご紹介し、まさにその通りの圧巻の内容でした。「消されたヘッドライン」は新聞記者の事件に取り組む姿勢とストーリーの展開の早さに引き込まれました。

「天使と悪魔」に関しては、聖地ヴァチカンを舞台に法王なきあとのコンクラーベを巡り、有力候補4人の誘拐事件が発生。殺人予告された犯人と、ギリギリのタイムリミットの中をヴァチカンに保管されている貴重な過去の事件資料をもとに推理しながら救出を試みる大学教授と科学者のスピード感溢れ、迫力ある演技が見事。

とまあ、3本とも実に良くできた映画であることには脱帽。スケールの大きさなどでは、むしろ「消されたヘッドライン」「天使と悪魔」の方が明らかに費用も近代撮影技術にも工夫を凝らした力作だと認めざるを得ない。

しかし、しかしである。このすでに半分以上女性を卒業し、女性専用車にのらずとも、痴漢などに襲われる心配の無い老婆テツママの心を鷲掴みにしたその映画は、、、やはり、やはり「グラントリノ!!」

3本観た後、すでに二日前の最初の1本として観たこの映画が、、、というより、この映画のクリントイーストウッドの眼差し、動作、軽妙な会話、偏屈故に巻き起こす近隣の人々との笑えるトラブル。そんなそんな彼の重厚な演技と鍛えられた肉体から醸し出される80歳近い男の色気に久しぶりにテツママ、クラクラ!!ノックアウト!!

メラメラと届かぬ海の向こうの大スターに恋心勃発。ドラマの中で不器用で偏屈な生き様しかできない、妻を無くした晩年の老人を演じていたが、その一つ一つの会話に、動作に、そして時折見せる荒々しさに何とも言えぬ男の魅力をフンプンと感じるのはテツママだけだろうか。

「消されたヘッドライン」の主役はラッセルクロウ。「天使と悪魔」の主役はトムハンクス。どちらも重厚な演技を誇る個性的な名優ではあるけれど、この80歳近いクリントイーストウッドの醸し出す男臭さ、それでいて品と知性を失わぬ男の色気の前には、何かイマイチ欠けている物足りなさを感じてしまう。(勿論、テツママの評価基準に基づくものであり、大いに異論はあろう!!)。

しかし「グラントリノ」は、戦争を身近に感じ、人生経験や老いの寂しさなどを体感してきた我々の年代だからこそ、心に響く感動と共感の嵐が巻き起こり、それを演じる彼の魅力も又増幅され、心を揺さぶられるのやも知れぬ。

若い人ならきっと、映画はフィクションの世界で、サスペンスやアクションのストーリーの面白さを追い求め、ひとときの娯楽として楽しむことだろう。それなら多分この3本を比較すると「天使と悪魔」「消されたヘッドライン」そしてしんがりが「グラントリノ」の順番かな。

でもでもでも、皆さん!!クリントイーストウッドの「映画人」というより、人間として、役者として、「彼自身」のすべてを注ぎ込んだ力作、「グラントリノ」見逃す手はないと思うよ〜〜〜〜!!特に英語がかなり堪能な人。その粋な会話のやりとりがまさに圧巻!!

こんな素晴らしい映画をみて、「戦争」という人間の愚かな戦いに反対し、人種を越えた平和な世界が実現するよう、我々も老骨でも微力を尽くそうよ!!

クリントイーストウッドの主演作品最後となるかもしれないこの「グラントリノ」。戦争の深い傷跡、その苦悩から孤独に陥った人間が晩年に得た人種を超えた触れ合いの素晴らしさ。きっと見終わった皆さんの心にも暖かいものが満ち溢れてくる名画だと思うよ。

以上、鑑賞後の感想報告でした。

2009年5月19日火曜日

思いがけない訪問(続編)

先日、4月末から5月初旬にかけてのナッシュビル、メンフィス、ケンタッキーへの家族旅行について、少しご報告した。その際、息子の思いがけない一言で、毎年、伝統のあるケンタッキーダービーとオークスが開かれるケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場へ行き、第135回ケンタッキーオークスを観戦したことをお伝えした。今日はその続編をお伝えしよう。

今更ながらわかったことだが、チャーチルダウンズ競馬場で5月1日、我々は幸運にももの凄い騎手と馬にめぐり会っていたのだ。そして、知らず知らずに歴史の証人の一人となって奇跡的な出来事を観戦していた。

