2009年12月14日月曜日

冬の便り

昨日から向かいのスキー場に恒例のライト点灯準備が始まりました。漸くまとまった雪に恵まれたからです。あと数日の内に本格的なナイトスキーも始まるでしょう。

昼間のスキーゲレンデは早めに開きますが、例年、視界の悪いナイトスキーは雪が多くならないと始めません。事故などに繋がり、危ないからです。

そして、昨夜、ついに一部のコース脇のライトが点灯され、雪を抱いた綺麗な冬山の景色を暗い空に浮かび上がらせました。

毎年、このライトを観ると、「ああ、冬が来たなあ〜〜!!」としみじみ感じます。今年は例年より約一ヶ月も遅い点灯でしたが、スキーファンが楽しみにしているクリスマスのオールナイトスキーには漸く間に合いそう。

これからは、スキーを車の上に積んだ車が町中に多く観られるようになります。ここは一年中何らかのスポーツイヴェントが行われる町ですが、これからは、屋外のウインタースポーツもその盛りを迎えるでしょう。

アルペンスキー、スノーボード、カントリースキー、スノーモービル、タイヤスライディング,湖面でのスケートや人工リンクのアイススケート、ホッケー、湖面でのワカサギ釣りなどなど。

地元の乗馬クラブの制服着た会員達がゴルフ場の雪の小道を駆け抜ける姿ももうすぐ観られるかなあ〜〜!!楽しみ。

大きな息を真っ白に吐き出しながら四肢を伸ばして疾走する綺麗に手入れされた馬。雪の白さにキラキラ光る馬具。

真っ白な雪の上を真っ赤なジャケット姿で駆け抜ける人々。「本当に綺麗だなあ!!」と我が家の前のゴルフ場で展開される光景に見とれるのもこの季節。私の中で、時折観られるこの町の冬景色ベスト1。

この時期の別の楽しみは、食べ物を捜してたまに現れる野生の鹿の親子の来訪。子鹿をつれてのんびりと我が家の庭にまで入り込み、樹のメなどを捜して食べます。

そんなときは刺激しないよう、庭に面した家の電気をすべて消し、真っ暗な中で息を潜め、愛犬が吠えないように口を押さえながら愛らしい子鹿の姿を楽しんでいる平和なひと時。

シンプルライフで若者には退屈かもしれないけど、「こんな大自然の洗礼の中、四季を感じつつ暮らす日々も悪くないなあ〜〜!!」と感じる日々。

パソコン、テレビなどのメディアを通じ、情報は瞬時に世界を駆け巡る時代。何処にいても、物理的、経済的に少し距離があるだけで、不便さは全然感じないし、我が家は親族もお隣や周りに住んでいるので、適当に賑やか。

近所のスーパーには、寿司コーナーもあり、トーフも手に入ります。電話一本で日本食品のほとんどは宅配もしてくれるし(但し二週間に一度のまとめ買いのみ)、我が家は基本的に食で寂しい思いをすることはほとんどありません。

今年の暮れの楽しみは、今まではわずかにNHKの電波のみがニューヨークを経由して届けられていたのですが、息子がすでに日本の番組すべてがオンタイムで観られるソフトと機材を購入してくれたとのニュース。

あと4〜5日でカナダに帰省して、その機材を取り付けてくれたら、カナダに居ながらにしてすべての日本のチャンネルがオンタイムで観られるようになること。

これまでは息子が忙しい中、DVDに録画していてくれたものを、時々楽しんでいました。でもまだ、今年の一月頃に収録してくれたものを観ています。

ただオンタイムのテレビでの難点は、日本時間はこちらとほぼ朝と夜がひっくり返っているので、その時差をどう克服して楽しむかという問題。

まあ、やってみなきゃわからないけど、今年の冬のささやかで平和な楽しみ。さあ!!そろそろ年末年始の料理の準備を始めようかなあ!!その前に苦手な大掃除、大掃除!!

2009年12月13日日曜日

ニュースとは、、、。

今日は素晴らしいニュースととても残念なニュースの二つが目に飛び込んで来た。頭の痛い政治のお話ではなく、気楽(?)なお話。

素晴らしいお話はあのウオッカとブエナビスタが遥かドバイの地で最初にして最後の最高牝馬対決が実現しそう、、、、というお話。

すでにウオッカが来年のドバイワールドカップを引退レースに選び、ファンに別れを告げることが角居調教師から数日前発表され、少なくとも順調なら、あと一戦観られる事にホッとしたばかり。世界最高賞金レースを引退レースに選ぶとは、陣営の並々ならぬ配慮が感じられる。

その上、なんとブエナビスタ陣営からも、ドバイワールドカップを目指す意向があることが表明された。勿論まだ予定の段階だそうだが、、、、。ファンとしてはぜひ実現させてほしい。

この気持ちは皆な同じだろう。なにしろ有馬記念の最終ファン投票でも、鼻出血発症で出場不可能なウオッカが史上初の3年連続ファン投票一位で選出され、僅か500票差余りで、ブエナビスタが並みいる牡馬や古馬の一線級を差し置き、二位で選出されたのだから、、、、。

どちらもファンの多い馬。そしてバリバリの牝馬。来年の3月27日まで、どちらも故障なく順調にいけばいいな!!今からドバイの熱戦が楽しみ。

今年ダイワスカーレットが行く予定だった、ドバイワールドカップ。ブエナビスタが彼女の夢も載せて頑張ってほしい。

その上、又又嬉しいニュースとなりそうなのは、ウオッカの最初の婿殿候補に最近何度もブログでご紹介していた、あの世界最強牡馬と噂の高いシーザスターズの名が上がっているそうな、、、、。

今年の欧州年度代表馬の称号を花道に引退し、種牡馬となる彼に、晴れてウオッカが花嫁の一頭となれるのかどうかはまだ確定ではないそうだが、はるばるドバイからアイルランドまで嫁入りする気満々の陣営の意気込み。

谷水オーナーのウオッカへの深い愛と思い入れが伝わってくるニュース。「そうよ!!ウオッカならその位の相手じゃなきゃ!!」

ダイワスカーレットの最初の婿殿チチカステナンゴは11歳だったけど、何しろシーザスターズはまだ3歳。G16連勝、世界最強の噂すらあるバリバリのエリートだし、半兄にあの名馬ガリレオ。凄い血統だもの、、、、。

実現したらどんな子馬が産まれるのか今から皆ワクワクするでしょ??まあ、名馬、名牝馬必ずしも名繁殖馬ではないことは、十分理解しているけど、夢は夢。

ところで、もうひとつのニュースは残念なニュース。あのタイガーウッズ選手が無期限でツアー不参加の表明。

「あ〜〜あ!!どうしてそこまで追い詰めるのかなあ〜〜!! 有名税??日本のゴルフ選手やファンにも大きなショックでしょ??」

石川選手が、「ウッズ選手はとてもストイックなイメージがあり、ショック!!」とインタビューに答えていたが、わずか33歳のウッズ選手。もう少し寛容な扱いは出来ないのかなあ、マスコミも、、、、。

それにしても早々と弁護士を雇い、この時とばかりに名乗りを上げる愛人群。人間とは、、、、、女とは、、、とチョッピリ悲しくなる残念なニュース。

ともあれ、これまで、数々の名シーンを残し、すでにゴルフで大成功。大富豪になったウッズ選手も、「ああ、幸せとは何ぞや???」と天国から地獄への一瞬の変化に愕然としていることだろう。

しかし、世界一のゴルファーであり、素晴らしいアスリートでもある彼。このまま終わってしまう程のやわではない事を信じよう。きっと人生の舵取りを修正し、ひとまわりもふたまわりも大きくなって、グリーンに戻ってきてくれるだろう。

このブログで、「WELCOME BACK ウッズ選手!!」という見出しが一日も早く書けることをファンと一緒に祈っている。それまで、マスコミの皆さん!!スローダウン、スローダウン。

2009年12月9日水曜日

さようならキネーン騎手

今年のWSJSも激戦のうちに終わり、スーパージョッキーの世界の祭典も幕をおろした。

今年は最後まで、ヨコテンこと横山典弘騎手のラッキーイヤーとなり、世界のトップジョッキーを制して、日本代表が見事優勝を飾った。勿論、高い技を誇る横山騎手の実力開花。まさに彼の今年の集大成となった感がある。

さすがにレベルの高い世界戦。二位は香港のホワイト騎手、三位はイギリスのムーア騎手が入り、日本のベテラン、名手武豊騎手が4位。そして、今年限りで引退すると発表した、M. キネーン騎手が5位に入った。

キネーン騎手は競馬の主要国アイルランドを代表する名騎手であり、欧州各国は勿論のこと、日本でも古くからお馴染みの騎手。今年もシーザスターズで英ダービーや凱旋門賞などのG1を勝ち、その名声を轟かせていた。

シーザスターズはご承知のとおり、凱旋門賞ではジャパンカップ参戦の古馬、コンデュイット等を退け、強い強いレースを見せて欧州年度代表馬の座を獲得、わずか3歳で引退を発表した馬だ。

今年の欧州最強馬というより世界最強馬との評判が高かった彼だが、キネーン騎手の名エスコートなしには、語れないだろう。

今年、名馬コンデュイットを送り込み話題となったイギリスのスタウト調教師は、その昔、ジャパンカップを初制覇したとき、名馬ピルサドスキーの鞍上にキネーン騎手を指名。

キネーン騎手はピルサドスキーで見事にスタウト調教師の期待に応え優勝し、日本の人々にその名手の技を披露してくれた。

スタウト調教師はジャパンカップで唯一の2勝を誇る名調教師として、その名伯楽ぶりはホースマンの憧れの人。

数々の名シーンを残したキネーン騎手もすでに50歳。英ダービー、凱旋門賞を制覇して名馬シーザスターズを欧州年度代表馬に導き、その引退の花道を飾った今年、自身も潔く引退を発表してしまった。

でもやはり、何だか寂しい気がする。まだまだ、今年もWSJSで5位。英ダービーと凱旋門賞を制覇できる体力も気力も技も持っている彼。もう少し頑張ってほしいと願うのは、贅沢なのだろうか、、、、。

話はとぶが、私の住んでいる町はまさに馬と共生する町。クリスマスの寄付を募るのにも、赤い荷馬車を引いて2頭の馬に鈴をつけ、リンリンと鳴らしながら家々を訪れる。

オリンピック仕様の馬の競技場もあり、そこここで馬がのんびりと草を食む姿が見られる馬の町だ。だから厩舎も多く、馬に携わる人々の苦労も垣間みることがある。

初めは何にも知らない幼い子馬達。そんな子馬達と日々対話しながら育て上げる多くの人々の苦労。

ジョッキーはそんな人々の苦労と期待も背負い、卓越した技術で折り合いをつけ、レースを勝利に導く仕事。

一見華やかに見えるが、勝利を手にするまでの調教やレース研究などの仕事は朝も早く激務だ。そして、落馬したら生命の危機や生涯癒えぬ傷を負うかもしれない危険きわまりない仕事でもある。

特に速く走る馬程、気性が荒い馬が多く、その素質と危険性は正比例するといっても過言ではないだろう。

我々が見ているといとも簡単に乗りこなしているように見えるが、それは卓越した技術と人間性に裏打ちされた熟練の匠の技があるからだ。

集中力と日頃の弛まぬ精神や肉体の鍛錬なくして勝利の女神は微笑まない。だから、ジョッキーの人々は比較的小柄ながら、その身体能力の高さは驚くばかりだ。

世界の頂点とも言える欧州最高峰、フランスの凱旋門賞や英国のキングジョージを何度も制覇し、世界各国でその名人芸を見せ続けて来たキネーン騎手。

彼もきっと見えないところで、自己と向かい合い、大変な苦労をされてきたのかもしれない。

今は、引退し新たな出発をされるキネーン騎手。どうぞお体をお大事に!!日本で騎乗してくれたヤマカツスズラン、エアグルーブやロックドウカンプの心も込めて、「ありがとう。そしてさようなら、キネーン騎手!!」

2009年12月5日土曜日

収穫あり

何のことかと思うでしょ??実は今日、年末恒例の整理を行った。何故なら、明日、この小さな町では毎年この頃やってくる馬車を待つためだ。

クリスマスが近づくと、馬に鈴をつけ、荷馬車を引いた大人と子供達が各家を訪問し、寄付を募る。現金でも良いし、衣類などの寄付でもよい。

そこで、何か寄付できる衣類は、、、、と整理し始めたら、出るわ出るわ、、、、。超大きな段ボール(かなり深いもの)に一個半。とても重くて一人では持てない。

この整理中、勿論、古過ぎるものや、汚いものは、ドンドン捨てて行った上で、この量が出た。勿論これは、我が家で整理すべき衣類の一部にしか過ぎない。ほぼ毎年整理しているのに、、、、。

正直、まだ見なければならない物入れや押し入れは、今日の倍以上残っている。でも疲れたあ〜〜!!だから、来年にしよう。

出した衣類を綺麗に畳んで、段ボールに詰めてゆく作業で、午前中すべてを費やした。「エッ!!」と思う程、真新しい衣類の数々。勿体ない、、、、。

私のものも一杯。ブラウスやジャケット、ジャンバー、オーバーなどなど。ショートパンツだけで10枚ぐらいも整理した。みんな綺麗なまま。でも多すぎる。どうして??誰が買ったの??

