2009年3月21日土曜日

心が折れそうに、、、、

WBC、侍ジャパンが健闘している。
ついに準決勝進出にまで、漕ぎつけた。
でも、本当に、、、ようやく、、、、という感がある。

まさに、第一回のWBCの再現ともいえるような、
剣が峰で足を踏ん張り、悲壮な思いで挽回し、勝ち名乗りを受けた感がある。どうしてなのだろう。もっと楽勝できそうなメンバーなのに、、、。

勿論、WBCは世界の兵ぞろい。そう、簡単には勝たせてくれない。しかし私には、標題の「心が折れそうに、、、、」と思わず 口走った世界の天才打者イチローの言葉が、まさに、今回の侍ジャパンの真実であり、ほぼすべての侍の共通する 思いなのではないかと思っている。

正直、ここまで苦戦しなくとも、、、と思うのは私だけだろうか、、、。日本代表のピッチャーは超一流であり、打者も又、メジャーの舞台で 活躍する選手も含め、実にシャープな攻撃陣だ。そして、キューバのカストロ議長が半世紀ぶりにベスト4入りを逃した自国の選手団に「日本代表の練習態度を見習え!!」と檄をとばしたほどの練習のつみかさね。まさに、日本のお家芸とも言える、精密機械のように、作り上げられた軍団だ。

では、なぜ苦戦を、、、、。と考えると、イチロー選手のこの「心が折れそうに、、、」と思わず漏らした責任感と強烈なプライド。そして、何が何でも日本のために勝たなくちゃという思い入れの強さが逆効果となり、金縛りにあっているような気がする。

一年という長丁場で、MLBの選手として活躍している時のイチロー選手には、これほどの重圧感も強烈な責任感もおそらく湧いてはこないだろう。だからこそ平常心で、伸び伸びと技を発揮できるのだ。

こんな金縛りにあって、借りてきたねこのようになっている日本人を、私はこの野球の舞台だけでなく、多くのスポーツや、政治の駆け引き、ビジネスの舞台でも、何度か見てきたような気がする。

色々な分野での日本のこれまでの戦闘スタイルは、とにかく、熟考に熟考を重ね、練り上げ、精密機械のような精巧な計画の下に、先の先を読み、スタートを切る。

従って、順調なら非常に効率よく、チームとしての相乗効果を上げ、計画通りに物事が進む。しかし、一度、意外な出来事や想定外の出来事にかく乱され、予定が狂うと、精巧に作られているだけに、修正が遅く難しく、脆さを露呈することが多い。

イチロー選手は安打製造機と呼ばれるほど、精密機械のように、自己の打者としての能力を研鑽し、高めてきた選手だと聞く。その彼が、準決勝突入を前に、まだ、打率一割台に低迷しているのもこの予想を大きく越えた重圧が原因ではないだろうか。

一次予選が終わり、日本を去る前に彼は、このWBCが自分の野球人生で最後に祖国、日本のファンに捧げる雄姿だから、何が何でも頑張らなくちゃ、、、と述べていた。この気負いが微妙に彼のバットコントロールを狂わせ、影響しているのではないだろうかと私は心配している。

そして彼の、リーダーとしての責任感の強さ。不甲斐ない成績に自分を許すことが出来ぬ完ぺき主義。それらが逆に、悪循環を招き、さすがの天才にも「心が折れそうに、、、」という言葉を吐かせたのだと思う。

ことほど左様に、計算と実践とは違う。四季おりおりの花々を愛で、礼節を尊び、散り際にも美学を求める侍の文化。この独特の文化を私はこよなく愛しているが、その素晴らしさは時には微調整すら不可能な、完璧さを追い求める文化のように見えるときがある。

今、世界中が予測不能な未曾有の危機に直面し、変化は日常的であり、その対応の速さと腹をくくった実行力こそが、生死を分ける時代となった。今こそ日本人は、金縛りのような美学の呪縛をとき、むしろ野生的な本能を覚醒させ、心を解き放ってみてはどうだろう??

侍ジャパン、そして、日本の企業戦士に求められるものは、肩の力を抜き、臨機応変に変化に対応する柔軟性と積極的に行動する野性味ではないだろうか。

ともあれ、世界のひのき舞台で、なかなか実力を発揮できないといわれている日本の戦士。頑張れ、侍ジャパン!!企業戦士!!平常心さえ失わず、実力を発揮できさえすれば、結果は自ずとついてくるから、、、、。