そう、我々の眼前で、見事、第135回ケンタッキーオークス優勝馬となったレイチェルアレクサンドラ(レイシェルアレキサンドラとも呼ばれている)と、この第135回ケンタッキーオークス、翌日の第135回ケンタッキーダービー連勝と言う離れ業をやってのけたC.ボレル騎手。

レイチェルアレクサンドラは、その後、5月16日に、2009年アメリカクラシック第2戦、プリークネスステークスにC.ボレル騎手騎乗で参戦。何と何と並みいる一流牡馬を一蹴し、牝馬として85年ぶりにこのプリークネスステークスまでも制覇してしまったのだ。

2着に入ったのは、アメリカクラシック3冠レースの中でも別格、3歳馬の最高峰レースと呼ばれるケンタッキーダービーの勝ち馬、マインザットバード。

C.ボレル騎手は自身が乗って勝った今年のダービー馬を2冠目の相棒に選ばず、85年も牝馬の勝ち馬が出なかったにもかかわらず、ケンタッキーオークス勝ち馬の牝馬レイチェルアレクサンドラを選び、見事、栄光の2冠目も制覇。

牝馬として、牡馬クラシック3冠の2冠目、プリークネスステークスに挑戦するだけでも凄いのに、85年ぶりに見事栄冠を獲得したもの凄い牝馬を、なんと我々はオークス当日、ノー天気にターキーのもも肉やビザを食べながら、ビール片手にワアワア言いながら、見ていたのだ。

我々がこの目で見ていたケンタッキーオークスのレイチェルアレクサンドラは、135回のケンタッキーオークス史上、2着馬との着差20馬身4分の1という最大着差で勝利を獲得。今後、なかなか破られることはないだろうと思われるこのもの凄い着差の記録。

そもそもケンタッキーオークス出走馬はすでにかなりの水準揃い。スピードとスタミナ自慢が出走するオークスのレースで、20馬身以上の着差は奇跡的。今後この記録を破るのは容易ではなく、レイチェルアレクサンドラは長くアメリカ競馬史上に名を刻み続けることだろう。

C.ボレル騎手はケンタッキーダービー、プリークネスステークスと今年のアメリカクラシック3冠レースの2冠を制覇したが、過去に同一騎手が違う馬に騎乗して、アメリカクラシック3冠レースの2冠を制覇した記録はなく、史上初の快挙とか。素晴らしい記録である。

アメリカのすべてのホースマンにとって、クラシック最高峰のケンタッキーダービーを勝つことが夢。この1冠だけ勝っても、種牡馬としてお墨付きをもらい、将来の栄光の種牡馬の座が約束されたようなもの。

例外の一頭としては、アメリカでは種牡馬にならず、日本に渡って大活躍し、アメリカ中のホースマンを悔しがらせた大種牡馬、サンデーサイレンス。日本のホースマンにとって幸運だったのは、サンデーサイレンスは幼少の頃大病し、遺伝子に影響を与えたかもしれないと疑われ、アメリカでは種牡馬としての価値を疑問視されたこと。

1989年に夢のケンタッキーダービーをぶっちぎりで圧勝し、有り余る能力を見せたにもかかわらず、アメリカでは種牡馬として誰も評価せず、ただ一人社台グループ(北海道のノーザンホースパークなど多くの牧場で大成功)の吉田善哉氏のみが惚れ込み、日本に連れて来たお宝馬。

レイチェルアレクサンドラは今年、その最高峰のケンタッキーダービー優勝馬のマインザットバードを破り、プリークネスステークスに牝馬として85年ぶりに勝っちゃったんだから、さあ大変!!

3冠目は2週間後にニューヨーク州、ベルモントパーク競馬場で開かれる歴史あるベルモントステークス。今から行方を大いに注目。アメリカのクラシック3冠レースは日本とは違い、レースの間隔が短く、馬の体調を管理するのが難しいので、近年3冠馬は出ていない。

今年はもう、レイチェルアレクサンドラが3冠を阻止したばかりではなく、牝馬として牡馬を蹴散らしてしまったので、勿論、アメリカクラシック3冠馬誕生の夢は消えてしまった。でも今後、名牝レイチェルアレクサンドラが牡馬達にどんな争いを挑むか、大いに夢は膨らむ。