息子のものは、ほとんどすべてクリーニング屋さんのタグとカバーがついている新品同様のもの。でも昔のサイズで細すぎ、今の息子には着られない。誰かに役立てて貰えれば嬉しいなあ〜〜!!

さて、この作業が長引いた訳は他にもある。自分でもどうしてこんな物があるのか、買ったことすら忘れていた新品のズボンやカーディガン、ブラウスなどを発見。その度に喜んで着てみたりしていたからだ。

収穫一杯。それらを改めて今使っているタンスに移動したり、余計な作業が入ったからだ。それに、クリスマス用の飾り物もウオーキングクローゼットから発見。

ついでに年末仕様の飾り付けもしながら、寄付の衣類を整理したから、余計時間がかかった。でも、自分でいつかどこかで買ったに違いないものでも、突然意外なところから発見すると、何だか得した感じ。嬉しい〜〜〜!!

我が家の長所であり欠点でもあるのは、本当に物入れやタンスや押し入れが多すぎること。だから、たまにこんな寄付活動を計画し、回収に来てくれる粋な馬車の来訪は大歓迎。整理するきっかけとなるからだ。

今朝はちょっと良い事をしたような、さっぱりした、心豊な時間だった。

2009年11月29日日曜日

今年のジャパンカップに思う事

強いウオッカが復活した。さすが世界のセレブ、アガカーン4世がC.ルメール騎手を自身の持ち馬の主戦騎手に指名するだけのことはある。欧州競馬で脚をため、折り合いをつける名人の技。

ルメール騎手はテン乗りのウオッカの気性も距離不安も克服し、見事シンボリルドルフ、ティエムオペラオー、ディープインパクトの最多G1記録、7勝に導く素晴らしいエスコート。文句なしの好騎乗だった。

この勝利で牝馬としては日本のG1史上初の7勝馬となったウオッカ。64年ぶりの牝馬ダービー馬ウオッカの名はこのジャパンカップ国際G1馬のタイトルを加え、更に輝きを増し、永遠にJRAの歴史に刻まれる。そして鞍上を努めたフランスの名手、C.ルメール騎手の名も記録達成者として燦然と輝き続けることだろう。

ルメール騎手にとっても念願の初のジャパンカップ制覇。大任を果たし、ほっとしているのではないだろうか。本当におめでとう!!そして素晴らしい騎乗をありがとう!!

ウオッカの今回のメンバーでのG1勝利は限りなく貴重で大きい1勝だった。近年稀にみる強豪を相手にしての勝利だからだ。並のG1、1勝ではない。

目下、古馬として世界最高のレーティング125を獲得している英国の名馬、コンデュイットを撃破し、並みいるG1牡馬、牝馬を従えての勝利。お見事としか言いようがない。

やはりウオッカは凄い牝馬であることを再確認したこの一戦。C.ルメール騎手のウオッカ評は、「ウオッカは牝馬ではない。牡馬だ。これまでに経験したことがない乗り味だ、、、」とのこと。さもありなん。その牡馬顔負けの雄大なる馬格と悠然たる落ち着き。

世界中が注目していたこのレース。なぜなら今年、凱旋門賞と並び称される英国の最高峰、キングジョージを制し、アメリカの最高峰BCターフを連覇したコンデュイットが参戦していたからだ。

ジャパンカップを知り尽くしている、サーの称号を持つ英国の名伯楽、スタウト調教師が自信を持って送りこんできた名馬コンデュイット。

牡馬としては小振りで、馬格はあまりないが、調教では見事な筋肉と独特の上品な風格を見せつつ素晴らしい走りを披露していた。

重厚な気品と落ち着いた風格のある動きに魅了されたファンも多かったことだろう。確かにコンデュイットはモンジューに匹敵するジャパンカップ史上最大の強敵だったことは疑う余地がない。

さすがに英国からアメリカ、英国、日本と短期間に3度の長距離輸送を経て、アウエーで闘う厳しさに、惜しくも4着止まりだったが、十分にその強さと威厳は伝わって来た。このまま日本に残り種牡馬になる彼。日本の馬産界に素晴らしい血を沢山残してほしい。

その強豪を含め5頭の外国からの刺客を寄せ付けず、日本馬が1位から3位まで独占したのは、特筆すべき快挙だ。

特に、牝馬の圧倒的な存在感。3着のレッドデザイアも3歳牝馬でコンデュイットに先着したのだから、十分ウオッカの跡継ぎになれる逸材だ。

そのレッドデザイアと常に勝ち負けを競うブエナビスタも今回は参戦しなかったが、実力が世界に証明されたようなもの。本当に強い今年の3歳牝馬世代。又これからの楽しみが増す。

それにしても、わずか鼻差で破れたオーケンブルースリもやはり前評判に違わぬ豪脚を見せてくれた。ゴールまでの凄い叩き合いでウオッカを追い詰めたあの素晴らしい末脚。

かつて最強世代を勝ち抜き、ダービー、ジャパンカップ勝利の栄誉を讃えられ、その年の年度代表馬に輝いた父ジャングルポケットの血は見事に息子、オーケンブルースリにも受け継がれていた。

ジャパンカップを勝利した父ジャングルポケット産駒の意地を最後まで見せ、父が走った同じ舞台で激走し、ウオッカと写真判定の鼻差まで追い込んだ彼の意地も今年のジャパンカップを語るたびに話題にのぼることだろう。

ジャパンカップ父子制覇こそ鼻差で叶わなかったが、目下日本のリーディングジョッキー、内田博幸騎手の面目躍如。去年の菊花賞、菊の大輪はフロックではなかった。

それにしても気になるのは、ウオッカの今後。まだまだ進化している彼女の走りは是非みたいもの。それに、3歳牝馬代表格のブエナビスタとの牝馬対決もまだ終わっていない。

勿論今の実力なら、ウオッカに軍配があがるのだろうが、スペシャルウイーク産駒のブエナビスタ、母はあのビワハイジ。実力的にはディープインパクト級の父の自慢の娘として、母ビワハイジの夢も載せ、ぜひウオッカに挑戦させてやりたいと思うのは私だけだろうか、、、、。

ともあれ、期待通りウオッカ始め日本産馬の素晴らしい進歩が見えた今年のジャパンカップ。世界の壁はもうあとわずか。いや、もう超えつつあるのかも、、、。

今年の3歳最強牡馬で怪物と言われ、すでに引退を発表している欧州年度代表馬シーザスターズやアメリカの最強牝馬ゼニヤッタ、レイチェルアレクサンドラなどに挑戦させてあげたいなあ、、、。もう、夢物語ではなく、そんなレベルに限りなく近づいている日本のサラブレッド達。

ともあれ、おめでとう谷水オーナー!!角居厩舎の皆さん。皆さんの愛と努力の結晶がウオッカ。きっとこの愛娘が愛しくてならないでしょう。

必ず将来は素晴らしい子供達を出して賢母になってくれると信じています。だって父系の名血はいうまでもなく、ウオッカの牝系にはその昔、Blooming steam engineと呼ばれ、走り出したら誰にも止められぬ高速馬サンシモン、名馬シカンブル、シーバードなどの名血が脈々と流れているんですから、、、、。

写真判定が終わり、「5」の数字が掲示板にあがったとたん、陣営の皆さんは万歳をされ、号泣されたそうですね。谷水オーナーの目にもこらえきれぬ感動の涙が、、、、。

そんな感動を呼びおこさせてくれるウオッカという馬はなんて素晴らしい馬なんでしょう!!陣営の皆さん本当にお疲れさま。念願が叶ってよかったですね。ウオッカでしばし酔いしれてください。

そして出来れば、引退前の近い将来、ウオッカVSブエナビスタという最高牝馬対決の夢を見させてほしいんですけど、、、。期待しています。きっとすべてのファンの夢でしょうから、、、、。(すでに鼻出血を発症し、有馬記念は出走不可能との残念なニュースを前に儚い希望かな、、、、)

2009年11月24日火曜日

健気な花

カナダの東部にも温暖化の波は確実に押し寄せている。移民以来15年。年々冬の厳しさが和らぎ、今日もぽかぽか陽気。

日本の方がなんだか寒そうなニュース。湿気が強い分、しみ込むような寒さに震える。11月12日にカナダの家に帰宅したとき、まだ、玄関脇の大鉢の花が一部、綺麗に咲いているのをみて、驚いた。

いつもなら、この頃には、すでに初雪が降り、朝晩の寒さで花は全滅している頃だ。近所にも花の色は全くない。大切な花は室内に入れてしまうからだ。寒々とした枯れ葉のみが風に舞う季節。

なのに、我が家の玄関脇には、まだ青青とした緑にすみれの花が満開。時差ぼけと疲れもあり、どうせもう、朝晩の冷え込みと霜で長くはないだろうと昨日まで放っておいた。

しかし、昨日落ち葉を掃いていたら、この朝晩の冷え込みや霜にも耐えて、まだ健気に咲いている可愛い花が目に飛び込んできて、なんだか愛おしくなってしまった。

そこで、家の中に移動できる手頃な鉢を2個準備し、玄関脇の大きな鉢から、移し替えて家の中に運びこんであげた。

これで、確実に霜枯れせず、冬をこせるかな?! かなり立派な鉢植えが2個できて、窓際に彩りが加わり、部屋がにぎやかになった。

10月中旬には例年、冬を越させる花はすでに庭からサンルームに移動する。この頃には、急に温度が下がり、初雪や霜がおり、大抵の花はやられてしまうからだ。

残されていた花は、綺麗に垂れ下がるすみれの花。しかし、あまり高価な花ではないので、外の鉢に残され、そのままにされていた。

でも、寒さにも水不足にも耐え、健気に花を咲かせたまま、まだ一生懸命生きようとしているいじらしい花。部屋に移した可愛い花の鉢植えを眺めるたびに、なんだか元気を貰っている。

今朝の冷え込みは半端ではなく、窓ガラスも芝の上も真っ白な霜で覆われていた。間違いなく、零下の気温。間一髪。間に合ってよかったね。すみれさん!!

2009年11月23日月曜日

お見事!!そしてさようならカンパニー!!

昨日のG1マイルカップSで現役引退の花道を飾ったカンパニーのニュースを嬉しく読んだ。「人間の想像を超えた馬」と名手横山典弘騎手を唸らせた8歳馬の実力は本物だった。

毎日王冠G2、天皇賞秋G1と昨年の年度代表馬として、現役最強馬と認定されたウオッカを完膚なきまでに撃破しての、G1マイルカップS参戦。

天皇賞秋でウオッカの背から下馬した武豊騎手が、「完敗でした。」という短い一言で脱帽したその凄まじい切れのある末脚。あのウオッカが豪脚で追走しても差は最後まで縮まらなかったのだから、凄いの一言。

そして、引退戦となったG1マイルカップSは日本の若手の強豪のみならず、フランス、イギリスからG1馬2頭が参戦。しかし、それらをことごとく退け、前評判通りの強さ。

中2週のローテーションで3重賞を闘うことすら驚愕のスタミナ。どうなってるの??貴方のそのパワフルな肉体は、、、、。きっと若馬もビックリ。恥ずかしそうにしているのでは、、、、。

すでに8歳といえば、力の衰えが著しく、とても現役の若馬相手にG1を闘う力はないと思われていたこれまでのホースマンの常識を覆した馬。

これまでにも重賞を数多く勝ってはいたが、G1ではもう少しという善戦続きのナイスガイ。そんな貴方のひたむきさに、神は最高の秋を準備していてくれましたね!!やった〜〜〜!!

