2009年6月28日日曜日

巨星落つ

又ひとつ、世界の巨星が静かに落ちた。マイケルジャクソン。キングオブポップと賞賛され、全世界の人々を熱狂させた偉大なるスターのあまりにも突然の死。

世界を震撼させたそのニュースに誰もが耳を疑った。なぜなら、彼は来月中旬から最後の全英ツアー開始を予告し、連日リハーサルを繰り返している最中だったからだ。

1980年代から90年代の始めまでは、飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼。しかし、その後のスキャンダラスな出来事の数々はこの不世出のスーパースターの肉体を蝕み、最近は薬物中毒と噂され、常に健康不安説が流れていた。

その歌声のみならず、素晴らしいダンス、ムーンウオークなどのパフォーマンスは余人の到達できぬ鮮やかな輝きを放ち、観るものすべての人々の心に突き刺さるような衝撃だった。

まだわずか50歳。あまりにも若過ぎる。先日、エルヴィスプレスリーのグレースランドを訪問したときにも感じた事だが、きらびやかな衣装、数々のゴールド、プラチナレコード、広大な土地に自家用ジェット。

数えきれぬ華やかな物質に囲まれ、きらびやかであればあるほど42歳でこの世を去ったエルヴィスプレスリーの孤独と苦悩の叫びが伝わって来るような気がした。

エルヴィスの娘、リサマリーは、キングオブロックと称された偉大なる父と同じように、晩年は体がボロボロになるまで、スキャンダルにつきまとわれていた前夫マイケルの死を聞き、言葉も出ない程ショックを受けたそうだ。

もう、何も苦しむことのない世界に行けて、もしかしたらマイケルも楽になれたのかも、、、。ともあれ、白人ながら黒人の歌声さながらの魂を込めた歌声を届けたエルヴィスプレスリー。

スポーツではゴルフのタイガーウッズ、政治ではオバマ大統領が人種の壁を超えたと言われているが、それよりも遥か前に素晴らしい歌声とパフォーマンスで世界の人種の壁を乗り越えたマイケルジャクソン。やはり素晴らしい見事な巨星だった。静かにご冥福を祈りたい。

2009年6月25日木曜日

夏のたより

もう、完全に夏です。暑い日差しとけだるい芝刈りの音。綺麗な花々。深い緑。そして、行き交うゴルフカート。

我が家のベランダから見える毎年夏の風物詩。6月ももう終わりに近づき、真夏の7月を過ぎると段々秋の足音が聞こえてきて、短い夏の終わりを迎えるカナダの東部。

これからの一ヶ月ぐらいが、本当に遊びには最適な季節。ちょっと家を留守にしている間に、すっかり花々の緑がふかまり、彩りが増し、あっという間に景色を変え、一気に夏の訪れを感じさせてくれるようになった我が家の庭。

これらの草花の成長を見ると、本当にたくましいなあと羨ましくなる。どんなに雪にとざされようとも毎年きまって、大輪の花を咲かせる自然の営み。人間なんて、本当にひ弱だなあと改めてこの時期には圧倒される思いがする。

帰国してまだ日が浅い私は、まだまだ頭がボーッとして本調子ではないが、鮮やかに咲き誇る庭の牡丹や芍薬、バラに囲まれ、大いなる癒しと元気を貰っている感じ。音楽と芸術とそして、咲き乱れる花々。又、ゆったりした時間につつまれている。

2009年6月11日木曜日

息子の言いがかり

このごろ、息子に変な現象が現れている。とにかく、忘れ物が多いのだ。朝出かけてからしばらくすると、「へへへ、、、」と照れ笑いしながら戻ってくる。

さいふ、携帯電話、そして、なんとなんと仕事用のパソコン。昔の息子には考えられぬ忘れ物。比較的家族の中では慎重で、これまであまり見られなかった現象だが、遺伝子的には、絶対に起こりうる現象なので、見ているこちらも苦笑い。

とにかく、私の実母が忘れ物の名人。数え上げればきりがなく、世界中で忘れ物をし、誰かを喜ばせていた。ニュージーランドではホテルのベッドの枕の下に胴巻きを置き、中の現金他貴重品をそっくり忘れ、約出発後3時間ぐらいしてから、「あれ〜〜〜っ!!」と気付き、ホテルに電話!!