85年ぶりに牝馬が、、、、と書くと、直ぐに思い出すのが日本の女帝ウオッカのこと。ウオッカが64年ぶりに牡馬を蹴散らし、日本ダービーを制覇したときには、日本中が大騒ぎ。今年のドバイデューティーフリーでは、いまだに陣営が敗因をつかめぬ原因不明の直線失速で7着に敗退。すでに限界説すらささやかれていたそうだ。

しかし、5月16日海の向こうのアメリカで、レイチェルアレクサンドラがクラシック3冠レースの2冠目で牡馬を蹴散らした翌日(実際には時差があるので同日)、5月17日の日曜日、日本の2008年最強馬として年度代表馬の栄誉を獲得したウオッカは久々に彼女らしい、圧倒的な強さでマイルの女王決定戦、G1ヴィクトリアマイルをレースレコードで制覇した。この走破タイムは自己のマイル記録を0秒3更新しているんだから、決してまだまだ限界などではない。

彼女はこの一戦に勝利し、牝馬賞金獲得額歴代1位となり、名牝エアグルーヴを超えた。そして、東京の府中の杜、東京競馬場でG1、4個目を獲得し、同一競馬場G1単独最多勝利記録を樹立した。

彼女はこの勝利で過去にG1を5勝して牝馬として最多勝記録保持馬だったメジロドーベルに並んだが、内容的にはあえて牡馬混合のイバラの道を選んだ上での5勝。ウオッカの方が数字的には同じ5勝でも、その重さが違うことはすべてのホースマンが認めることだろう。

騎乗した武豊騎手が最終追い切り後記者の質問に、「もし、今回ウオッカで勝てなかったら、自分自身が競馬不信に陥り、へこみます。」と答えていたほど、名手にはウオッカの体調に手応えがあったのだろう。

残念ながらすでに谷水オーナーは、7馬身差というマイル戦過去最大着差でマイルの女王に輝いたウオッカの年内引退を発表。勿論お母さんになるウオッカも大切だが、これまで武騎手が「牝馬を超えた名馬」と表現していた牡馬顔負けの豪快な走りを観られなくなるのかと思うと残念無念。

その豪快な走りを観られるのも今年一杯。ウオッカ!!貴女はどこまで名馬の記録を伸ばせるのかな??85年ぶりにアメリカで快挙を果たした海の向こうのレイチェルアレクサンドラ。64年ぶりに牝馬の枠を超えて日本人を熱狂させたウオッカ。

どちらも牡馬混合のクラシック3冠レースで歴史に残る豪快な走りをみせてくれた女傑2頭。夢をありがとう。怪我しないで最後まで頑張ってね!!そして、いいお母さんになってね!!

ところで、日本の牝馬クラシック3冠レースの第2戦、オークスの発走もいよいよ5月24日の日曜日に迫ってきた。スペイン語で「素晴らしい景色」と名づけられたブエナビスタ。

いよいよ1冠目桜花賞制覇に続いて、2冠目オークスも制覇すべく最終準備中。女ディープインパクトという名誉ある称号を贈られたお茶目なお嬢様。女帝ウオッカに続けるように、頑張れ~~~!!

今入ったニュースでは、オークスで牝馬クラシック2冠制覇できたら、ブエナビスタは世界最高峰の凱旋門賞に挑戦するプラン有りとか。女ディープインパクト、3年前のディープの無念を晴らせるか?!

2009年5月16日土曜日

花入れ完了

我が家の年間恒例行事といっても過言ではない、一年草の花入れの行事が終わった。「疲れた!!」大体4時間半、夢中でやっていた。今、ブログを書いていても、足腰が痛い。ついつい一気にやってしまった。

このごろ何でもあまり一気にやらず、少しずつやっていたのに、好きな花入れは始めたら、完成するまで、どうしても止まらない。まあ、もうすぐ又家を離れるので、一気にやらなきゃならない仕事だけど、、、。

午前中に花の買い出し。12時頃に前庭の玄関脇にあるペアの細長い花器から植え始め、次にガレージ脇の大鉢3個へ。そして、大きな樹の下にある花壇やその他5カ所を終え、裏庭へ。緑の芝と、多年草の花々の間に彩りとして入れる大鉢が、下のブリックテラスを含め4カ所に点在。そして、直に花壇に植える場所が一カ所。