音無厩舎の秘蔵っ子として、又、初めて跨がったときから、名手横山騎手に、必ずG1がとれる馬と惚れ込まれ、すべての関係者から愛され、大切に育てられて来たカンパニー。

この一戦の勝利でG1レースを連覇(天皇賞秋、マイルカップS)。毎日王冠G2を含めれば重賞3連勝という「オジさんパワー」を見せつけての爽やかな引退。花道を完璧なエスコートで勝利に導いた横山典弘騎手もさぞほっとしていることだろう。

喜びのあまり、馬上からデットーリジャンプで飛び降りていたけど、「横典さん、貴方もそろそろオジさんと呼ばれる歳。足でも捻挫して、残りの秋競馬を寂しくしないでね!!」とは余計なファンの一言。

オジさん馬の頑張りといえば、かつて、現表示の6歳、7歳で有馬記念連覇の偉業を持ち、いまだに、最多重賞獲得記録を持つ顕彰馬スピードシンボリの大器晩成がすぐに思い浮かぶ。

人間の高齢化に伴い、馬も飼い葉が劇的に良くなり、体力的には長く競走馬として闘えるそうだ。

しかし、昨今の世界的な傾向は、素晴らしい記録を作れば、3歳で引退。種牡馬、繁殖牝馬の道を辿らせるオーナーが多い。

今年の凱旋門賞他重賞多数を勝ち、破竹の勢いで世界の人々に注目され続けていたシーザスターズも今年のカルチエ賞欧州年度代表馬に選出されながら、すでに引退、種牡馬入りが発表されている。

もう少し、素晴らしい馬には、底を見せるまで走らせてあげればいいのに、、、、。と思うのは私だけだろうか、、、、。ファンとしては寂しい。

もともと、人間がその英知と資力を傾けて最高の生きた芸術品、サラブレッドを産み出しているのだから、その「走りたい!!」という欲望を大いに磨いてあげてほしいものだが、、、。

その点、8歳までがんばり、大器晩成のお手本のようなミラクルを我々の目と記憶にまざまざと残してくれたカンパニー。

ミラクルアドマイア産駒の数少ない成功馬。その血脈は父系、母系とも凄い。トニービン、サドラーズウエルズ、ノーザンダンサー、ノーザンテーストなど、錚々たる重厚な名種牡馬が名を連ねる。

お父さんの名前どおり、貴方の8歳まで続いた足跡は「奇跡の賞賛(ミラクルアドマイア)」として、長く記録にも記憶にも刻まれ続けるでしょう。

数少ないミラクルアドマイアの後継種牡馬として、その素晴らしい血を脈々と後代に伝えていってね。子孫から、貴方に似た、頑張りやさんが出てくるのを楽しみにしています。

おめでとう!!近藤オーナー、そして、カンパニーの未来を信じて愛し続けた音無厩舎の陣営の皆さん!!お疲れ様でした。見事、8歳という高齢で重賞3連勝を果たし引退する愛馬を心から褒めてあげてください。沢山のファンの分も纏めて、、、、。

そして、この大輪の開花を信じ続けた横山騎手。やはり貴方の目は一流でした。強敵ウオッカを天皇賞秋で、上がり3ハロン、32秒9の凄い末脚を使い寄せ付けなかった横綱相撲。オジさん馬とオジさん騎手とは思えない格好よさでしたよ。

1分57秒2のレース記録は昨年の伝説の天皇賞秋、ウオッカとダイワスカーレットのレース記録タイ。8歳ですよ。8歳。お見事としか言いようがありません。

横山騎手!!これからもオジさんパワー(失礼!!)を炸裂させてください。時にはアッと驚く意外で胸のすくような思い切りのよい騎乗。その名人の技をいつも楽しみにみています。

カンパニーと同じく、今年は、ダービー、天皇賞秋、マイルカップSと大輪の花を咲かせた横山騎手。貴方もまさに充実の秋ですね。体に気をつけて、、、、。次はダービー馬、ロジユニヴァースのジャパンカップでのエスコート、期待しています。

「引退式は行わないから、ぜひ、カンパニーの現役最後のレースを見に来てほしい!!」と早くから宣言していた音無調教師。その言葉を聞いて以来、私には何にもできないけど、ぜひ勝たせて花道を飾らせて上げたいと心から祈っていました。

やはり私もオバさん世代だからでしょうか。私の夢も載せて走ってくれたカンパニー。ありがとう、そして、お疲れさま。グンと体を沈め綺麗なフォームで加速するあなたの姿!!格好よかったよ!!

もう、疲れすぎるからカッカカッカ燃えて走らなくてもいいよ。しばし休養して、それからいいお父さんになってね。本当におめでとう、そして夢をありがとう!!さようなら、カンパニー!!

2009年11月15日日曜日

Welcome to Japan--続編

先に外国のサラブレッドとホースマンへの歓迎メッセージを投稿してしまった。

そして、本来ならこちらが主体とならなければいけない歓迎のメッセージが後手に回った。

アメリカのオバマ大統領の来日である。わずか23時間の滞在とはいえ、アジアで最初の訪問国として日本を選び、訪問されたオバマ大統領に、まず歓迎のメッセージをお送りしなければならなかっただろう。

しかし、内容的には鳩山首相との簡単な面談、天皇、皇后両陛下へのご挨拶と昼食会など、形式的な訪問に終始し、最初の訪問の幕は下りた。

この来日に思うことが二つ。一つ目は来日スケジュールの間際になってからの調整。やはりアメリカンスタイルだなあ!!と感じた。

最初から予測できぬ、「米軍基地での銃乱射事件発生」という突発的な事件が原因とはいえ、来日の予定を一日延期。勿論双方話し合いの下ではあるが、いわばドタキャン。

次に離日の時間も予定より早め、APECの会議重視の姿勢を見せた。そこにやはり、自己主張を最優先するアメリカンスタイルの訪日姿勢を感じたのは私だけだろうか。

これほどの大物の間際になってからの予定変更。日本の警備陣が右往左往させられている様子が目に浮かぶ。

なんでもキチンと予定通りに進行させることを好み、分単位でのスケジュールを作ることも珍しくない日本の仕事ぶりからみたら、やはり、この変更は異例な感じがする。まあ、今は昔より多少は緩和されているとは思うが、、、、。

しかし、先日台湾での交通事情と運転について触れたときにも述べた通り、このような大らかな(?)、変更をあまり厳しく考えない様子は、今や、かなり多くの国で普通に見られる現象だ。

この問題は、「約束を守る」という実にシンプルな人間性を子供の頃からかなり厳しく躾けられている私ぐらいの年代の日本人には、なかなか順応し難い事柄であることも事実だ。

しかし、日本人の中には、やはり欧米なら許せるが、アジアでは許せないという特殊な感情を抱いている人も多いような感じがする。それは、アジア圏の民族なら同じ感覚を持つべきだという厳しさなのだろうか、、。

良い悪いは別問題として、今回のオバマ大統領の訪日で、やはりこの点が気になった。

二つ目の問題は一つ目とも関連があるが、「ああ、やはりアメリカにとって、日本はすでに、素通りしても構わないぐらいの距離感なのかな???」と感じさせる淡白な訪問。

沖縄の基地問題も微妙に二国間の意見が食い違い、ギクシャクしている感じは否めない。北朝鮮の拉致問題もアメリカの協力は宙に浮いたまま。やはり、自国のことは自国で解決!!という突き放した姿勢が見え隠れする。

今や、大国アメリカといえども、自国の問題を解決するのに精一杯で他国の問題にまでは手が回らないというのが現状だろう。

益々、日本政府のリーダーシップに期待がかかることを実感させられたオバマ大統領の訪日だった。

2009年11月14日土曜日

Welcome to Japan

いよいよ、日本最大の国際試合ジャパンカップG1が11月29日に開かれる。ぞくぞくするような凄いメンバーが集うこのレース。

11月13日、先日BCターフを連覇したばかりのコンデュイットが参戦することが、正式に決まった。彼はイギリスG1を2勝、アメリカのBCターフG1を連覇と素晴らしい戦績を携えて日本上陸。

此の他にもシンディロ(英ーイタリアG1馬)、ジャストアズウエル(米ーカナダG1馬)、マーシュサイド(米ーカナダG1馬)などと豪華なメンバーが日本に集結。

迎え撃つのは、日本が誇るG1馬であり、年度代表馬ウオッカ、昨年のJC馬でディフェンディングチャンピオンのスクリーンヒーロー。いよいよ満をじして参戦の日本ダービー優勝馬、ロジユニヴァース。

そして、此のダービーで無念の2着馬となり、一発を狙う大器、リーチザクラウン。秋華賞で、ブエナビスタの3冠牝馬誕生の夢を砕いたレッドデザイア。まだまだ大物馬が参戦予定だが本当に話題豊富な今年のジャパンカップ。

この戦い。勿論、日本の調教馬に勝って貰いたいのは当たり前の感情。しかし、相手の筆頭格、コンデュイットがこのジャパンカップを引退レースに選び、決戦後は北海道の新冠町のビッグレッドファームに残り、種牡馬となると知っては、応援せざるを得ない。

なにしろその血統が凄いのだ。父、ダラカニ(ダラハニとも読む)は、2003年のカルチエ賞年度代表馬。

仏G1−4勝、(含むダービー、凱旋門賞など、、)他重賞多数の凄い戦績であるばかりでなく、血統に種牡馬で大成功しているミルリーフ、ノーザンダンサー、サドラーズウエルズ、ミスタープロスペクターなどなど、、、、。

そんな素晴らしい血がサンデーサイレンス、そしてその後継種牡馬アグネスタキオンを失った今、又又日本産馬に混ざるのかと思うと、今からその産駒が待ち遠しく、ジャパンカップでどんな走りをしてくれるのか、楽しみが深い。

勿論、遠征の疲れ。見知らぬ土地での不利などで厳しい戦いとなるだろうが、日本馬のレベルの高さを計るのも、大いに楽しみだ。

此の後、12月5日と6日には、いよいよWSJS(ワールドスーパージョッキーズシリーズ)が日本の阪神競馬場で開かれる。その外国からの招待騎手のメンバーも豪華絢爛。

アメリカからは、C. ボレル騎手(今年のケンタッキーオークス、ケンタッキーダービー、プリークネスステークス勝利騎手)が登場。

彼は今年のケンタッキーオークス優勝馬、牝馬レイチェルアレクサンドラを牡馬3冠のプリークネスステークスの相棒に選び、牝馬として85年ぶりの優勝馬に導いた話題の騎手。

ケンタッキーダービー優勝馬のマインザットバードを相棒として選ばず、牝馬でプリークネスステークスを制覇した話題沸騰の騎手が日本に登場するなんて夢みたい。

春の家族旅行で、チャーチルダウンズ競馬場を訪れ、今年のケンタッキーオークスでレイチェルアレクサンドラに跨がったボレル騎手を生観戦してきた私にとっては、嬉しいニュース。

その他、アメリカからはG. ゴメス騎手、フランスからはI. メンディザバル騎手とおなじみのC.ルメール騎手。イギリスからはR. ムーア騎手。アイルランドからはM. キネーン騎手。オーストラリアからはC. ウイリアムズ騎手。香港からはD. ホワイト騎手。本当に錚々たるメンバーですね。

迎え撃つ日本は、東西のリーディングジョッキー5名。内田博幸、横山典弘、武豊、岩田康成、藤田伸二。それにサマージョッキーズシリーズ優勝騎手の秋山真一郎と地方競馬代表騎手の的場文男。

こちらも、錚々たるメンバー。個人的な意見では、いぶし銀の安藤勝己騎手を入れてほしかったけど、まあ、リーディングどおりとなれば仕方がないけど、、、、。

ともあれ、マイルカップSももうすぐでイギリスからの参戦馬もすでにスタンドバイ。あのオジサン世代に夢と希望を与えたカンパニー。

史上初の8歳でのG1制覇を天皇賞秋でなしとげた彼もこのマイルカップSで引退し、種牡馬となることが決定している。花道を優勝で飾ってほしい。今年のアゲアゲ騎手、ヨコテンこと、横山典弘騎手の華麗なる騎乗に期待!!

以上、多くの素晴らしいサラブレッド、そして、一流の技を競うためにはるばる来日する世界的に高名なジョッキーの皆さん。そして、それらの馬や人々を支えるために来日するホースマンの皆さん。もう一度、「WELCOME TO JAPAN!!」。熱戦を期待しています。

2009年11月5日木曜日

苦節7年、おめでとう松井選手!!

