2009年7月12日日曜日

暖かい配慮を!!

先月の話になるが、幻の3冠馬として、無敗で皐月賞を制覇したのち、屈腱炎を発症し、種牡馬となった、アグネスタキオンが突然死した。

その競走時代のあまりにも強い姿から、今でも「もし、ダビーに参加していたら、、、」とか「もし順調に古馬になっていたら、、、、」と多くのファンに惜しまれ続けている。

しかし、種牡馬と成ってから8年。彼の残した産駒はまことに見事で、中でもダイワスカーレット(生涯戦績12戦パーフェクト連対。史上初)、昨年のダービー馬、ディープスカイなど、超一流馬を多く排出してきた。

そのため、あのディープインパクトが種牡馬となって、最高種付け料1200万となっても、わずかクラシック一勝の戦績で種牡馬になったアグネスタキオンが、諸先輩馬を差し置いて、第二位の1000万円の種付け料でも引っ張りだこだったそうだ。

昨年度は長く続いた父、サンデーサイレンスに代わりリーディングサイヤーに輝き、産駒がこれほど見事なパフォーマンスを見せているんだから、馬産家の人たちが飛びつくのも無理はないかもしれない。

しかし、人間が、その欲望と夢と金儲けのために、もの言わぬサラブレッドを酷使していることにはならないだろうか????アグネスタキオンの死は心不全だったと聞く。

このクラスの種牡馬になると平均年間100頭への種付け数をはるかに越えた、200回前後にも達するという。平均して毎日というわけではないから、春の牝馬の発情期に集中する重労働。いくら優秀な産駒を出すからといっても、何だかアグネスタキオンは人間の欲と身勝手さに殺されてしまったような気がする。

昔昔、初の牝馬ダービー馬として、競馬史に燦然とその名を刻んだヒサトモという馬の末路を皆さんはご存知だろうか。これまで牝馬がダービーを制したのはウオッカを含めてわずか3頭。ダービー開設後第6回大会(昭和12年。つまり戦前)で初めて牝馬ヒサトモがウオッカと同じく、すべての参加牡馬を蹴散らし、颯爽とゴールをかけ抜けた。本来なら幸せそのものの未来の生活が待っているはずだった。

しかし、その後、競走時代、繁殖時代のオーナーの没落という悲劇に見舞われ、又、彼女自身も受胎が難しい牝馬で、ついに輝かしい初代ダービー牝馬でありながら、地方競馬に売り渡され、15歳(人間なら60歳ぐらいとか)で競走生活に復帰。強い調教に耐え、けなげに2戦目を走り終えた後、厩舎に戻る途中で心不全に襲われ、崩れるように倒れ、この世を去ったそうだ。勿論強すぎる調教による過労死であったことは言うまでもない。

復帰一戦目では、ゆるゆるの体で久々のレースとはいえ、そこは初代ダービー牝馬。地方のごちゃごちゃの馬を相手では役者が違い、楽勝してしまったがための悲劇だった。そのときも周りの人間の欲と面白がったばか騒ぎに哀れにも犠牲となり、遺体もその後どこに埋葬されたかすら記録がなく、不明とか。人間の欲望の犠牲になった本当に悲しい哀れな末路だ。

今、私が心から心配しているのは、ディープインパクトの健康だ。アグネスタキオンの夭逝でディープインパクトへの負担はさらに増しているのではないだろうか。

欲に目がくらんだ馬産家の「自分さえよければ、、、」という犠牲にだけはなってほしくない。彼は競馬サークルを越えて、広く国民に夢と希望を与え、不景気や不透明な世の中に一陣の爽やかな風を送り込んでくれた国民的ヒーローだ。

アグネスタキオンの突然の心不全死。ヒサトモの哀れな心不全死を思うにつけ、心から競馬サークルの人々の常識ある、暖かい対応を願う。彼、ディープインパクトは全ての日本人の宝であり、誇りだからだ。その健康管理と節度ある無理の無い交配日程に直ちに見直されることを願ってやまない。

そうでなければ、あんな愛らしい国民の英雄を4歳で引退させられ目の前から消し去られても、まだ愛らしい姿を追って牧場まで会いにいったり、その姿をDVDで偲んだりしているファンの気持ちが収まらない。

思い出してください!!2005年から2006年にかけて、もっとも国民に愛され、不透明な世の中に彗星のごとく現れ、人々を勇気づけてくれたのは、彼、ディープインパクトだったんですよ。その胸のすくような走りにどれだけの人が救われ、自分の希望を載せたことか。

子供達の澄んだ目にも、彼は英雄で将来の大いなる夢だったことを忘れずに、大人の欲に目が眩んだ犠牲にだけはしないでほしい。管理している牧場の人々も今一度よく考えてほしいと願い、あえてブログに掲載し、お願いを述べました。

長生きしてほしいです。ディープインパクトや、その他の多くの夢をくれた名馬には、、、、、。もの言えぬ身だからこそ、我々人間が労ってあげねば、、、、。今回のアグネスタキオンの若すぎる死は我々への警鐘だったとしか思えません。