ついに最終地、上のベランダのふたつの花籠に向う頃には、すでに午後4時を回っていた。色々と構図を考えながら、好きな花を植えていると、本当に時間の経つのが早い。

今年は少し例年とは花の種類を変えてみた。ちなみに今年のメインはサルビアのサルサスカーレットという色。そこに、黄色と紫のパンジーを配し、ワインレッドや薄い紫、淡い黄色のカリブラコアという垂れ下がる花をあしらってみた。色としては強烈じゃないと、大自然の中では映えないことを過去13年の経験から学んだ。

以上の場所をすべて植え終えるには、サルビアのボックス苗(大体1箱で12株位入っているもの)10箱、パンジーのボックス苗10箱。カリブラコア(長く垂れ下がるもの)10箱が必要だった。又おまけに、庭の飾り棚があるアーチに下げる大きなフラワーバスケットを購入。

これだけ買うと、後ろのトランクだけでは入りきれず、後部座席を倒してビニールを敷き、一杯に並べて運ぶ。いつも始める前には「どうなることやら??」と自分で買っておきながら、完成できるかどうか不安で、ため息が出る程の量。

従って、この花入れの行事が終わると、本当に綺麗で楽しくなるのと同時に「ああ、これで今年も11月中旬まで大丈夫だ!!」と何だかホッとする。多年草だけでは、どうしても咲く時期がまちまちで、彩りが寂しい。この辺りの緑は強烈だからだ。

もう勿論、色々な多年草が咲き始めており、シバザクラなどは今が満開で見事だが、すぐ枯れてしまう多年草は庭の構図上は、当てにならない。すずらんだけでも4種類ぐらいの高さや色が違うものがあり、牡丹、芍薬、数種類の百合とバラ、4色ぐらいのケイトウの花、その他名前も知らない花々を含めると多分100種類ぐらいあるが、いつの間にか咲き、いつの間にか消える。

ともあれ、緑の中に一夏変わらぬ彩りが加わり「さあ、これから、本格的なカナダの東部の夏の始まり!!」と私に感じさせてくれる花入れの行事。「いつまで、続けられるのかな??体力的に、、、、」「そうだ、ゆっくりやればいいんだ、、、焦らず、、、」「でも、それが難しい!!花好きの人にはわかるよね!!この気持ち、、」と独り言。

2009年5月10日日曜日

思いがけない訪問

5月1日、私は自分でも未だに信じられないところに居た。「音楽の旅」と名付けた今年のナッシュビルとメンフィスへの親子旅の始まりは、4月28日からだった。夜、ホテルに落ち着き、「さて、明日はなにを??」と親子で協議を始めた。

取りあえず、4月29日の午前中は付近のスーパーへ食料の買い出しに行くことにした。我々の旅のスタイルは、目玉となる、予約が必要なもののみ、出発前に予約し、空いた時間を現地で、体調と睨み合わせながらスケジュールを埋めていく。

この旅で出発前にすでに予約ずみだったのは、メンフィスのグレースランド(エルビスプレスリーの家)の入場券(プラチナ)、ナッシュビルの観光ツアー(約3時間)、そして、カントリーミュージック最大のショーと言われているグランドオールオプリー鑑賞(約3時間)の切符のみ。

4月29日の午後はナッシュビル観光ツアーに出かけた。そして、夜は、臨時に白血病チャリティーライブショーというのが、ネットで探せたので問い合わせ、残り座席がわずかというのですぐに出かけることにした。そこで、夕食を楽しみながら10人ほどのカントリミュージックスターの歌声を楽しんだ。

しかし、標題の「思いがけない訪問」というのは、このライブショーのことではない。このショーの情報をネットで検索しているとき、偶然息子が、「あれ!!なんだかもうすぐケンタッキーダービーがこの近くで開かれるんだってさ!!」と屈託のない声で言ったことが始まりだった。

「エッ!!なに!!」とすぐ反応した私に、あまり馬のことには興味のない息子が、のんびりと、「いやあ!!ケンタッキーダービーが5月2日に開かれるらしいよ。この近くでさ!!」と答えた。

そういえば、空港から借りたレンタカーで、高速を走っているとき、ルイビル、ルイビルという看板がやたらと目に付き、ぼんやりと「ルイビルって、なんだか超聞き慣れた名前だなあ?!」とぼんやり記憶をたどっていたところだった。