沖縄の基地問題で微妙にずれ始めた日米関係。オバマ大統領来日を控え、数々の問題を抱え頭の痛い日本に久しぶりに爽やかな笑顔が届けられた。

松井選手のワールドシリーズ最優秀選手(MVP)に輝く笑顔だ。日本選手のワールドシリーズMVP獲得は史上初の快挙とかで、日頃あまり感情を露にしない松井選手もさすがに嬉しそうな顔をしていた。

過去3年は故障続きで、来年はどこのチームのユニフォームを着るのか注目を集めていた矢先の素晴らしい働き。これで、ヤンキースも松井選手留任に傾くのだろうか、、、、。

投手としては野茂選手が早々とメジャーでの日本選手の卓越した技術を証明してくれた。そして、野手としては、2001年にイチロー選手が242安打を放ちシーズンMVPを獲得して、日本野球のレベルの高さを証明し、未だに数々のメジャーリーグの記録を塗り替えている。

そして、今年は日本選手のスラッガーとしての素晴らしさもこの松井選手によって証明された。新ヤンキースタジアムの空に高々と舞った白球は、ホームランを見慣れている地元ニューヨーカーをも興奮させる特大弾。

シリーズ3本のホームランと6.15の打率。8打点の勝負強さは特筆もの。優勝を決めた試合での一試合6打点は45年ぶりのメジャー史上タイ記録とか。

彼も又、イチロー選手と並んで、メジャーリーグの記録にも記憶にも残る名選手となった。この日に使われた彼のバットは目出たく野球殿堂入りするそうだ。

この快挙に思うことは、もう、日本の野球選手のレベルはどこで試合をしていようと、世界に誇れるレベルだということ。

マリナーズの城島選手は今年、日本球界に逆戻り。浪速のジョーとして、阪神のピンストライプのユニフォームで来年から頑張る姿が観られる。伝統の巨人阪神戦が今から楽しみになって来た。

日本の野球界も変な陰湿なプレッシャーを若者に与えることなく、メジャーへの道は早々と開放し、数年メジャーで他流試合をしてきた若者が自由に日本に戻れる仕組みをつくるべきだと思う。若い時の方が技術も言葉も学習力が高いのだから、、、、。

日米交流をオープンにすれば、もっともっと両国の球界の距離は縮まり、お互いの素晴らしい技術を学ぶことができるだろう。

そして、鳩山首相が言う通り、これも又、立派な国際親善交流。つまらない外交官より余程爽やかな外交で日米の距離を縮める。

松井選手は高校時代、夏の甲子園で連続5打席敬遠のフォアボールで出塁という珍記録の保持者。彼の長打が恐ろしすぎて相手投手が真っ向勝負を挑まなかったからだ。

そんな彼が高校卒ですぐメジャーに挑戦していたら、どうなっていたのだろうか。今年も繰り返されたメジャー流出を阻む日本球界の壁は、大いに疑問に思う。

学問では自由に留学を認め、会社は早くから海外派遣で社員を鍛え、野球以外のスポーツにはほとんどそんな壁はない。言葉の学習も含め、すべての分野で国際化を果たすには、日本球界も早々と壁を取り払うべきだ。

そんな日本球界から大きなプレッシャーを受けながらも28歳でメジャーに入り、名門ヤンキースで世界最高のワールドシリーズ優勝の夢を追い続けた松井選手。

7年前、メジャー移籍を発表した時、「なんだか日本球界を裏切って海をわたるように思っている人がいるかもしれないけど、いつの日か、松井がメジャーで活躍していてくれて本当によかった!!と思ってもらえるように頑張ります!!」と貴方は言いましたね。

本当に約束通り、私達に心から貴方がメジャーで活躍していてくれてよかったと思わせてくれました。

しかも名門ヤンキースを9年振りに世界一に導く立役者になったこと、、、。日本人の誇りです。本当におめでとう!!

野球のメッカ、ニューヨークで貴方にMVP!!MVP!!と連呼してくれたニューヨーカーの声は、日本人すべての連呼でしょう。苦節7年、しばらく美酒に酔ってください。

そして、貴方には「大暴れのゴジラ!!」というニックネームがぴったり。体に気をつけて、来年も暴れてくださいね。応援しています。

2009年11月4日水曜日

近くて遠いソウル

10月31日から11月3日まで、韓国ソウルに行ってきた。かつて何度も空港で乗り継ぎをしたことはあったが、不思議とまだ本当に訪問したことはなかった。

わずか2時間弱で着いてしまうまさにお隣さんのソウル。なぜこれまでに一度も訪問しなかったんだろうか、、、、。

近い!!本当に帰りなど1時間半ぐらいで金浦から羽田に到着。しかし、この距離的には北海道ぐらい近い国が、何と何と言葉の壁では遥か遠くの国だった。

空港に到着後、レンタカーを手配するために訪れたカウンターからその波乱の幕開けは始まった。英語、日本語がまったく通じないのだ。

誰でもアメリカ有数のレンタカー会社のカウンターで英語が通じないことなど予測しない。しかし、確かにそうだった。お隣の違うレンタカー会社の社員の中になんとか英語が通じる人が一人。

かれこれ一時間費やし、漸く予約しておいた車を借りる交渉成立。さて、異国で車を運転するには欠かせぬ相棒、ナビの予約。

あった!!と喜んだのもつかの間。何と何と、すべてハングル文字の表示。目的地名もハングル文字でしか入れられない。「嘘でしょ??」と訊きたいけれど、さてその言い方は??

英語ができて、間に入ってくれたお隣のレンタカーの人も、時々意味不明の英語とハングル語のチャンポン。「さあ、困った!!」と息子が言うのだ。

言葉に関しては一番頼りになると思い続けていた我が息子に「困った!!」といわれちゃ、他に頼る当てのない哀れなテツママもお手上げ。

それでもこの無謀な親子は諦めない。とりあえず着いた日にたどる目的地をその英語、ハングル語チャンポンのお兄さんに英語とボディーラングエージでお願いし、ナビに入れてもらう。

我らがレンタカーのカウンターに着いた時間は11時頃。車を走らせ始めたのは12時半頃。第一歩を踏み出すまでに1時間半かかったのは、世界記録。(勿論我々の過去の経験の中で)

結構、色々な国でレンタカーを借り、気ままに走らせてきた我々の旅行。このソウルでのハングル語の壁は過去最高の危機感を息子に与えた。

しかし、遅れて到着する友人を迎え、この旅をまさに始めようと言うときから、めげている訳には行かない。

音声だけは英語で誘導してくれるのだが、その誘導の間に『oxoxoxox、、、」という意味不明のお姉さんやらチビガキ君の生意気なハングル語の声が入る。?????の連続。

しかし、勇敢というか無謀というか、、、、我が息子は実に我慢強く、時々雄叫びを上げながらも諦めない。

まさに、このハングル語と真っ向勝負。一日目は慣れないナビの操作ミスで目的地が消えちゃって、さあ大変!!

電話番号で再入力する方法にたどり着くまで道路脇に車を止め、ナビをいじくり回したり、アクシデントの連発で、全員へとへとになりながらも何とか無事??ホテル着。

信じられぬ程の渋滞で身動きできず、その上、「oxoxoxox、、、、」と生意気なチビ君のハングル語の声に馬鹿にされ、普通なら30分程の道のりを間違い間違い2時間かけてホテルにたどり着いた。

このときは、さすがに「前途多難!!」とちょっぴりめげたが、ホテルの部屋の交渉に入り、俄然不屈の闘志が復活!!「雄鶏ならぬオンドル」という韓国の伝統的な床暖房の部屋にめでたくチェックイン。

この日は土砂降りの雨にもたたられ、よれよれの気持ちで旅を開始したが、一晩寝れば同行の友人を含め、めげるようなヤワな一行ではない。

息子は早速ハングル語を分析。その仕組みを早くも解明し、なんと二日目からハングル語でナビに行き先を書き込むことに挑戦。お天気も回復し、道も昨日とは比べ物にならない位スムーズ。

友人と私は地図の中からハングル語の行き先名を調べ上げ、哀れなアッシー君を努めている息子を補助。まず食料を買い込み、水を確保。

車の中で、ナビから発せられる変なお姉ちゃんとチビ君の声を無視し、地図とハングル語と格闘しつつ、諦めずに目的地へ目的地へ、、、、、。どこまでも音を上げぬ無謀な一行だ。

観ました。チャングムの世界。そして、食べまくりました!!キムチ!!行きました。伝統市場へも、デパートへも、巨大モールへも、オリンピック公園へも、、、、。

オリンピック公園内の野球場で韓国のプロ野球チームの練習風景も観ました。韓国のイチローと言われる選手が在籍しているチームの練習風景を、、、、。ここは本来なら部外者は入れない球場。

しかし、確かに入って来ました。かの有名な野茂選手がかつては活躍した球場へ、、、。入り口で入場を断られている(勿論身振り手振りでNo, No, No、、、、)我々を発見した親切なチームマネージャーの特別な計らいで、、、、。

自身のチームに韓国のイチローと呼ばれる選手が在籍していることを誇らしげに話していた、本当に本当に人のよさそうなこのチームマネージャー。早速一緒に写真をパチリ。

このハングル語トラブルは、逆に我々に普通の観光旅行では決して味わえない、温かい韓国の人々の「親切と懐の深さ」を垣間みさせてくれた。

この国の食べ物は意外と薄味で、温かいまろみのある味のものが多かった。まさに、「困った時はお互い様!!」とでも言わぬばかりの人々の温かい心を代弁しているような味。本当に親切な人々に随所で触れた。

このような旅こそ、終生忘れ得ぬ深い思い出となることだろう。「又この温かさに触れに来たいなあ!!」と最後に金浦空港を離れる時に心から思った。

日本に着いた息子が真っ先にしたことは、羽田空港内のシャトルバスの中で日本語の放送と不完全な英語の放送を聞き、意味不明で困っているアメリカ人の救助。

彼をモノレールの駅へ案内する間、談笑していた息子が、「我々は今、ソウルから奇跡の生還を果たした、、、」と話していたが、ハングル語と格闘しながら見知らぬ土地で車を運転し、黙々と我々のアッシー君を努めていた彼には、まさにそんな気分の長い長い3日間だったことだろう。

余談だが、韓国の食べ物の素晴らしさは、ともかく栄養豊富。活力旺盛なやる気を与えてくれる食べ物ばかりだ。この食べ物がなければ、とっくにめげて、旅を途中で諦めていたかもしれない。

それ程、観光地以外、英語も日本語もほとんど通じず、言葉の壁が高かったソウルは、本当に近くて遠い国だった。でもでもでも、、、、、。又行くぞ!!我ら無謀な一族は、、、、。アニヨンハセヨ!!ソウル!!

2009年10月29日木曜日

やはり天才

私は昨日友人と「沈まぬ太陽」というまさにJLをモデルにしたとしか思えぬ話題の映画を鑑賞した。

3時間以上の長編映画で、途中10分の休憩をはさみ、見応えのある映画だった。そして、主役から脇役に至るまで、本当に当代の名優揃いの重厚な演技だった。

原作は山崎豊子。この人の作品はどれもスケールが大きく話題作ばかり。この作品も内容が内容だけに、なかなか映画化されず、幾多の困難を乗り越えようやく完成にこぎ着けたらしい。

あのJLの御巣鷹山の悲劇を内容の中心にすえ、組合活動を続けた主人公の会社に翻弄された激動の人生を追ったものだが、ドロドロした企業内の争いや、官僚との醜い争いなど、よくぞここまで筆で追えたものだと思う程、フィクションとはいえ生々しく、公開までに色々なところから横やりが入る訳だと、変に納得した。

今、JLにひたひたと忍び寄る再生への動き。あまたの航空会社の悲劇の首切りなど、まさに上映のタイミングとしては、どんぴしゃりの公開タイミング。違う角度から航空運賃や航空会社の経営状況を見つめ直すヒントも与えられ、色々と教えられた。

そしてこの他に、私にはもう一本、どうしても観たい映画があったので、昨日のうちに今日の前売り切符を買っておいた。そして二日連続で今日も同じ映画館を訪れた。その映画の名前は、「This is it.」

あのマイケルジャクソンが今となっては最後となってしまった、7月の英国公演にむけて懸命のリハーサルを重ねていた様子を抜粋して、ファンと残された子供達への記念として完成された映画だ。

公開はわずか2週間。世界中でその公開が話題を呼んでおり、前売りでも買わねば、良い席はないだろうと考え、久しぶりに昨日前売り切符を買った。

他の映画なら、週日の午後の切符を買うのはそれほど困難ではないが、さすがにこの映画は話題性が高く、前売りを買った方が安全だと思い昨日購入しておいてよかった。

やはり、今日、週日の午後だというのに、映画館は満席だった。内容は勿論、マイケルジャクソンの観るものを圧倒するようなパフォーマンスの連続。

「キングオブポップ」の名を汚さぬ、存在そのものが大スターのオーラ。バックダンサーも世界から集まった応募者からふるいにかけられた精鋭ぞろい。

しかし、それらの精鋭ダンサーとどこがどう違うのかわからないが、彼の動きはまるでしなやかな彪のように、ステップもターンも軽やかで、一つ一つの動きにめりはりがあり、ピタッと決まった精密機械のロボットのよう。

全身から溢れる大スターのオーラに彼の姿にだけ別のスポットが当たりまくっているような、きらびやかな印象をうける。

身に纏っている衣装はエルヴィスプレスリーの豪華さとはほど遠く、又、体も細身で一見弱々しく見えるのに、動き始めた彼は、形容しがたい存在感があり、彼のみが放ちうる「マイケルジャクソン不滅の激震!!」を観るものすべてに感じさせる。まさにまさに天才の芸。

