2009年6月6日土曜日

日本の陪審員制度に一抹の不安!!

いよいよ日本でも裁判の陪審員制度が導入され、民間人が裁判に加わり始めた。「選ばれちゃったらどうしよう!!」と不安を抱えている人も多いときく。

そんな不安を解消させるべく、裁判所や法の現場では、色々な対策を練っているとも聞く。たとえば、過去の判例を教え、答えを導いたり、妥当な量刑の重さを示唆したりする工夫が施されている。テレビでも裁判員制度開始のスペシャル番組を放映し、関心を高めている。

しかし、こんな状態を見れば見る程、「大丈夫かあ〜〜!!」と不安になる。日本という土壌は昔から「男は黙って、、、、」とか、「女は嫁しては夫に従い、、、、、」などなど、自分の意見を強調したり、主張したり、うまく説明したりすることを良しとせぬ、舌足らずな文化が蔓延ってきた。

戦後急速に欧米の文化が入り、男女平等、思ったことは自由に、、、、などなどと表面はかなり変わったように思われがちだが、まだまだ、会社という組織体では、歴然たる上下意識が蔓延り、男女平等といいつつ、女性が意見を言い過ぎると「あの女は、、、、」と陰口をたたかれるのも日常茶飯事。

テレビなどをみても、子供時代から自分で自分の意見をしっかりと持ち、自己主張を思いっきりし、周りの人はその意見に耳を傾ける習慣が足らないのでは、、、、と思われるような、すぐに親の顔色や周りの反応を見ながら話す子供が多いように見える。

そもそもまだ大人自身がなるべく周りにあわせ、目立たず、平凡であること、異端児だと思われないように、できるだけ無難な答えを出そうと努力しているような社会風潮の中で、一体何人の人が、他人の過ちを的確に捉え、きちんとした意見をいい、自己の確たる信念をもとに自分の意見を他人とは違ってもアピールし続ける肝っ玉があるんだろうか??

どうも日本では、まだまだその土壌が育っていない、ちょっと、いや、かなり不安な状況であるような気がして仕方がない。

勿論、事件の資料分析、専門家の意見拝聴、周りの人々の発言内容を咀嚼して、自分の無難な意見を絞り出し経験を積み重ねていくことだろうが、さてさて本格的に自信を持って対応できるようになるまでにはどの位の月日が必要なのだろうか。

結局、今のこの陪審員制度に参加する人々は、周りの意見になんとなく影響を受け、周りの顔色を見、無難な答えを出そうとする人が多くなるような気がしてならない。

それで、いくら裁かれるような法を犯した人々に対するとは言え、一人の人間の運命を左右し、その家族をも含め、多くの人々の人生を狂わせるかもしれない責任の重い仕事に携わっていけるのだろうか。はなはだ疑問である。

国際的な舞台でも、日本人の事なかれ主義、優柔不断な言動は目立ち、アピールや演説の迫力不足、説得力の弱さなどなど、色々な分野でかなり欧米諸国のトップとは印象が違う。欧米や他国では、宗教に裏打ちされた、全く違う角度から生と死を見つめ続ける文化がある。

しかし、日本では八百万の神をあがめ、冠婚葬祭時のみにその宗教色を強め、にわかキリスト教徒や仏教徒になる人々も多く、幼少時から宗教に基づく生死の問題提起の教育をされてはいない。

従って、結婚式を神道で、葬式を仏教で、ヴァレンタインデーやクリスマスをキリスト教で祝っている何がなんだかわからない人々が多い。

そのような人々は一体どのような角度から、確たる罪と罰、生死の意見を導きだす事ができるのだろうか。人が人を裁くということを真剣に考えれば考える程、やはり、専門家の意見を尊重せざるを得ない気持ちにさせられることだろう。

又、子育てや子供の教育問題にも不透明な問題点が目立ち、学力のみならず家族とは、、、という根本的な教育問題にもメスを入れなければならないのが今の日本の現状。

教職に就いている先生方にも迷いから来る鬱病が増えているときく。教育に真剣に取り組んでいる先生方ですら、なかなか率直な意見が述べられないまだまだ閉鎖的な日本の教育界。勿論、教職者の率直な意見を阻むのは学校や父兄の態度にも問題点が多いのだろう。

そんな中、まず日本人が取り組まなければならないのは、オバマ夫人やクリントン夫人のように、堂々と男性と同じ、もしくは男性以上の存在感を醸し出せる独立心の強い女性達の育成ではないだろうか。

いずれ母となり、大切な国の宝である子供達を育て上げる母親そのものの意識改革と真の意味での独立心の育成こそ、「急がば回れ」で、政府が取り組むべき急務であろう。

日本女性が真の社会的な独立を果たせ、堂々たる意見が家庭でも社会でも言えるような状況が確立されて初めて、裁判などの公の場でも、周りを気にすることなく、一人でも堂々と異なった意見を主張できる時代が来るに違いない。

なんだか、今の日本じゃ公私ともに、まだまだ男女とも意見を堂々と言えるような次元には至っていない気がするのはテツママだけなのだろうか。

自分自身ですら見失っている人が多い日本の現状。自分自身がわからず、自分の命の重さすら見失っているような人々には他人の罪と命の重さを計り、的確な意見が言えるのかなあ??ちょっと、いや、かなり心配!!