「そうだ!!ルイビルって、かの有名なケンタッキーダービー、オークスが開かれる、アメリカで最も由緒あるチャーチルダウンズ競馬場があるところだ!!」と記憶が繋がった瞬間、親子の息はぴったり。「近いよ!!多分メンフィスより。行きたい??」と訊く息子。

すでに、心ここにあらず。そわそわと、「勿論、行きたい!!でも4月30日にメンフィスのグレースランド往復8時間の運転。その翌日にケンタッキーまで往復5時間以上の運転、大丈夫??」と一応母親らしく体を気遣う私。しかし、勿論すでに、行動に向け直ちに計画開始。

4月30日、ナッシュビルからメンフィス、グレースランドへの旅は朝4時起き、5時出発で、8時(夜)帰りの強行軍。直ちに夕食にレストランへ。エルビスプレスリーの音楽と博物館を大いに楽しんだばかりの我々は、超ハイになりながら、夜9時過ぎまで、賑やかに食事。

その後、ホテルにもどり、いそいそと翌日のサンドイッチの材料や車にのせるものの準備などをし、入浴して早寝。車で長距離移動中は、いつも後ろの座席で、朝食のサンドイッチを作り食料や飲み物を提供するのが私の仕事。

翌日はどんよりした曇り空で、ナッシュビルは雨がぱらついて居たが、ケンタッキーは暑くもなく、寒くもなく、日差しもまあまあのレース観戦には最高のお天気。その日はダービー前日のオークスを開催中。

競馬場に近づくにつれ、本当に驚いた。付近の家と言う家の前に大勢の人々がうろうろと、値段が書かれたプラカードを掲げ、立っている。「何だろう??」と思ったら、自宅の前庭を臨時駐車場にして、出来る限りたくさん車を止めさせ、商売をしているのだ。

駐車料金は10ドルからはじまり、競馬場に近づくにつれ段々高くなり、最後はついに35ドルまで上った。「今日はオークスだから、この値段。明日はダービーだから、今から予約すれば、50ドルにしてあげる」と堂々と地元のポリスの前で交渉している。だから地元警察も公認の行為なんだろう。

我々は、まずその35ドルの私設駐車場に車をとめ、5分程離れたチャーチルダウンズ競馬場の正門を目指した。人が多くて、なかなか前に進めない。上空はヘリやジェットが飛び交い、宣伝のバルーンが上がり、白馬に騎乗した、格好いいお巡りさんが、巡回していて、すでにまわりは異様な雰囲気だ。

ともかく、「どこからこんなに人が集まってくるのだろう??」と不思議なほど、人、人、人。その人ごみをかき分け、サイレンの音も高らかにパトカーに先導された、とてつもなく長い、(普通のリムジンの倍ぐらいの長さ)もの凄い高級車が次々と止まる。

その中から、降りて来るVIPの人々のファッションに度肝を抜かれた。ド派手な映画の世界。ロングドレス、カクテルドレス、タキシード、粋な帽子。「そうだ!!今日はダービーじゃないけど、それに次ぐ牝馬最高の舞台、名誉あるケンタッキーオークスの日だ!!」と改めて、その伝統あるレースに敬意を払い、正装して訪れた人々のファッションに見とれる。

この日、来場者の中で最高のファッションに認定された人には、賞金が支払われるとか。なるほど、みんな、張り切ってお洒落をして来るわけだ。われわれは臨時に、「ともかくこの格式あるアメリカ最高の競馬場、チャーチルダウンズ競馬場を見学し、入れればオークスでも見てこよう!!」とつい2日前に決めたばかりなので、勿論、日本の振り袖もロングドレスもシャレた帽子も準備なし。

ごくごく普通の、但し、日本の誇る3冠馬、ディープインパクトの顔写真プリント入りTシャツを着用。これがせめてもの意地、、、。まあ、友人からの貰い物のTシャツを最高の形で着るチャンスに恵まれたってこと。さすが世界の最高峰、フランスの凱旋門賞に一番人気で出走したことがあるディープインパクト!!ここでも知っている人が居た。

勿論、当日に指定席など買えるわけがなく、幸い、インフィールドには入れる切符があるとのことで、そんな着飾った人々とはご縁のない、ごく庶民的な人々の集まる芝生に座って観戦。