3年程前、ラスベガスでそっくりさんの芸を観て、それなりにかなり満足し、楽しんだ私だが、本物を観てしまうと、本当に題名どおり、「This is it!!」

マイケルジャクソンは余人の到達できぬ素晴らしい才能を持ったオンリーワンの天才だった。

栄光のかげで不眠に悩まされ、完璧な姿を久しぶりに英国でファンに見せるため、血の滲むような努力を重ねていた、今春のマイケルジャクソン。

そして、このリハーサルの素晴らしい成果を英国でファンに見せることなく6月に永眠してしまったマイケルジャクソン。

あなたは確かに、「キングオブポップ」。映画が終了したとき、画面に向かって、多くの人が拍手をしていた。

長く映画を観ているが、映画館で感動の為、誰もいない画面に向かって観客が拍手するのを初めて聞き、思わず私も拍手してしまった。

映画祭や華やかな役者が舞台で挨拶している映画でもない。しかし、そんな感動が自然とわき上がってくる程、ひたむきなマイケルジャクソンの精一杯の努力。

そんな彼の姿をこの画面でみて、私はマイケルジャクソンの巷でのスキャンダルが絶対に嘘ではないか、、、と心から思った。

それほどこの画面を通して伝わってくるマイケルジャクソンのリハーサルでの姿は、ひたむきで、才能に溢れ、周りの人々を優しく包み込む、謙虚で温かい姿だった。

この作品は残された3人の子供さんとファンに捧げるために製作されたフィルムとか。志半ばでこの世を去ったマイケルジャクソン。

貴方は間違いなくこの3人のお子さんの素晴らしい素晴らしい自慢のパパで輝かしいヒーロー。そして、世界のファンの心の中で、永遠に生き続けることでしょう。

2009年10月26日月曜日

恐るべし名ステイヤーの血

秋の3歳馬夢のステージ、クラシックの最終章が終わった。牝馬の3冠目、秋華賞では、レッドディザイアがついに念願のリベンジを果たし、ブエナビスタの牝馬史上3頭目の3冠馬への夢を蹴散らした。

レッドディザイアの父は3歳時、クラシック3冠目菊花賞の大輪の花を咲かせたマンハッタンカフェ。

距離的にはブエナビスタの父スペシャルウイークも3200メートルの春の天皇賞を制覇しているから、ブエナビスタにも距離の壁はなかったが、残念ながら最後の直線で馬群を抜け出す時に多少てまどり、わずかの差で今回はライバルのレッドディザイアに鼻差先着を許してしまった。

このレースはすでに皆様ご存知でしょうが、ブエナビスタとアンカツ騎手には残念なおまけまでついて、直線の斜行によりブロードストリートの進路を妨害したとの理由で降着となり、2着から3着になってしまった。

そしてアンカツ騎手には四日間の騎乗停止処分の裁定。名手アンカツ騎手もこの裁定には憮然とした様子で、あまり納得の行かぬ様子だったが、久しぶりの牝馬3冠馬誕生を期待していたファンには更に過酷な二重のショックで、今年の牝馬クラシック最終章は後味の悪い結果となってしまった。

牝馬クラシック最終章に続き、昨日は牡馬クラシック最終章の菊花賞が行われ、3歳牡馬の頂点を決める3000メートルの激闘が行われた。

まず予想通り、大器、大器とデヴュー前から評判の高かったリーチザクラウンが名手武豊騎手を背に先頭で大逃げを計った。

しかし、気性的にいれ込みの激しい難しい馬、リーチザクラウンは、パドックで周回するときから発汗。本馬場入場の時点で他馬より明らかに発汗が目立ち、結果終始力みがとれず、最後の150メートルぐらいで後続に捕まり、5着に沈んだ。

武豊騎手は「皐月賞の二の舞だけは絶対にしたくない!」とかねてより話していた。皐月賞ではこの名手武豊騎手をもってしても「アウトオブコントロール!」と匙を投げざるを得ぬ程、かかりまくり、鞍上の指示を無視して突っ走り続け、実力を発揮せぬまま撃沈したそうだ。

後方から行くと、道中他馬と並んだ時、掛かりまくるこの馬に、なるべくパワーロスなく3000メートルの長丁場を導くには、先頭で折り合いをつけながら他馬を離す、この乗り方しかなかったのだろう。

名手武豊騎手も打てる手はすべて打った上での敗戦。さばさばした顔をしていた。リーチザクラウンには、ぜひ更なる気性面の成長を促し、古馬でのリベンジを期待している。力は超一流であることは誰もが認めているんだから、、、、、。

ただ気がかりは祖父母の血統。父スペシャルウイークの母、キャンペンガールはサンデーサイレンスとの配合で、難産の末5頭目であり、最後の産駒となったスペシャルウイークを産み落とすまでに4頭の馬を産んでいるが、すべて気性難でほとんど出走も叶わなかった難しい子馬ばかりを産み落としていた。

キャンペンガ―ル自身も超激しい気性で自傷行為を繰り返し、とうとう競走馬としての才能は発揮せぬまま繁殖牝馬となり、最後にスペシャルウイークという歴史的な名馬を残し、産後すぐこの世を去った悲話の持ち主。

生産牧場、オーナーなどが未出走の馬ばかりを産み続けるキャンペンガールを見放さず、5回目の交配でサンデーサイレンスを選んだ執念が実った結晶がスペシャルウイーク。

どちらも気性が激しくうるさい祖父母を持つリーチザクラウン。遺伝子は隔世遺伝が多い。担当厩舎の課題克服への道は容易ではないだろう。

しかし、ぜひぜひ諦めないで頑張ってほしい。この魅力的な血統を持つ大器、リーチザクラウンが真に大人の風格を持った落ち着いた古馬にまでたどり着いたときの強さは破壊的だろうから、、、、。ファンとしてはぜひ観てみたいものだ。

今年の菊花賞を見終えてしみじみ思うのは、やはりおそるべし名ステイヤーの血。1着スリーロールス、2着フォゲッタブルはダンスインザダーク産駒。

ダンスインザダークは自身も菊の大輪を咲かせた名ステイヤー。ザッツザプレンティ、デルタブルース、そして今年はスリーロールスが産駒として同じ舞台を制して大暴れ。母方のダンシングキイはノーザンダンサーの代表産駒、ニジンスキーの血を受け継ぎ、力のある血統。

残念ながら鼻差で負けたフォゲッタブルに至っては、母はあの女傑、エアグルーヴ。弱いわけがない。この良血フォゲッタブルもようやく体が出来てきて、いよいよ血が騒ぎ始めたらしい。来年が楽しみな一頭だ。

余談だが、スリーロールスのオーナーはトヨタにゆかりの方とか。大の車好きで英国の最高級車、ロールスロイスと母馬の名前の一部をとって、愛馬にスリーロールスと名付けたとか。今、あまり元気のない車業界。きっとスカッとされたことだろう。

残念ながら5着に沈んだリーチザクラウンはスペシャルウイークの代表産駒と呼ばれるにふさわしい大器。昨年の伝説の新馬戦で優勝し、クラシック1冠目の皐月賞を制したネオユニヴァース産駒アンライバルドは、菊の大事な舞台で途中躓き、折り合いを欠いて、馬群に沈んだ。15着と惨敗したが、このままでは決して終わらない実力馬だろう。

神戸新聞杯G2でリーチザクラウン、アンライバルドを退け優勝したイコピコもマンハッタンカフェの代表産駒として今後期待される一頭。

それにしても菊花賞を制したスリーロールスも昨年の伝説の新馬戦でブエナビスタに次ぐ4着馬だったとは、、、、。同じ新馬戦から3頭(アンライバルド、ブエナビスタ、スリーロールス)ものクラシックG1馬が排出されたのは、JRA史上初の快挙とか。

この新馬戦で2着だったリーチザクラウンも含め、本当に「伝説の新馬戦」と呼ばれるに相応しい実力馬同士の激闘に改めてスポットをあてた今年のクラシック最終章。

ライバルがしのぎを削るレース展開は本当に迫力があり、観ていてワクワクし、楽しみが増す。ウオッカもダイワスカーレットという稀代の名牝とのライバル決戦があったればこそ、歴史に残る天皇賞秋の伝説が生まれた。

この菊の激闘には参戦しなかったが、まだまだ今年のダービー馬、ロジユニヴァースも控えている。本当に層の厚い3歳牡馬と牝馬達。これからの闘いが益々楽しみになってきた。

皐月賞は速い馬。ダービーは運の良い馬。そして、菊花賞は本当に力のある馬が勝つという。3000メートルの長丁場では、優れたステイヤーの血が勝ると言われているが確かに今年の菊花賞でもまざまざとそれは証明された。

レース前には本命を欠く乱菊と呼ばれていたが、終わってみればすべて名ステイヤーの素晴らしい血統に裏打ちされた3歳の良血牡馬が順当に勝ち上がった感がある今年の菊花賞。

おめでとう、スリーロールス陣営の皆さん。そして若き浜中騎手!!わずか鼻差で破れたフォゲッタブル、ブエナヴィスタ、又頑張ろうね。実力は紙一重なんだから、、、、。

2009年10月24日土曜日

ずしりと重い内容

今日は映画の話。息子と久しぶりに午後、映画を観に行った。「私の中のあなた」と訳されている映画。原題は「My sister`s keeper」。ある家庭の中の話を取り上げたもの。

簡単に言えば、その家庭の娘がまだ小さい子供の時、白血病に犯され、両親が立ち上がり、手を尽くして闘うストーリー。

ある日、医者から秘密裏に最も治療に効果的な方法は、遺伝子が適合するもう一人の子供を試験管で培養し、産むことだと知らされ、病に犯された娘を助けたい一心で新たな子供を産むことを夫とともに決断する。ドナーとして育てる為だ。

そして生まれた子供は、次々と姉の病を治すため、組織や細胞を移植させられ、14歳の時、姉に腎臓移植が必要になったことを知り、自分の身の回りのものを売りさばき、わずかなお金を持ってある弁護士の事務所を訪れ、自分の両親を訴えたいと申しでる。

「もうこれ以上、自分の許可なしに、自分の体を切り刻まれ、姉に自分の臓器や組織を移植したくないから腎臓移植を強要する両親を訴える!!」と言い出したのだ。弁護士はその願いを受け入れ、裁判に持ち込む。

両親は実の娘に訴えられ、移植を断念させられた姉はドンドン体が弱り、刻々と死が近づいてきている。母は半狂乱になり、法廷でこの娘を非難。家族全体がばらばらになり、この一家は家庭崩壊の危機に直面。

そんな中で、思い出形式で色々な家族の思いが語られ、死の危機に直面している姉の儚い恋の話もあり、感動的なストーリーの展開が見事なタッチで描かれている。そして、素晴らしいバックミュージックの中で最後の思いがけない結末を迎える。

全編を流れているのは家族愛。そして考えさせられるのは家族という大切な人の死を迎える日への立ち向かい方と現実を受け止める心の準備の仕方。

幸せな家庭が一人の娘の白血病を告知された日から暗転。それぞれの家族の思いがばらばらになり、食い違って行く中で、こんな思いがけぬ素晴らしいラストシーンを迎えることになるとは最後の最後まで予測できなかった。

エンドマークが流れ始めてすぐ、この映画に出会えて本当によかったと思った。若い息子の感想も同じだった。「久しぶりに本当に見応えのある、素晴らしい映画に出会った感がある」とのこと。

試験官の中で、姉のドナーとして適合するかどうか、医師と両親に遺伝子をチェックされ、適合するから出産すると決められたことに傷つき苦悩する妹。

そしてこれ以上、両親が姉の為に自分の体を自由に使うことを拒否し、弁護士を雇い法廷にまで母を引き出した驚くべき反抗。

しかし、最後のどんでん返しで、決して非情なだけの妹ではなかったこと、そしてばらばらになっていた筈の家族がお互いに心の絆で繋がれていたことを知り、なんだかホッとした。

同時に、人間の死とは、本当に神のみぞ知る世界であることを改めて感じさせられ厳粛な思いを抱いた。とても見応えがあり、ずしりと重い、内容のある良い映画だった。

2009年10月22日木曜日

さようなら南田洋子さん

女優の南田洋子さんが昨日、永眠された。享年76歳の若さだった。ここ数年、認知症にかかり、ご主人の献身的な介護が注目され、その壮絶な日々を公開し、多くの人々に無常感を抱かせた。

誰もが迎える老い。きっとこのニュースを聞いた人々は、その年齢により、それぞれ違う感想を抱いたことだろう。中には私のように、すでに老いを迎え、同じ年代の長門ご夫妻の生き様を他人事とは思えぬ胸の痛みとともに聞いた人も多いだろう。

理知的で、美しく、偉大な女優としても活躍された南田洋子さん。ほぼ50年近い夫婦の軌跡を考えれば、マスコミで取りざたされている綺麗な面のみではなく、波瀾万丈、ドロドロの歩みもあったことだろう。

長門さんの浮気や多大な借金、実父の下の世話までさせた後ろめたさ。時には憎しみあいながらも、老いを共に歩んだ複雑な心境の時もあっただろう。

私ぐらいの年代の人なら、南田さんのスケールの大きさ、長門さんの男としてのわがままさ。などなど、色々な感想があるだろう。少なくとも単純なメロドラマ的な捉え方はできないと思う。

長門さんは正直すぎるところがあり、自身の至らなさを曝け出して、「おしどり夫婦」などとでっち上げられたイメージに抵抗していた時もあった。他人の目からみた、安易な定義付けに我慢がならなかった日々もあったのだろう。50年にも及ぼうという結婚生活がそんなに簡単で単純な日々ではなかったことは容易に想像できる。

しかし、南田さんが認知症を発症し、誰も頼る人がなく、仕事もできず、100%長門さんに依存しなければ生きられない状態に陥ったこの介護生活の4年間が、男としての長門さんに最も多くの生き甲斐と充実した晩年と愛に溢れる豊な心を取り戻させてくれたという供述には深く感動し、男性というものの本質を改めて教えられたような気がした。

自分のみを待ち続けてほしいという子供のような独占欲。すべて頼られ、自分だけを見つめてくれる女性の愛おしさ。自分がいなければ何もできない女性への男という性を奮い立たせるような覚悟と献身。

長門さんは今後、介護の日々を過ごした4年間の南田さんとの充実した日々を糧に、役者としても大きく飛躍されることだろう。ご自身の健康に留意され、役者としての新たな人生を踏み出してほしいものだ。

長門さんの「洋子はいつも自分の心の中で生きつづけている」という発言。確かに本当に大切な人の死は絶対に認めたくないもの。いつまでも心の絆でご一緒に生き続けてください。南田洋子さん。安らかに。

2009年10月20日火曜日

国民としての責任は??