でも残念ながら、「そのようなものは御座いませんでした!!」という非情な一言でパー。シカゴで、ロスで、カナダで、忘れ物や盗難やともかく色々とやらかしてくれた。かくいう私も傘、サングラス、帽子、マフラー、スカーフ、ハンドバッグなど、ひょいひょい置き忘れ、数えられないほどの失態。

従って、息子には偉そうな事は言えないのだが、ひとつ気に入らないのは、私が日本に来て、息子のアパートに居る時に限って、なんだかボーッとして、忘れ物をすることが多いと変な言いがかりをつけている事だ。

自分は少なくともこんな危なっかしい祖母や母親の遺伝子を濃く受け継いでいることを直視し、十分自分も粗忽であることを認め、今後は注意してほしい。さもなくば、母親のように、子供をスーパーに置き忘れ、家に帰ってから、「あれ〜〜〜!!大変!!忘れちゃった!!」というトンでもないハプニングもあるよ。へへへ、、、、。

2009年6月7日日曜日

紅一点の頑張り

伝統あるG1安田記念1600メートル春のマイル王決定戦が終わった。牝馬と牡馬という組み合わせの2頭のダービー馬のマイル決戦は史上初。香港から参加した2頭も加え、アジアマイルチャレンジと銘打ち、最強マイラーが集結した豪華メンバーの紅一点、ウオッカが最後の100メートルを切ってから魅せたもの凄い瞬発力と豪脚にテツママ吃驚、そして感動!!

やはり彼女はドバイで終わってなんかいなかった。今日は先回のG1ヴィクトリアマイルで7馬身もちぎった、牝馬同士の闘いのようにはすんなりと勝たせてはもらえなかったけど、結果は皆さんもうご存知の、最後の最後の彼女のもの凄い末脚にすべての牡馬が脱帽。

勿論、牝馬の枠を大きく超えた名馬と呼ばれて久しい彼女、ウオッカ。でも、レースを終えて息を整えた後の本当に優しい、穏やかな目を見ると、やはり牝馬特有の可憐で奇麗な目。

今日は多分、昨年のダービー馬、ディープスカイは99%勝利を手にしたと思っていただろう。最後の10歩ぐらいまでは、、、、。

「満員電車内でオジさんたちに囲まれ、降りたくてもなかなか降りられない女の子のような状況で今日は虐められました」とユーモアたっぷりに最後の直線で他馬に囲まれて、スパートできなかった状況を説明していた武豊騎手。

「今日の私の騎乗は下手でした。馬に感謝です。馬を褒めて上げてください!!」と勝利騎手インタヴューで話していたが、確かに周りを取り囲まれ、出口を完全に失ったかに見えていた最後の直線。

私も「危ない!!出口がない。囲まれた、、、」とウオッカの勝利を一瞬あきらめかけた。しかし、最後の一ハロンぐらいからの武騎手の狭い狭い隙間を縫って抜け出した見事な手綱捌きを目の当たりにして、「さすが!!」と本当に超一流の素晴らしいものを見せてもらった気がした。

思惑がはずれ、馬混みに閉じ込められ、自分の描いた作戦が裏目にでたことを正直に話し、「下手な騎乗でドキドキさせてすみません。馬に助けられました!!」と話していた武豊騎手。しかし、誰もが目を疑ったあの一瞬の脱出劇と最後の最後の大逆転劇は、やはり、武豊騎手の冷静沈着かつ剛胆な超一流騎手の手綱捌きなくしては生まれてこなかったことだろう。

ピンチを見事な大逆転劇につなげ、ますます紅一点のウオッカの強烈な末脚にスポットライトをあてさせ、素晴らしいエンディングに導いてくれた武豊騎手。春の東京G1最終レースを飾るに相応しい興奮と感動をありがとう。そしてウオッカをここまで素晴らしく磨き上げてこられた陣営の皆さん、本当におめでとうございます!!

ウオッカ!!貴女は本当に円熟した素晴らしい女傑。まだまだ、引退させるには惜しいまさにまさに今が旬の堂々とした名馬。牝馬史上初の10億円馬、牝馬単独最多G1勝利記録など、数々の金字塔を打ち立てたこのヒロインのドラマはまだまだ終わらせたくない、、、。

2009年6月6日土曜日

日本の陪審員制度に一抹の不安!!

