2009年11月4日水曜日

近くて遠いソウル

10月31日から11月3日まで、韓国ソウルに行ってきた。かつて何度も空港で乗り継ぎをしたことはあったが、不思議とまだ本当に訪問したことはなかった。

わずか2時間弱で着いてしまうまさにお隣さんのソウル。なぜこれまでに一度も訪問しなかったんだろうか、、、、。

近い!!本当に帰りなど1時間半ぐらいで金浦から羽田に到着。しかし、この距離的には北海道ぐらい近い国が、何と何と言葉の壁では遥か遠くの国だった。

空港に到着後、レンタカーを手配するために訪れたカウンターからその波乱の幕開けは始まった。英語、日本語がまったく通じないのだ。

誰でもアメリカ有数のレンタカー会社のカウンターで英語が通じないことなど予測しない。しかし、確かにそうだった。お隣の違うレンタカー会社の社員の中になんとか英語が通じる人が一人。

かれこれ一時間費やし、漸く予約しておいた車を借りる交渉成立。さて、異国で車を運転するには欠かせぬ相棒、ナビの予約。

あった!!と喜んだのもつかの間。何と何と、すべてハングル文字の表示。目的地名もハングル文字でしか入れられない。「嘘でしょ??」と訊きたいけれど、さてその言い方は??

英語ができて、間に入ってくれたお隣のレンタカーの人も、時々意味不明の英語とハングル語のチャンポン。「さあ、困った!!」と息子が言うのだ。

言葉に関しては一番頼りになると思い続けていた我が息子に「困った!!」といわれちゃ、他に頼る当てのない哀れなテツママもお手上げ。

それでもこの無謀な親子は諦めない。とりあえず着いた日にたどる目的地をその英語、ハングル語チャンポンのお兄さんに英語とボディーラングエージでお願いし、ナビに入れてもらう。

我らがレンタカーのカウンターに着いた時間は11時頃。車を走らせ始めたのは12時半頃。第一歩を踏み出すまでに1時間半かかったのは、世界記録。(勿論我々の過去の経験の中で)

結構、色々な国でレンタカーを借り、気ままに走らせてきた我々の旅行。このソウルでのハングル語の壁は過去最高の危機感を息子に与えた。

しかし、遅れて到着する友人を迎え、この旅をまさに始めようと言うときから、めげている訳には行かない。

音声だけは英語で誘導してくれるのだが、その誘導の間に『oxoxoxox、、、」という意味不明のお姉さんやらチビガキ君の生意気なハングル語の声が入る。?????の連続。

しかし、勇敢というか無謀というか、、、、我が息子は実に我慢強く、時々雄叫びを上げながらも諦めない。

まさに、このハングル語と真っ向勝負。一日目は慣れないナビの操作ミスで目的地が消えちゃって、さあ大変!!

電話番号で再入力する方法にたどり着くまで道路脇に車を止め、ナビをいじくり回したり、アクシデントの連発で、全員へとへとになりながらも何とか無事??ホテル着。

信じられぬ程の渋滞で身動きできず、その上、「oxoxoxox、、、、」と生意気なチビ君のハングル語の声に馬鹿にされ、普通なら30分程の道のりを間違い間違い2時間かけてホテルにたどり着いた。

このときは、さすがに「前途多難!!」とちょっぴりめげたが、ホテルの部屋の交渉に入り、俄然不屈の闘志が復活!!「雄鶏ならぬオンドル」という韓国の伝統的な床暖房の部屋にめでたくチェックイン。

この日は土砂降りの雨にもたたられ、よれよれの気持ちで旅を開始したが、一晩寝れば同行の友人を含め、めげるようなヤワな一行ではない。

息子は早速ハングル語を分析。その仕組みを早くも解明し、なんと二日目からハングル語でナビに行き先を書き込むことに挑戦。お天気も回復し、道も昨日とは比べ物にならない位スムーズ。

友人と私は地図の中からハングル語の行き先名を調べ上げ、哀れなアッシー君を努めている息子を補助。まず食料を買い込み、水を確保。

車の中で、ナビから発せられる変なお姉ちゃんとチビ君の声を無視し、地図とハングル語と格闘しつつ、諦めずに目的地へ目的地へ、、、、、。どこまでも音を上げぬ無謀な一行だ。

観ました。チャングムの世界。そして、食べまくりました!!キムチ!!行きました。伝統市場へも、デパートへも、巨大モールへも、オリンピック公園へも、、、、。

オリンピック公園内の野球場で韓国のプロ野球チームの練習風景も観ました。韓国のイチローと言われる選手が在籍しているチームの練習風景を、、、、。ここは本来なら部外者は入れない球場。

しかし、確かに入って来ました。かの有名な野茂選手がかつては活躍した球場へ、、、。入り口で入場を断られている(勿論身振り手振りでNo, No, No、、、、)我々を発見した親切なチームマネージャーの特別な計らいで、、、、。

自身のチームに韓国のイチローと呼ばれる選手が在籍していることを誇らしげに話していた、本当に本当に人のよさそうなこのチームマネージャー。早速一緒に写真をパチリ。

このハングル語トラブルは、逆に我々に普通の観光旅行では決して味わえない、温かい韓国の人々の「親切と懐の深さ」を垣間みさせてくれた。

この国の食べ物は意外と薄味で、温かいまろみのある味のものが多かった。まさに、「困った時はお互い様!!」とでも言わぬばかりの人々の温かい心を代弁しているような味。本当に親切な人々に随所で触れた。

このような旅こそ、終生忘れ得ぬ深い思い出となることだろう。「又この温かさに触れに来たいなあ!!」と最後に金浦空港を離れる時に心から思った。

日本に着いた息子が真っ先にしたことは、羽田空港内のシャトルバスの中で日本語の放送と不完全な英語の放送を聞き、意味不明で困っているアメリカ人の救助。

彼をモノレールの駅へ案内する間、談笑していた息子が、「我々は今、ソウルから奇跡の生還を果たした、、、」と話していたが、ハングル語と格闘しながら見知らぬ土地で車を運転し、黙々と我々のアッシー君を努めていた彼には、まさにそんな気分の長い長い3日間だったことだろう。

余談だが、韓国の食べ物の素晴らしさは、ともかく栄養豊富。活力旺盛なやる気を与えてくれる食べ物ばかりだ。この食べ物がなければ、とっくにめげて、旅を途中で諦めていたかもしれない。

それ程、観光地以外、英語も日本語もほとんど通じず、言葉の壁が高かったソウルは、本当に近くて遠い国だった。でもでもでも、、、、、。又行くぞ!!我ら無謀な一族は、、、、。アニヨンハセヨ!!ソウル!!