今年の国家予算の概算が95兆円を越え、問題視されている。とはいえ、本当にこの数字と税収の差を考え、国家が弱まり、破産や倒産の危機に直面していることにまで、心から心配している国民が一体どの位いるのだろうか。はなはだ疑問である。

勿論、今年に始まったわけではなく、戦前は軍備費の調達を理由に国家を守るという大義名分をかかげ、国債を発行してきた。戦後一時的には少し盛り返したとはいえ、借金国債を払う為の国債を発行し、ますます借金王国日本の傷は深くなりつつある。

自分の収入以上の生活をすれば個人ならすぐに高利のサラ金などに手をだし、永遠に返せない借金を背負い破産し、一家離散、ホームレス生活など悲惨きわまりない生活が待っていることが容易に想像できる。経済問題に直面し、家族を置いて自殺の道を選ぶ悲惨な末路も日常茶飯事のニュースだ。

これほどはっきりと、収支のバランスをとる生活が大切なことを身を持って体験している国民が、国家に対してはどうして、借金をふやしても自分の生活を守ってくれれば良いという身勝手な理屈になるのだろうか。

すでに国家予算の40%強しか税収がない国家。官僚も含め公務員の支出や国家予算を切り詰められるものはすべて切り詰めて生活せねばと何度も警鐘を鳴らしている政府。又もや今年も必要予算の60%もの国債を発行し、借金してまで、今の国家予算を国民に認めさせようという案は無謀としか思えない。

自分の生活なら、夫や家族の収入内で収めるために、欲しいものも諦めたり、切り詰めた生活を考え、身の丈にあった生活をしようと考える勤勉な日本人。

今、日本というあなた方の家は破産寸前、いやもう、手遅れに近いひどい状態であることをどれほどの国民が自分の問題として自覚しているのだろうか。

政府は誰が悪い彼が悪いなどと責任のなすり合いをして国民の機嫌とりをし、選挙に勝利することばかりを考えず、国家的なガンを取り除く根本的な治療をしてほしい。

ガンの上から薬を塗りたくるようなその場しのぎの対応をせず、国家的体力と健全な財政状態を取り戻すために、国民にも耐えるべきは耐えさせ、払うべきものは払わせ、次世代の人々に健康な日本を残せるよう、明るい国づくりに邁進してほしい。そして日本国民を独立性豊な逞しい民族に鍛え直してほしい。

飢餓状態の後進国が年々増え続けている現状。今の国民の要求は衣食住が足りた上での要求もかなり多く入っているんだから。最近の日本の現状にチョイト心配なテツママの又又独り言でした。

2009年10月13日火曜日

豪華絢爛!!

着物ショーの話ではありません。秋のクラシックG1戦開幕となる秋華賞を目前に控え、行ってきました!!観てきました!!北海道のノーザンホースパークと社台スタリオンステークス。人間が創りうる最高の生きた芸術品、名サラブレッドのオンパレード。

ディープインパクト、トウカイテイオー、メイショウサムソン、クロフネ、ダイワメジャー、キングカメハメハ、シンボリクリスエス。いかがですか皆さん??サラブレッドに少しでも興味がある人なら、「エッ!!本当??」と耳を疑うような豪華絢爛さ。

この中のどの一頭に巡り会えても大感動の名馬揃い。それがそれが、何と何と、目の前に勢揃いしているのです。人間の思惑などどこ吹く風。悠然と草を食む、日本を代表する名種牡馬達。本当に「これ、現実??」と目の前に広がっている夢のような光景に信じられないような感動と興奮。

多くの人々を熱狂させ、JRA史上に永遠にその名を刻み続ける歴史的な名馬ばかり。華やかな栄光に包まれ、激しい日々を過ごしていたとは思えぬ、ただただ、自然の中でゆったりした時間を過ごしている静かな彼達をみて、時の流れを実感した。

相変わらずひっくり返り、足をバタバタさせて遊んでいるダイワメジャー。更に白さが増して、ひと際目立つクロフネ。小さくてもディープインパクトのゆったりとした貫禄のある歩様。見事な馬格でピカピカ黒光りしているシンボリクリスエス。

初の無敗の3冠馬、シンボリルドルフを父に持ち、奇跡のカムバックで激闘を演じたトウカイテイオーなど。どの馬にも鮮やかに目の前に浮かんでくる素晴らしい感動のドラマがある。

鼻白、頑張りやのメイショウサムソンの見事なダービー制覇と天皇賞秋。ダイワメジャーの主戦騎手として、数々の名馬の背を知るアンカツ騎手こと安藤勝巳騎手をしてディープインパクトを越える最強馬だったかも、、、と、その早すぎる引退が惜しまれたキングカメハメハ。

妹ダイワスカーレットとの有馬記念競演をお土産に引退した関東の星、ダイワメジャーのしぶとい走り。パドックでコロンと寝そべったり、激しい気性で厩舎の人々を困らせたイタズラッ子の可愛いやんちゃ坊主、ダイワメジャー。でも本当にマイルは強かったね!!

クロフネのぶっちぎりでゴールを駆け抜けた強い強いシーン。シンボリクリスエスの見事な天皇賞秋、有馬記念の連覇。すべて、まだまだ夢の続きを見たかった名残惜しい名馬ばかり。

前日には、ノーザンホースパークの厩舎で伝説のダービー馬、ダイナガリバーの元気な姿や、あのメルボルンカップG1で日本馬の強さをまざまざとみせ、国際G1馬の仲間入りをしたデルタブルースにも会えて興奮したばかり。

ノーザンテースト、サンデーサイレンスなど数々の素晴らしい種牡馬を外国から輸入し、今や世界的に有名な生産育成牧場となった社台グループの創立者吉田善哉氏に、最初にして最後の夢の称号「ダービーオーナー」をプレゼントしたダイナガリバーはもう26歳だそうだ。いつまでも元気でいてほしい。

二日間にわたる夢のような豪華絢爛の名馬ショーに深く感動し大満足した幸せなテツママ。忘れられない素晴らしいツアーにつき合ってくれた相棒とアッシー君を努めてくれた息子よ!!感動と興奮と思い出をありがとう!!

名馬達よ、いつまでもいつまでも健やかに!!貴方達の自慢の走りはもう観られないけど、息子や娘の活躍を通して、果てしない夢を追い続けて行くね。又いつか会いたいなあ!!元気でね!!

2009年10月7日水曜日

世界の航空会社大揺れ

日本航空の政府介入が必要な程、世界的に財政悪化の風評がたっている。すでにアメリカンやデルタの資金投入合戦も模索され、国土交通省と日航の意見調整が水面下で激化しているとの評。

ノースウエスト航空もすでに年末にはその見慣れた懐かしい赤いテールマークがなくなり、デルタ航空の傘下にはいり、装いを新たにする。

先日、「Time to say good-bye!!」の物悲しいメロディーをバックミュージックに半世紀余のながきにわたり日本の上空を飛び続けたノースウエストの色々な懐かしい機種の数々を紹介した動画を見た。

なんだか、自分の青春の一部がもぎ取られたような悲しい気持ちになり、思わず涙が滲んだ。普段はあまり意識していなかったが、最初に私に外国への誘いをしてくれたのも、このノースウエスト。そして、外資系の会社として、女性も男性もなく、本当に厳しく激しく忙しくパワフルな仕事を訓練されたのもこのノースウエスト。今の私はこの会社なくしては語れない。

大きな人生の転機を与えてくれたノースウエストという航空会社が消えてしまうのは、本当に残念で寂しい。当時の仲間で開いているサミットでも話題はこの一点。みんな同じ気持ちでいる。

そして今日は又、英国航空(BA)の大幅人員削減の発表。希望退職者1000名を募集。そして正社員3000名のパート社員化を断行。これで1700名分の正社員削減の効果が期待できるとか、、、。

揺れに揺れる航空業界の業績悪化、再編成の波が落ち着くには、約7年から9年の月日が必要とのこと。まあ、庶民には驚く程手軽になった海外旅行。時には国内旅行より格安となった外国への道は、反面、世界の航空会社に激しい価格競争と厳しい経営環境を与えてしまった。

サミットで昔の友人と会うたびに、「我々は本当に業界の黄金時代と呼ばれる時代に一緒に働けてよかったね!!」と昔を語る。あ〜〜あ!!そんな時代は多分もう永遠に業界には訪れないだろう。

2009年10月3日土曜日

落ち着くところに!!

スポーツの祭典、オリンピックの最終誘致合戦で沸いた昨夜の日本。結果は??もう皆さんご存知のリオデジャネイロでの開催決定。南アメリカ初のオリンピック開催が決まった。

オバマ大統領ご夫妻の自然体で、感情溢れたシカゴへの思い入れを語ったスピーチは、さすが、、、と会場をうならせ、続く鳩山首相のスピーチを内容はともかく、固い、緊張にあふるる笑いの少ない真面目一途の日本的スピーチ、、、との印象を深めてしまった。

しかし、結末は、、、、。ブラジル!!なんだか、投票が始まる前から、審査員の心のうちは決まっていたような気がする。

世界のスポーツの祭典と銘打つからには、誘致決定が少なくとも政治力や経済力のみに支配されてはならないからだ。開催には莫大な費用がかかるのは事実だが、立候補するからには、開催への国家的対策の裏付けをもっているところばかりだろう。

BRICsは21世紀経済の牽引を担う新興国として、経済的にも注目を集めているところ。ブラジルはまだまだ通貨や治安の不安定さがささやかれ、一抹の不安が残るのは世界共通の意見だろうが、オリンピックまでにはまだ7年の月日がある。

ぜひ、情熱の国のサンバと明るい太陽の下、逞しく生きる明るい人々のエネルギー溢るる、素晴らしいスポーツの祭典が開かれることを期待している。

サッカーの神様、ペレを排出したサッカー王国。キングカズもここで技を磨いたときく。日本人移民も多い日本ともゆかりの深い国での開催だから、日本からもぜひ応援してあげてほしい。

ともあれ、IOCの投票委員の政治とは一線を引いた、勇気ある毅然とした対応に、なんだか、ホッとしたテツママ。音楽とスポーツの祭典ぐらいは、ぜひぜひ治外法権の自由さと気楽さの元に行われてほしいからだ。

さあ、なんだか、リズミカルなサンバのリズムが今から聞こえてきそう!!楽しいスポーツの祭典の幕開けが楽しみになってきた。

おめでとう!!リオの皆さん!!素晴らしい祭典を期待しています!!

2009年10月1日木曜日

凄まじい戦いの様相??

10月02日にいよいよ2016年のオリンピック開催地が決まる。アメリカはついに、候補地シカゴを援護するため、オバマ大統領の応援演説出席も決まった。日本からは大成功(?)の外交デヴューを果たした鳩山由紀夫首相の出陣だ。

それぞれの候補地を援護するため、錚々たる国家代表が決選投票の日を待ち構えている。果たして、環境対策と文化遺産をアピールし、誘致成功を計っている東京の最終プレゼンテーションは迫力あるものとなるのだろうか。

なんだか、スポーツの祭典の誘致というより、国家的なメンツをかけて戦う様相を呈してきた2016年のオリンピック誘致合戦。昔からこんなに大掛かりだったかな??

不景気で先行きが不透明な世界情勢の中、スポーツの祭典オリンピックを誘致できるかどうかは、景気対策にも、国民への実力アピールにも大いに影響があるからだろう。

Yes, we can!!をスローガンに大統領にまで上り詰めたオバマ大統領の迫力ある演説。日本は温暖化ガス削減目標を25%にするとブチ上げた鳩山由紀夫首相のインパクト十分な最近の発言。

その他の候補地の代表も、負けじと最終プレゼンテーションに向け準備していることだろう。いずこの地に決定されても、何だか後味の悪い悲壮感ただよう結末になりそうな予感がする。

健全なスポーツの祭典誘致がかくも政治色あふれたものになるとは、、、、。たしかに、音楽とともにスポーツは、言葉の壁も文化の壁もすぐに取払ってくれる最大の武器だ。

しかもオリンピック誘致に成功できれば、その経済効果も計り知れないだけに、政治家も目の色を変えて、本気ムードになるのだろう。

さて、その演説の内容は?? 鳩山首相の世界公約、温暖化ガス25%削減目標も多くの日本企業からすでに渋い顔をされ、あまり歓迎されていないような、、、、。

政権発足早々、トンボ帰りで結果も聞かず帰国せねばならぬ程、問題山積の鳩山首相。どうなることやら、、、。折角、順調な滑り出しで高い人気を博したばかりの外交デヴューに傷がつかないといいけど、、、、。

でも奥方ともども地球人を超越している鳩山ご夫妻。ケセラセラ〜〜!!と大声で歌って帰国の途につくのかな?!