40分おきぐらいに疾走してくる馬の足音が遠くから響いてくると、やおら立ち上がり、目の前を怒濤のごとく過ぎ去る馬群を目で追いながら、のんびりとターキーのもも肉やピザを食べながら、ビール片手に、観戦。まわりはキャンプのテントや椅子で一杯。みんなピクニック気分だ。親しみ溢れた女性達にホームメードのケーキまでご馳走になった。

息子曰く。「アメリカの超ハイソと超庶民の楽しみ方が見学できて、おおいに堪能!!」とのこと。このインフィールドには、レースは全く見ないで、歌い踊る場所もあり、『なんでわざわざここで??」と大いに疑問を抱いたが、ともかく、ケンタッキーオークスとケンタッキーダービーが開かれるこの二日間は、最大のお祭りのような特別の日らしい。

チャーチルダウンズ競馬場の1番ゲートの前には、2006年のケンタッキーダービーをデビュー以来無敗で制覇し、3歳クラシック一冠目を制覇。その後、二冠目のプリークネスステークス出走中に脚を骨折。無念の競走中止、引退となったバーバロの颯爽と疾走している銅像が建っていた。

競走中止後、バーバロの重度の骨折が発表されると、「安楽死にしないで、助けて!!」という多くの人々の祈りにも似た声がそこここから上がった。その願いに答えるべく、バーバロのオーナーはペンシルバニア大学の最高の医療スタッフに手術を依頼し、一時は、元気に歩く姿まで見せたバーバロも結局、翌年の1月に手の施しようがない程の重体に逆戻りし、ついに安楽死となってしまった。

その悲しい知らせに全米のファンと関係者が涙にくれたという秘話をニュースで読んでいた私は、1番ゲートの前に建てられたバーバロの大きな銅像を見て、いかにこの馬が多くのファンを魅了し、愛されていたかが、改めてわかった。

銅像はまだ真新しかったから、建立されて日も浅く、このチャーチルダウンズ競馬場の新名所になっているのだろう。多くのファンがその銅像の前で写真を撮っていた。勿論私も一枚。

今年のケンタッキーオークスの栄えある優勝馬はレイチェルアレクサンドラと言う馬だった。オークスも翌日のダービーもCボレル騎手が大差で2連勝した。残念ながらわれわれはオークスしか見られなかったが、翌日のケンタッキーダービー勝ち馬、マインザットバードと言う馬は51倍という大波乱を起こしたそうだ。

17番人気だったこの馬に乗ったボレル騎手がドンジリから追い上げ、6馬身以上離してゴールしたもの凄いレースだったらしい。そういえば、今年のケンタッキーダービー勝ち馬、マインザットバードの母はマインシャフトと言う馬の娘。つまり、マインザットバードはマインシャフトの孫だ。

先日来、ブログで取り上げていた、話題の超良血馬カジノドライヴの父は、マインシャフト。つまりカジノドライヴは今年のケンタッキーダービー馬の叔父に当たる。残念ながら、期待の大器、カジノドライヴはカネヒキリと同じ、馬の癌とも呼ばれる難病、屈腱炎を発症し、細胞移植手術を受けるため、長期療養生活に入ったそうだ。

ぜひぜひ、カネヒキリと同じように、奇跡の復活を果たし、その超良血馬の勇姿を見せてほしい。まあ、そのカネヒキリも屈腱炎は克服したが、最近骨折して、しばらくレースを離れるらしい。でも、この馬の癌とも呼ばれる屈腱炎を2度も克服した強い生命力と馬の頑張りにオーナーも陣営も再度期待して、復帰させるために頑張るとか。カジノドライヴにもカネヒキリに負けずに頑張ってほしい。

大種牡馬サンデーサイレンスは1989年にこのチャーチルダウンズ競馬場で名誉あるケンタッキーダービーを制した。そのとき観戦していた社台グループの創設者、吉田善哉氏はサンデーサイレンスの勇姿に感動し、魅せられた。どうしても日本にサンデーサイレンスを輸入したいという彼の熱意が実り、サンデーサイレンスは海を渡り、はるばる日本に来た。その後のサンデーサイレンスの活躍は日本のみならず世界のサラブレッドの血脈に大きな足跡を残した。

サンデーサイレンスは最後の年の自身の誕生日と同日に、英国王室ゆかりの牝馬、ウインドインハーヘアとの間に素晴らしい牡馬を誕生させた。その牡馬こそが、21年ぶりに無敗の三冠馬となり、日本中を熱狂させた、あの英雄ディープインパクト。私の大好きな馬だ。

ケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場は、この偉大なる英雄、ディープインパクトを生み出した、いわば原点とも言えるところ。「いつか一度は訪れてみたい!!」と思っていた私の憧れの場所のひとつだった。夢は思いがけない形で実現した。

息子のなにげない一言から突然生まれたチャーチルダウンズ競馬場訪問と伝統あるケンタッキーオークス観戦の楽しい一日旅行は、きっと一生忘れることはないだろう。

2009年5月8日金曜日

気骨の人(4)エルビスプレスリー

しばらく、ブログご無沙汰しました。実はナッシュビル、メンフィス、ケンタッキーへ旅行中でした。丁度、ゴールデンウイークで帰宅中の息子と約半年前からの予定の旅行。今回のテーマは「音楽の旅」。ところが、そこに、とんでもない「お馬の旅」まで加わり、合計1300キロぐらいをレンタカーで走破。「お馬の旅」は又別の回にご紹介することとして、今回はエルビスプレスリーに焦点をあて、ご紹介しましょう。

ナッシュビルといえば、オールドファンも多い、カントリーミュージックの生誕の地。市全体が「音楽都市へようこそ」という看板で溢れ、どこでもカントリーミュージックの生演奏が楽しめる親しみに溢れた田舎スタイルの市。エルビスとも関係深い都市だ。

そこから車で約4時間離れたところ、メンフィスに、20世紀最大のスター歌手といっても過言ではない、あの「エルビスプレスリー」が住んだ家、「グレースランド」がある。我々の今回の旅行の目玉とも言えるこのグレースランドへの訪問旅行は、ナッシュビル到着の翌々日(翌日は地元の探索、食料の仕入れと白血病チャリティーを掲げたカントリーミュージックのライブディナーショーに参加)の早朝から始まった。

朝、4時起床、5時ホテル出発。一路メンフィスへ。実は若い頃、エルビスの映画にも歌にも実によく触れていたが、何となく気障で、あまり好きではなかった。しかし、その歌唱力とカリスマ性、エンターテイナーとしての一流の資質は当時でも認めざるを得なかった。

しかし、歳を重ねるにつれ、不思議と彼の甘い、癒されるようなソフトな歌声に懐かしさを超えた暖かさを感じ始め、興味を深めるようになった。そして、彼の青春時代を過ごしたメンフィス、多くのレコーディングをした、ナッシュビルをぜひ訪問してみたいと思うようになった。

メンフィスは本当に田舎だった。もし、彼の偉業がなかったら、メンフィスはこれ程までに注目を集めることは絶対になかっただろう。それほど、今でもエルビス一色といっても過言ではない、小さな小さな町に見える。グレースランドの前の道は生前から「エルビスプレスリーロード」と名付けられ、車キチガイの彼はよくこの道で、ファンも交えレースをして遊んだそうだ。このグレースランドは今、アメリカの国定史跡に指定されている。

彼の偉大さは、ギネスブックでいったいいくつ彼が世界記録をもっているか、皆さん自身でお調べになったらお分かりになると思う。とにかく、彼の家(マンションと呼ばれている母屋)、離れの運動施設(今は彼のステージ衣装とゴールド、プラチナレコードの展示場)、愛車の博物館(高級車とハーレーなどのオートバイで一杯)、エルビス記念館、愛用の飛行機リサマリー号(彼の娘の名前)他自家用ジェットの展示場などをみれば、桁違いの大物であったことが一目瞭然。

何しろ博物館だけで4つ、お土産販売店だけで9カ所、その他、彼のヒット曲、「ハートブレークホテル」にちなんで名付けられた同名のホテル、レストラン、牧場などを含めたら広大な場所で、ツアー時間は大体4時間と聞いていたが、なんと我々は、朝8時45分から、午後3時半ごろまで、グレースランドに居た。

これ程長く居ても、まだこのホテルの中などは、見ていない。次のサンスタジオもぜひ見たかったからだ。サンスタジオはエルビスが最初に4ドル自腹を切ってレコーディングをし、後にこのスタジオのオーナーに見いだされた歴史的な場所。その最初の録音された声も聴けた。ちなみに、彼は母親にプレゼントするため、このレコーディングを思いついたのだそうだ。