いよいよ日本でも裁判の陪審員制度が導入され、民間人が裁判に加わり始めた。「選ばれちゃったらどうしよう!!」と不安を抱えている人も多いときく。

そんな不安を解消させるべく、裁判所や法の現場では、色々な対策を練っているとも聞く。たとえば、過去の判例を教え、答えを導いたり、妥当な量刑の重さを示唆したりする工夫が施されている。テレビでも裁判員制度開始のスペシャル番組を放映し、関心を高めている。

しかし、こんな状態を見れば見る程、「大丈夫かあ〜〜!!」と不安になる。日本という土壌は昔から「男は黙って、、、、」とか、「女は嫁しては夫に従い、、、、、」などなど、自分の意見を強調したり、主張したり、うまく説明したりすることを良しとせぬ、舌足らずな文化が蔓延ってきた。

戦後急速に欧米の文化が入り、男女平等、思ったことは自由に、、、、などなどと表面はかなり変わったように思われがちだが、まだまだ、会社という組織体では、歴然たる上下意識が蔓延り、男女平等といいつつ、女性が意見を言い過ぎると「あの女は、、、、」と陰口をたたかれるのも日常茶飯事。

テレビなどをみても、子供時代から自分で自分の意見をしっかりと持ち、自己主張を思いっきりし、周りの人はその意見に耳を傾ける習慣が足らないのでは、、、、と思われるような、すぐに親の顔色や周りの反応を見ながら話す子供が多いように見える。

そもそもまだ大人自身がなるべく周りにあわせ、目立たず、平凡であること、異端児だと思われないように、できるだけ無難な答えを出そうと努力しているような社会風潮の中で、一体何人の人が、他人の過ちを的確に捉え、きちんとした意見をいい、自己の確たる信念をもとに自分の意見を他人とは違ってもアピールし続ける肝っ玉があるんだろうか??

どうも日本では、まだまだその土壌が育っていない、ちょっと、いや、かなり不安な状況であるような気がして仕方がない。

勿論、事件の資料分析、専門家の意見拝聴、周りの人々の発言内容を咀嚼して、自分の無難な意見を絞り出し経験を積み重ねていくことだろうが、さてさて本格的に自信を持って対応できるようになるまでにはどの位の月日が必要なのだろうか。

結局、今のこの陪審員制度に参加する人々は、周りの意見になんとなく影響を受け、周りの顔色を見、無難な答えを出そうとする人が多くなるような気がしてならない。

それで、いくら裁かれるような法を犯した人々に対するとは言え、一人の人間の運命を左右し、その家族をも含め、多くの人々の人生を狂わせるかもしれない責任の重い仕事に携わっていけるのだろうか。はなはだ疑問である。

国際的な舞台でも、日本人の事なかれ主義、優柔不断な言動は目立ち、アピールや演説の迫力不足、説得力の弱さなどなど、色々な分野でかなり欧米諸国のトップとは印象が違う。欧米や他国では、宗教に裏打ちされた、全く違う角度から生と死を見つめ続ける文化がある。

しかし、日本では八百万の神をあがめ、冠婚葬祭時のみにその宗教色を強め、にわかキリスト教徒や仏教徒になる人々も多く、幼少時から宗教に基づく生死の問題提起の教育をされてはいない。

従って、結婚式を神道で、葬式を仏教で、ヴァレンタインデーやクリスマスをキリスト教で祝っている何がなんだかわからない人々が多い。

そのような人々は一体どのような角度から、確たる罪と罰、生死の意見を導きだす事ができるのだろうか。人が人を裁くということを真剣に考えれば考える程、やはり、専門家の意見を尊重せざるを得ない気持ちにさせられることだろう。

又、子育てや子供の教育問題にも不透明な問題点が目立ち、学力のみならず家族とは、、、という根本的な教育問題にもメスを入れなければならないのが今の日本の現状。

教職に就いている先生方にも迷いから来る鬱病が増えているときく。教育に真剣に取り組んでいる先生方ですら、なかなか率直な意見が述べられないまだまだ閉鎖的な日本の教育界。勿論、教職者の率直な意見を阻むのは学校や父兄の態度にも問題点が多いのだろう。

そんな中、まず日本人が取り組まなければならないのは、オバマ夫人やクリントン夫人のように、堂々と男性と同じ、もしくは男性以上の存在感を醸し出せる独立心の強い女性達の育成ではないだろうか。