2009年9月20日日曜日

ニュースの目

いろいろなニュースでにぎわっている日本。明るい嬉しいニュースはイチロー選手の連日の神懸かり的な活躍。一昨日は、さよならヒットで、まるで子供のように鬼ごっこをし、はしゃいでいた彼。昨日のニュースではプロ入り初のサヨナラホームランで又もや主役に、、、、。

ホームに入るときのおどけた姿。明るく喜びを爆発させる彼。そこには、9年連続200本安打という、大きな新記録をクリヤーし、凄まじいプレッシャーから解放された、私が想像したとおりの楽しみながら野球をしているイチローの一皮むけた姿があった。

つねに、目標を定めて挑戦していた彼も、しばらくはあまりプレッシャーがないだろう。持ち前のジョークと明るい笑顔が戻った彼はやはり何か特別なものを与えられているスーパースターだと感じる。

しかし私は、その明るさと逞しさの陰に言葉も不自由で大きな体格の選手に混じり、細身のイチローが孤高をつらぬきつつ心身を鍛えてきた、気の遠くなるような激闘の日々が痛いほどわかる気がする。

昔から、映画や舞台でも大女優やすばらしい俳優というのは、孤高の厳しさを備えていたときく。世界を見つめている坂東玉三郎や中村勘三郎などの世界公演をみると、凄い努力と気迫を感じる。そして、文化の違いを尊敬し、他国の文化の中にとけ込む努力までしている。

さて、イチロー選手の明るい話題で賑わったニュースの日、涙の会見となった酒井法子さんの保釈会見。あまりやつれた感じはなく、マスコミを通じ謝罪しており、その謝罪会見の視聴率は昨年末の紅白歌合戦を越える視聴率だったとか。国民の約半分近い人々が関心を持って、この会見をみたそうだ。

私はうっかり見逃した人のひとりだが、ネットの説明をよんで、注目する記事にぶつかった。この会見のニュースは海外にもつたわり、中国のメディアの評が載っており、興味深かった。

「酒井被告の謝罪会見の涙は、日本人の本質そのもの、、、」という見出し。中国にも多くのファンを持っていた酒井被告。彼ら中国人の人々からは、ハンカチで目頭をふきふき、大衆にすがるような目をしていた彼女の姿は、日本人を凝縮しているとまで映ったようだ。

「見放さないで!!捨てないで!!仲間に入れて!!」と勤勉だが集団意識が強く、仲間はずれにされることを極端に恐れ、弱々しく他人にもたれ掛かる、一人では力を発揮し難い日本人を象徴しているようだ、、、との見方。

「日本人は一人では力を発揮できない民族だが、大勢が集まると凄い力を発揮する勤勉で集団意識の強い民族」というのが、改めて謝罪会見での酒井法子被告の哀れな涙を通じ分析されていた。

これは、中国に限らず、ほぼ世界的に認識されている日本人の特性。その勤勉さは果たして戦後の混乱期や経済成長を支えてきた人々と同格に誇れるものかどうかわからないが、間違いなく、四季折々の繊細な文化を持つ日本人の精神的弱さは顕著になりつつあるような気がする。

酒に、麻薬に、一時的な逃避を計る若者。社会から受け入れてもらえないとわかり、引き蘢る若者の多さ。何事も社会が悪い、親が悪い、、教育が悪い、、、、などなど、他人のせいにして、怒りをぶちまける人々。

「そうじゃないんだよ!!もっと逞しく、自分の未来は自分で勝ち取らなきゃ、、、。幸せも不幸も自分の心と発想の転換!!自分を強く逞しくし、真の心の独立が果たせなきゃ、他人を思いやり、背負ってたつなんて、無理無理無理、、、」。

自分に幸せ感を持てない人が、真に周りの人に幸せを分けてあげられる心の余裕など生まれる筈がないのでは、、、というのが、かねてよりの私の持論。だから、私は自分を幸せにする様、早め早めに先々を想定し、憂いを無くす努力をしてきた。その姿勢は今もこれからも変わらないつもりだ。まだまだ先は長い(?)けど、、、、。

中国のニュースの最後の言葉、「日本人は、そうした集団意識を隠れ蓑に自分の色を中性化し、上から目線で、諸外国をみる無意味な誇りを捨てるべきだ、、、」という内容のコメントは、妙に胸に響いたなあ〜〜〜!!遅ればせながら、すべての日本人がこの意味を真剣に考えるべき時なのでは、、、、、。

ともあれ、明るいニュース、暗いニュース、様々なニュースが飛び交った昨日。鳩山内閣も始動したばかり。連休明けからが新政府の正念場。国民への素晴らしい舵取りをよろしく。

2009年9月15日火曜日

おめでとう!!イチロー選手

昨日、達成してくれました。MLB新記録、9年連続200本安打を、、、、。イチロー選手ならではの、55本目の内野安打。左脚の脹ら脛痛で8試合も休んでいたイチロー選手。

聞くところによると、肉離れ寸前だった左脚の脹ら脛痛から復帰して以来、脚で稼ぐ内野安打が陰をひそめ、大事をとっていたイチロー選手も200本目の安打には、全力疾走で一塁を駆け抜けたとか。

攻守走3拍子そろった好選手の面目躍如のイチロー選手らしい一打で決めた9年連続の200本安打記録。ともかく凄いの一言。そして嬉しいの一言。108年ぶりの更新で、1900年以降では、7年連続が最高記録だったそうだ。勿論この7年の記録は彼は一昨年更新している。

でも、そのイチロー選手も今年は日本のWBCの中心選手として期待されていた重圧から、心が折れそうな程のプレッシャーと戦い、MLB開幕早々胃潰瘍で、8試合の故障者リスト入り。そして8月に襲った左脚の故障。

他人には言えぬ、苦しい日々を過ごして、もがき苦しんだ末の栄光だろう。しかし、いいねえ!! その達成後のインタビューでの何事もなかった様な彼のクールな対応。彼ほど後ろを振り返らず、思い出に感傷的に成らない偉大な選手も少ないだろう。(表面的には、、、)

「だからどうしたの??」とでも言わんばかりのクールさ。個人記録に対しては、本当に謙虚で、前向きで、常に前しかみないその姿こそ、私の最も尊敬し、お手本にしたい人生の達人そのものだ。

どんな時にも前をみる。特に気負わずさらりと簡単なコメントのみを残す。人間が生きてゆく上で、簡単そうでこれが最も難しく、この内面の逞しさと美しさが彼のあらゆる成功の鍵を握っているのだろう。この自己規律の素晴らしさが、、、。

恐らく彼は現役を引退するその日まで、黙々と自己鍛錬の日々を過ごし、自分の納得できるコンディションを保つための努力を怠らず、自分自身との戦いの日々を送り続けることだろう。

でも彼にとっては、何だかこれからの記録への挑戦は、義務や責任や期待から一歩脱却した、趣味に近い気楽な気分で臨めるのではないかという気がする。

今春、サムライジャパンの一員として、第二回WBCを戦っていた彼は、MLBの日々の戦いとは違い、一戦、一戦が落とせぬ緊張の中で、自分が苦しみもがきながらもチームメートを励まし、饒舌によく笑い、時には毅然とした闘志を露にし、チームメートを鼓舞していた。

彼は無感動でも、周囲に気配りできないのでも、傲慢なのでもない。十分の愛にあふるる熱い魂を内に秘めた本当のサムライだ。その誇り高き孤高の姿勢は日本人のシンボル。これからの若者の素晴らしい目標となってほしい。

天才とは、努力の人の代名詞。それも、逞しい精神力を磨き、自己研鑽を怠らぬ人にのみ、使う事を許される言葉だろう。目下、連続でなければ、10回200本安打を達成したピートローズ選手の記録があるそうだ。

イチロー選手になら、生涯記録で200本安打記録を10回以上つくるのは、そう難しいことではないだろう。ぜひ楽しみながら挑戦してほしい。

ともあれ、本当におめでとう!!そして素晴らしい夢をありがとう。イチロー選手とご家族の皆さん!!

イチロー選手!!貴方の堂々たる雄姿は、今の元気のない日本と日本人へのカンフル剤。又又貴方に元気を貰いました。これからも、沢山の喜びと感動を貴方とともに味わいたいものです。

すべての日本人の誇りとしてこの大リーグ史に燦然と輝く、史上初の9年連続200本安打達成の記録は貴方の偉大なる足跡として永遠に世界の人々に語り継がれることでしょう。

2009年9月11日金曜日

文化の違いーー続編

先日ブログで台湾でのコミュニケーションの複雑性について、私なりの約35年に渡る経験からすこし感想をのべてみた。

日本でも勿論、関西人、九州人、東北人、東京人など、地方によって幾分なりとも文化や考え方、方言などの違いがあり、多少の文化的違和感を感じることもあるだろう。

しかし、日本語のドラマであれば、仮に方言を使っていようと、すべての役者のことばに日本語の標準語の字幕がでることはない。

しかし、中国大陸や、台湾のドラマには、画面に字幕がよくでてくることがある。特に時代劇などのドラマには、それが多い。それほど、同じ民族でありながら、お互いの言葉が聴き取れず、理解不能に陥る言葉が多いのだ。「エッ!!何で字幕が??」と最初のうちは驚いていた私もすぐに理解できた。

私が教えていた大学のクラスの学生だけを例にとっても、自分の生まれてから使っている方言を使うと、クラスメートと話しが通じなくなるのだ。台湾では、標準語といわれる北京語、多くの人が使っている台湾語、客家語、そして、日本語や他の外国語などが、日常的に飛び交い、それぞれの文化を保留している。

勿論、北京語を標準語として教育が行われているから、若い人は北京語を話せば通じ合えるが、自宅に帰り、親族と話しをする時は、間違いなくその民族の方言に戻る。これが、アクセントや訛り程度の違いではないのだから厄介だ。

35年台湾と交流をもっている私でも、聴いてわからない言葉が多過ぎる。そして、その文化に誇りを持っている民族の結束は固く、それが、会社などの共同体の中でも微妙に影響する。まあ、日本の会社にも、関西人、関東人、東北人などなどでグループを作るのかどうか、残念ながら私の日本での職歴は外資系の会社のみだったので、経験がなく、わからない。

日本の10分の一の面積を有するのみの台湾ですら、その中にこれ程の文化的な違いと民族性の違いを持つ。そして、それが微妙にいろいろな行動の変化と成って現れ、35年の交流経験を持つ私にすら、時々理解不能のパイプの詰まりを感じさせる。

だから、その文化、方言、民族性においても、11カ国の国民が同居しているようなもの、、、と言われる中国大陸の人々とのコミュニケーションやビジネス展開を単一民族のFC展開のようなつもりで考えて行ったら、当然大きな問題にぶつかり、その修正へのエネルギーは莫大なロスを生む事だろう。やらない前から大いに想像できる。

アメリカなどの異民族との同居を扱いなれている国ですら、最近は中国語(北京語)が堪能なアメリカ人担当者をたて、ビジネスへの切り込みを計っており、日本も段々そうなりつつある。大手の会社は中国語の堪能な若者を自社で抱え、又は、現地の日本語が堪能な人々を雇い、通訳に当たらせている。

しかし疑問に思うのは、それらの中国語が堪能な日本の若者が果たしてどの位の経営的ビジネスセンスを持ち、どこまで、他国のトップの経営判断などを理解し噛み砕いて的確に重要な内容を伝えられるのだろうか??、、、。又、中国大陸からの日本留学生を入れている会社も、その相手にする会社の所在地と経営陣の出身地や文化的な背景までその留学生が対応できるかどうかまで細かく配慮しているだろうか?、、、。何しろ外国と同じなのである。一歩故郷をでれば、、、、。

人種のるつぼであるアメリカでも、メキシコ人、アジア人などの区別は容易につき、ビジネスを始めたいと考えるなら、それぞれの言葉も含めかなり対応を変化させる準備が事前に考えられるていることだろう。

だからこそ、日本人の中国ビジネス戦略も単一ではなく、深く地方、地方の文化の違い、言葉の違い、生活習慣の違いを考え、現地の人々の言葉位、簡単な内容なら自身が直接話したり聴いたり出来る位の努力を経営陣もしてから、乗り込むべきなのではないだろうか。台湾の経営陣には日本語を聴いてわかる人々が非常に多い。そして努力している。日本語も英語も、、、。中国もしかり、、、、。

逆に考えてみて、もし、明らかに外国人と思える会社の経営陣が流暢な日本語でビジネスを語ってくれたら、かなり早く、日本の会社の経営陣も心の扉を開けるのではないだろうか。

だから、日本の経営者も今後自社のグローバリゼーションをすすめ、世界的な会社にしてゆくには、このコミュニケーションと文化の問題を無視してはいけない様な気がする。急がば回れ!!まず、ここからの切り込みを考える会社が伸びそうな気がするのはテツママだけだろうか、、、。今後の展開に興味津々、、、。

というか、今後の必要不可欠な要素となるであろう。通訳にまかせればいいなどという安易な考えはもう通用しなくなる時代がもうすぐそこに来ている。

2009年9月6日日曜日

チョット寂しい!!

