2009年4月27日月曜日

気骨の人(3)オードリー・ヘップバーン

男優二人の気骨の人をご紹介したので、ここでは、私の好きな女優で気骨の人を描いてみよう。彼女の映画又は舞台の作品を一本も観たことがない人というのは、多分少ないだろう。若い人でもおそらく再放送又はCMで彼女の妖精のような、愛らしい魅力に遭遇しているはずだ。

なぜなら、2007年11月3日、日本で放送された「スマステ」の特別企画、「大人が選ぶ映画のヒロインベスト30」でも、彼女が演じた「ローマの休日」のアン王女が堂々の1位に選ばれているぐらいなんだから。彼女がアメリカのパラマウント映画と契約し、初めて主演したこの「ローマの休日」、私も最低3回は観ている。

彼女は1953年以前にもアメリカ以外で色々な演劇活動をしていたが、まだあまり頭角を表していなかった。しかし、この年、彼女は初めてアメリカで「ローマの休日」に出演し大当たり。

この映画の素晴らしさと感動は本当に何度みても、薄れるどころか益々私を惹きつける。毎回、観るたびに、恋をあきらめ王女に戻り、新聞記者質問会にのぞむ王女役のオードリー・ヘップバーンがその大きな魅力的な瞳にうっすらと涙をうかべつつ、恋人に毅然とした態度で別れを告げるシーンは、涙なしには観られない。

彼女ほど、この役がぴったりする過去を背負っている女優もあるまい。まさに他の誰にも演じられない、オードリー・ヘップバーンのみが到達できる世界だったように思う。

ストーリーの中で、一人の若い女性として、ローマの数々の名所を相手役グレゴリー・ペック演じる新聞記者と活き活きと遊びまわる彼女。そして、宿命を自覚し、宮殿に戻り、王女として、気品溢れる毅然とした態度で謁見する見事な演技。まさに、貴族の血(彼女の母はオランダの貴族出身)を引く、気品溢れるオードリーならではの世界。

彼女はこの「ローマの休日」で、一躍人気映画スターの仲間入りをしたばかりでなく、その年のアカデミー賞主演女優賞他多くの映画賞を総なめにした。

しかし、その直後、数々の映画の企画を作り上げ、オファーしたパラマウント映画他映画界の強い要請に答えることなく、オードリー・ヘップバーンはブロードウェイの舞台「オンディーヌ」への出演を熱望し、映画会社の反対を押し切る形で、舞台に没頭した。

こんなところにも、自身の信じる道を行くオードリー・ヘップバーンという女優の非凡な気骨を感じる。結果的にはこの舞台「オンディーヌ」で、舞台役者最高の栄誉、トニー賞を獲得し、更に彼女の女優としての評価を高めることとなった。

その後の彼女は、映画では、サスペンスコメディー、ミュージカル、ヒューマンドラマなど、ジャンルを問わず多くの作品に登場し、その美貌と気品と素晴らしいファッションセンスで多くのファンを魅了し続けた。

相手役にはグレゴリー・ペック、ハンフリー・ボガード、ウイリアム・ホールデン、ゲーリー・クーパー、ヘンリー・フォンダ、メル・ファーラー、ケーリー・グラントなどなど、錚々たるイケメン俳優、多彩な男優を相手にし、クラシックバレーで鍛えた見事なスタイルでしゃれたファッションを着こなした。

当時、ヘップバーン刈り、サブリナパンツなどその着こなしでファッションリーダーとしても大いに当時の女性に影響を与えた彼女は、少女期に6年間オランダでクラシックバレーを習得後、イギリス、フランス、イタリアなどを公演してまわったクラシックバレーのプロでもあり、その華奢ながらバレーで鍛えた素晴らしいスタイルで、ファッションの世界でも独特の彼女の世界を作り上げた。

少女時代、アイルランド系イギリス人の父親はオランダ出身の母親と政治的意見を異にし、ファシズムに走り、家庭を捨てた。両親の離婚後、オランダに渡ったオードリー・ヘップバーンは時にはチューリップの球根を食べて飢えをしのぐほどの貧困の中、クラシックバレー公演で稼いだお金で家庭を支えたばかりではなく、ナチスドイツに反抗する同志を助け、資金を援助した。

そんな、苦しい悲しい悲惨な過去を忘れられず「アンネ・フランク」の伝記映画の主役のオファーが来たときには、「生々しい過去を思い出し、辛くなるから」という理由で、辞退している。

当時、ドイツ占領下にあったオランダでの苦しい生活の思い出は、映画人を引退した後、彼女をユニセフの活動に参加させる強い動機となった。「ソマリアやスーダンで飢えと貧困に苦しむ子供達は、まさに少女時代の私自身の姿」。

「だから、私が子供達に救いの手を差し伸べるのは当たり前」と述べて、晩年積極的にユニセフの活動を続けたオードリー・ヘップバーン。再婚後(イタリアの医者)、子育て時代には人気絶頂のスターの座を惜しげもなく捨て、家庭を大切に守った信念の人。

ファッションといえば、当時の私も彼女の素晴らしいファッションに大いに魅了された一人。ジバンシーという日本ではまだあまり知られていなかったフランスのデザイナーの手腕を高く評価し、彼女の映画の専属デザイナーとして腕をふるったジバンシーの衣装を颯爽と着こなし、スクリーンに登場。

その衣装は、一見平凡で、特に変わったところはないのに、よく見ると実に素敵なカットや切り替えで、シンプルな中に気品溢れるデザインだった。当時、ケネディ家の女性のお気に入りのデザイナーの一人で、故ケネディ大統領の葬儀の際、ケネディ家の女性がジバンシーの喪服で葬儀に参列したのは有名なエピソード。

その頃から今まで、私のお気に入りのデザイナーは衣装なら、ジバンシーとハーディエイミス(英国王室の専属デザイナーでエリザベス女王お気に入りのオートクチュール専門のデザイナー)。小物ならバーバリーかな??エルメスやプラダ、シャネルなどにはあまり興味が湧かない。但しお気に入りのみ。要するに観るだけ。先立つものがない庶民故、無駄遣いはしていない。

ともあれ、星の数ほどあまた居る世界の芸能人の中で、アカデミー賞(映画)、トニー賞(舞台)、エミー賞(テレビ)、グラミー賞(音楽)の4部門をすべて制覇した俳優は男女合わせてわずか9名。その中の一人が彼女。死を迎えるまで、自身の信念を通し、自分の生き方をしっかり守り、その姿を通して、世界の人々に素晴らしい夢を贈り続けた気骨の人。

「戦争と平和」、「麗しのサブリナ」、「シャレード」、「マイフェアレディ」などなど、彼女主演の名作をあげればきりがないオードリー。そのストーリーの素晴らしさとともに、世代を超えてこの女が、これからも世界中の人々を魅了し続けることは疑う余地がない。

貴女をイメージしてヘンリー・マンシーニが作曲した名曲「ムーンリバー」の甘いメロディーと共に、妖精のようなキュートで気品溢るる貴女を、私もいつまでも忘れない。スイス・ローザンヌに眠る妖精オードリーよ、安らかに、、、、。