彼の歌は、ロック、ブルース、ゴスペル、カントリーそれぞれのミュージックを混合したような独特のフィーリングを聴くもの全てに与えた。そして、白人文化、黒人文化とさらに異文化を取り入れたエルビスの歌声はアメリカという国そのものを象徴しているような、彼独自の世界だった。

その類い稀なる歌唱力は、紆余曲折を経て、アメリカ人の誇る、象徴的な歌手として今日まで、賞賛され続けている。ちなみに小泉前首相もブッシュ前大統領に案内され、この地を訪れたそうだ。エルビスと誕生日が偶然同じ小泉前首相もエルビスの大ファンの一人とか。アメリカの象徴的大歌手に敬意を払い、訪れたのだそうだ。

勿論、初期のエルビスのセクシーな腰を振るアクションは、当時のおかたい人々にショックと拒絶感を与え、センセーションを巻き起こし、多くの番組で批判を浴びた。しかし、当時の人気番組、エドサリバンショーのエドサリバンにその実力を賞賛された彼は、その後、押しも押されもせぬ大スターへの道を歩んでいった。

でも私が彼に、最も惹かれている点は、その飾らぬ庶民性にあった。巨万の富に恵まれ、毎日100万ドル(当時)使っても使い切れないほどの大金持ちになっても、彼は彼の独特の哲学によって行動し、大切なものを見失うことなく、両親への遺言文や娘への遺言文にその揺るがぬ独自の哲学を記し、残していた。

そんなエルビスの人間性に溢れたエピソードをご紹介すると、彼はガードマンの一人が亡くなったとき、どうしても葬儀に参加したいと希望し、混乱を避けるため、地元の警察官の中にまじり、警官の服装をして葬儀に参加したことがあったそうだ。

又、娘の4才の誕生日のプレゼントをなににするか迷いに迷ったあげく、父の永遠の愛を込めた手紙を準備して、彼の意志を伝えることとした。この手紙はリサマリー(エルビスの娘)の最高の宝物として、未だに誇らしく展示されている。

ギネスブックに載っている彼の世界記録の一つに、「死後、世界にもっとも多くファンクラブを残しているスター」というのがあるそうだ。まだ480以上もの活動を続けているエルビスのファンクラブが世界中に存続している。これらのファンクラブやその他のエルビスのファンの寄付によってのみ運営されている病院がメンフィスにはある。1977年に死没した彼。30年以上過ぎた今でもこの愛され方は、彼の素晴らしい人間性なくしてはあり得ないだろう。

彼はしばしば、バックコーラスに黒人を使った。当時のショーのプロモーターはエルビスに「バックコーラスの黒人は呼ばない」と伝えた。その度にエルビスは、「では、私もショーに出ない」とプロモーターに伝えた。驚いたプロモーターは、何度も謝り、ショーへの出演料を積み上げたそうだが、エルビスが首をたてに振ることは二度となかったそうだ。

彼は一発レコーディングを常によしとし、途中でやり直すことを好まなかったため、まだまだ、未発表の遺作がかなりあるそうだが、こんなところにも筋を通すかれの意地と努力が垣間見える。映画監督の話しでは、エルビスはとても頭の良い人で、映画の撮影でも台詞を実によく覚えており、映画ではジェームスディーンを尊敬し、こよなく愛した彼の憧れの映画人だったそうだ。

晩年彼はナッシュビルのRCAスタジオBでよくレコーディングをしており、私も訪れた。そして、彼がそこで、レコーディングをしたオリジナル版の歌声に酔いしれた。彼は、時空を超えて我々の胸の中に居た。

その見学ツアーに参加していた人々は一様に、古い昔の世界を懐かしみ、彼と共に過ぎ去った日々を思い出しているようだった。時にはうっとりと、時には激しいリズムに体を揺らし、どっぷりとエルビスの世界に浸っていた。世代を超えて、時代を超えて、さらに現代に引き継がれるエルビス独自の世界。

ちなみに、彼の記録のひとつに、「ロック、ブルース、ゴスペル、カントリーすべての音楽分野で賞をとっているのは、世界中で彼一人」というのがあるそうだ。アメリカの若者の中でもっとも活躍した10人の一人にも選ばれたことがあるエルビスプレスリー。42才で天国に召された偉大なるミュージシャンのあまりにも若すぎる死を心から残念に思う。