いずれ母となり、大切な国の宝である子供達を育て上げる母親そのものの意識改革と真の意味での独立心の育成こそ、「急がば回れ」で、政府が取り組むべき急務であろう。

日本女性が真の社会的な独立を果たせ、堂々たる意見が家庭でも社会でも言えるような状況が確立されて初めて、裁判などの公の場でも、周りを気にすることなく、一人でも堂々と異なった意見を主張できる時代が来るに違いない。

なんだか、今の日本じゃ公私ともに、まだまだ男女とも意見を堂々と言えるような次元には至っていない気がするのはテツママだけなのだろうか。

自分自身ですら見失っている人が多い日本の現状。自分自身がわからず、自分の命の重さすら見失っているような人々には他人の罪と命の重さを計り、的確な意見が言えるのかなあ??ちょっと、いや、かなり心配!!

2009年6月3日水曜日

昭和の俤

昭和を代表する音楽界の巨匠が次々と姿を消してゆく。作曲家遠藤実氏、三木たかし氏、そして作詞家石本美由起氏。演歌の巨匠が残した昭和を代表する名曲の数々を挙げればきりがない。

それらの曲や詩に励まされ、慰められ、明日への活力を貰った人々も数多いことだろう。すべてのジャンルの音楽を気分によって聴きわける私も、これらの昭和の巨匠が残した多くの日本の演歌に心を動かされ、時に涙し、時に明るく前進する活力を貰った一人だ。

特に最近亡くなった石本美由起氏と歌手美空ひばりのコンビで生み出された数々のヒット曲は、私の青春時代の懐かしい懐かしい思いでの歌の一つとなっている。

明るいマドロス調の歌「港町十三番地」、聴くたびに、思わず歌に引き込まれ涙が滲んだ「悲しい酒」など、私の心に深く残っている名曲は、これからも時代を超えて多くの人々に口ずさまれてゆくことだろう。

こうして、昭和の俤が一人一人と消えてゆく中で、最近、石原裕次郎23回忌が話題を呼んでいる。なんとなんと23回忌の記念行事を東京ドームで行うというのだ。石原プロの数々のプランが発表され、石原軍団の手により、ファンに届けられるこの記念イヴェント。

改めて、昭和を駆け抜けた石原裕次郎という一人の俳優、歌手の偉大なる足跡が偲ばれる。当時、男優といえば、水も滴る良い男、高い演技力、タニマチの有無などなど、スターダムに昇るには多くの条件を備えている必要があった。

そんな中、当時現役の慶応ボーイで、良家のお坊ちゃん。湘南の海で颯爽と遊ぶスポーツマンというまったくこれまでの俳優というイメージや殻を破った石原裕次郎という青年が、本当に新鮮で、格好よく、多くの若者の心を捉えた。

「演技力??」多分それほど無かったと思う。「タニマチ??」勿論ない。「水も滴るいい男??ウ〜〜ン、どうなんだろう??ちょっと不良っぽいあの眼差し」。

これまでの俳優というイメージから言うと、全く新しいタイプの俳優が、いきなりドラムを叩き、歌を歌い、「股下何センチ??」というのが当時の格好いい男性の規格となるほど長い脚を自慢にスクリーンに飛び出してきたのだ。

勿論、現石原慎太郎都知事は当時すでに小説家としてかなり有名で、大いに注目されており、その弟ということで、最初から恵まれたスタートを切ったことは間違いない。

しかし、後には、この弟の残した偉大なるスターとしての足跡が、兄、石原慎太郎氏の大きな政治的バックボーンとなったことは、事実であろう。

没後23年を経た今でも、東京ドームで23回忌を開ける石原裕次郎という昭和の大スター。そして、その昭和の大スターを尊敬し、男の友情で結ばれ、石原軍団を結成してきた渡哲也、館ひろし、神田正輝、三浦友和などの現役スター。男同士の深い絆を感じさせてくれるこのイヴェント。私も注目している。

礼儀正しく、面倒見がよく、男のロマンを追い求め、自由奔放に昭和を駆け抜けた魅力的なスター石原裕次郎。「やはり、昭和はまだまだ生きているんだなあ〜〜!!歌も、俤も素晴らしいものは永遠なんだ、、、、、」。