白馬のプリンセス、ユキちゃんが川崎競馬に移籍。中央ではお得意のダート競走で出走可能なレースがあまりなく、仕方なくその特性を活かすための川崎移籍とか。

透き通るような白というより肌色が透けた淡いピンクの馬体で、緑の中を駆け抜けていたユキちゃん。一万頭に一頭という珍しい綺麗な白馬のユキちゃんは、初の白馬重賞制覇を成し遂げた実力馬でもある。

武豊騎手に導かれ、交流重賞G2を2位に8馬身差をつけて勝ったのも、去年の川崎でのこと。ただ綺麗なだけでなく、父クロフネ、母シラユキヒメ(母父サンデーサイレンス)という超良血馬だけに、川崎競馬移籍はとても残念でチョット寂しい気がする。新天地で頑張ってほしい。

アメリカやドバイなどの重賞レースはダートが多いんだから、JRAももう少し世界を見据え、プログラム編成を見直したらどうだろうとチョイと八つ当たり。

寂しいといえば、すでにお伝えしていた、アグネスタキオン後継種牡馬としての期待から、浅屈腱炎を発症後、即引退が発表されていた、ディープスカイの引退式が8月30日に札幌競馬場で行われた。

ダービー優勝時のゼッケン1をつけ、四位騎手を背に現れた彼をみて、改めてその美しい栗毛の馬体と堂々たる貫禄に、その引退を心から残念に思った。これからはすぐにダーレージャパンスタリオンコンプレックスに直行し、病を治し、来年から種牡馬に成るための生活が始まる。父アグネスタキオンの代わりを立派につとめてくれるだろう。

アグネスタキオンといえば、昨日の土曜日、ダノンパッションに期待していた私はがっかり。札幌2歳ステークスに参加した彼は、ディープインパクトの甥という良血。父アグネスタキオン、母スターズインハーアイズ(ディープインパクトの母、ウインドインハーヘアの娘)という、父も母もディープインパクトの最もゆかりの深い血統。

荒削りな走りではあったが、前走では、さすがディープインパクトの甥という走りを見せており、今回も最終追い切りのラップはしまい11秒3という素晴らしい脚をみせていただけに、期待が大きかった。ディープインパクトを三冠馬に育て上げた名伯楽、池江泰郎調教師と名手武豊騎手のコンビ復活で、ゆかりの血統馬ときては、期待するなと言う方が無理であろう。

武豊騎手は最終追い切りの時、角馬場でダノンパッションの大きな尻っぱねに思わず落馬。大事には至らなかったが、そういえばディープインパクトも2歳から3歳ぐらいまでは、よく、パドックでも角馬場でも尻っぱねをしていたっけ。

走る気満々の闘志溢るる姿は、まさにこの血統。今回は残念な結果だったが、次回は頑張ってほしいものだ。

そういえば、今年、メジロマックイーンの最後の産駒が2頭デヴューする。メジロマックイーンも現役時代は池江泰郎厩舎で、ディープインパクトを調教した池江敏行調教助手の秘蔵っ子だった。

競走時代、厩舎の中では、悪ガキみたいに、人をみればニンジンを欲しがり、前掻きしておねだりしていたメジロマックイーン。甘ったれだった彼が、ひとたび馬場入りすると、あたりを威嚇し、威風堂々たる歩様で、馬っぷりが変わったそうで、これほど見事に変わる馬も少ないと池江助手が記述していた本を読んだことがあり、可愛いなあと思っていた。

彼は、言わずと知れたG1を4勝した名ステイヤー。メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンとメジロ牧場自慢の親子3代天皇賞春制覇を達成した、名血中の名血馬だ。息子のホクトスルタンには、4代続けて天皇賞春制覇という期待がかかっていたが、未だに達成されていない。

かつてメジロマックイーンの鞍上に指名された時、武豊騎手は、その至上命令にも近い、天皇賞春制覇の期待に身が引き締まる思いがしたそうだ。現代の盾男、武豊騎手をして、親子3代天皇賞春制覇の偉業には、プレッシャーが強かったのだろう。

しかし、見事に成し遂げたのだから、これも又お見事。そのメジロマックイーンも2006年4月にこの世を去り、その最後の産駒が今年2頭デヴューし、あとは孫の代となる。楽しみに注目したい。

多くの期待馬が引退してしまった今、秋から冬にかけての期待はウオッカとブエナビスタの直接対決のみ。多分最初にして最後となる、この新旧女傑対決は実現されるのであろうか。ファンとしては、ぜひ観てみたい夢の対決である。果たしてどちらに軍配が上がるのだろうか。まあ、九分九厘ウオッカだとおもうけど、、、、。これが走ってみなきゃわからないのが競馬。楽しみ〜〜〜!!

2009年9月5日土曜日

不人気内閣誕生??

衆議院議員選挙が民主党圧勝に終わって数日経った。しかし、まだ、正式に就任しないうちから、これほど欧米のメディアに酷評されている次期首相もあるまい。

ニューヨークタイムス、ニューズウイーク(日本版)、エコノミストなどなど、世界でも有数の雑誌に取り上げられたのはいいが、それがいたって不評。

アメリカに至っては、まだ首脳会談すら始まらないうちから、はやその手腕に疑問符を打たれ、相手にもしてくれない感じ。すでに、日本の異常短期政権サイクルには、ほとほとあきれ果て、又か!!と言う感じで、「さて、どの位持つんだろう??」と賭け事の対象にでもなっているのでは??

「沈み行く日本」などという有り難くないタイトルの記事を発表されても、ぐうの音もでないほどの実力低下。経済成長、発展のみで大きな顔をしていた日本も、昨今の経済の低迷には、アジアの経済リーダーの座すら、中国大陸にあけ渡すのも時間の問題。

特に神話のトヨタや大手電機メーカーの低迷で、一頃の勢いは陰も形もない。欧米の失業率はすでに9.5%, 9.7%と益々増えている。特に問題なのは、20代の若者の失業率の高さ。失業者の中でも若者の比率が2割に近いということは、消費の低迷が益々長引き、輸出国日本の足を引っ張る。

そんな中で誕生した日本の民主党政権。もともとが、自民党への面当てのような気持ちが主で、「あんたがしっかりしないから、しょうがなく民主党を選んだのよ!!」という老若男女の有権者のため息が聞こえてくるような選挙。

日本の未来を背負って立つ、選挙後の若者のコメントの半分は民主党政権反対。半分は仕方がないから選んだ、、、というものとか。自主的にでも期待して選んだのでもない。暗くなるね。そんなコメントを聞くと日本の未来が、、、。

まあ、本命の恋人に裏切られ、仕方がなく、それほど好きでもなかったボーイフレンドと恋人への面当てに結婚する様なもの、、、。

でもさ!!いいのかね〜〜それで、、、。結婚ならまだしも、小さな舵取りミス(それなりに大きいかな??)ですむかもしれないけど、国の舵取りをそんな安易に選んでも、、、、。遥か国外でこの争いを見ている私には、なんだか責任のなすり合い政治という感じがするんだけど、、、。ともかく、大物感漂う政治家不足。駒が足りない日本というところかな、、、。

相手の揚げ足ばかりをとっていて、確たる政策も見当たらぬ新政権のお手並み拝見。でもあまり期待されていない、むしろ批判だらけの鳩山首相。ちょっといいことをすれば、数倍フラッシュを浴びて、逆にやりやすいかもね???できて当たり前と思われないだけ、、、、。や〜〜だなあ、こんな独り言。

くれぐれも、「あ〜〜あ!!あの失言首相が懐かしい!!」などということがないよう、祈るのみ。でも危ないね、アジアでも世界でも日本丸は!!沈没寸前の感じ。頑張れ日本!!

2009年9月3日木曜日

文化の違い??

最近、又少し頭が痛い問題に直面している。それは、日台のコミュニケーションの難しさに関するものだ。

顔も外見もほぼ同じ。過去には50年も日本が祖国として、建設した台湾。その親日的態度は、やはり、世界広しといえども台湾に勝るところは少ないだろう。

今現在すでに80歳以上の高齢者の中には、日本語の上手さやその日本文化の理解度の深さに感心し、頭が下がる思いがする人も多い。

しかし、時代は変わった。今の台湾の企業戦士として働いている若い人々は、殆どが日本語とは無縁の世界で育ち、小学校では、戦中の日本の無謀な戦略に弾圧された同胞の歴史を習い、あまり最初から日本や日本人に心を開く人は多くない。

勿論、お年寄りから脈々と受け繋がれてきた、日本製品への愛着と信頼により、世界でも異常なほど、日本製品指向が強い。日本の若者の好きな音楽やファッションもあっという間に台湾でも流行、情報社会に成った今、殆ど時差はない。

しかし、反面、元々日本人より個を主張する、又、あまり周りと連携をとるための時間を裂かない仕事のスタイルは、往々にして、身勝手な発想をうみ、逆に無駄な時間をとりやすい。

幼少時代から他人に迷惑をかけないように、かけないようにと家庭でも学校でも教育されて来た日本人の感覚と、現在の若者の祖国中国の、戦乱の世を自身と家族の身を守ることに精一杯な現実的な生き方を余儀なくされた逞しい民族性とは、かなり違う発想であることを認めざるを得ない。

この点から見ると、長く成功している日台関係の会社は、創立者がほぼ日本人に近い発想を持っており、後進にその文化的理解力まで教えこんでいる会社が多い。勿論企業的実力もさることながら、、、、。

しかしながら、そんなトップでも、実際に使用している多くの社員の生まれながらの個性はなかなか治し難く、結局、色々なところで、日本とのビジネス継続に苦労している。

まあ、台湾でよく例にでることだが、高速道路の車の走り方を例にとればよくわかるであろう。私からみたら、無謀、メチャメチャ、乱暴な走り方で、さぞ交通事故が多いだろうと思うが、それが、日本とあまり変わらないのである。

逆に日本的に紳士的に(今はわからないが、、、、比較的、、、)トロトロ走ったら、一発で事故るそうだ。では、、、、?? 声を大にして「貴方達、そんな走り方をしたら、危ないじゃないの!! 日本式に走りなさい!!」と怒鳴っても、99%の人々の走り方が同じで、事故もすくなく、お互いの走り方が予測可能な場合、その走り方を変えさせるのは不可能に近いのである。

欧米の人々とは、一見して、顔も姿も大いに違い、文化も考え方も全く違うことをすぐに頭でも行動でも理解し、比較的寛容な日本人だが、東南アジアの民族が相手となると、どうもその外見から、なかなか、全く違う民族としての発想を理解し難く、特に中国大陸などとのビジネスでは、苦戦していると聞く。

そんな発想の違いを補佐するのが、私の仕事なのだが、いつもこの仕事に入ると、どちらの文化も多少わかるというのは、誠に厄介で、胃が痛くなる。そして、巨大な岩に体当たりしているような無力感も時々味わう。

この歳にして、まだまだ力不足。まだまだ勉強の日日は続く。

2009年8月26日水曜日

色々な出来事

そろそろ夏も終わり、朝晩涼しさを増して来たカナダの東部です。ニュースを読むと、最近又、色々な出来事で賑わっている世界。

日本では、芸能界の麻薬汚染。殺人まで含まれ、なんだか変なところが欧米並みのスケール。恐ろしいの一言。大切に育てた子供達に忍び寄る誘惑には鳥肌がたつ思い。

残念な出来事の一つは個人的に楽しみにしていた、可愛い牝馬、ブエナビスタの凱旋門賞挑戦が断念されたこと。わずか首差とは言え、札幌記念のG2で2着では、世界の壁はとても厚く、諦めざるを得なかったのだろう。

しかし、並みいる牡馬の一線級を退け、堂々の2着なのだから、確かに並の3歳牝馬ではない。まあ、秋の国内のレースを楽しみにしよう。

イチローの左足脹ら脛痛も気になるところだ。9年連続200本安打というMLB新記録を控え、相変わらず好調だっただけに、一日も早い回復を祈りたい。

彼程のスケールになると、いとも簡単に記録を塗り替え続けるが、やはり見えないところで、体に負担がかかっているのだろう。プライドの高い彼。弱音は吐かないが、今年は出だしといい、無理をしなければいいが、、、、。

最後に、ギョッと驚くニュースは、何と何とマイケルジャクソンの死が主治医による他殺と検死の結果断定されたことだ。毎月1500万円位のサラリーで彼の家に同居していた主治医。

不眠のマイケルに頼まれ、致死量以上の投薬をいやとは言えなかったのだろうという推測だが、医師としての良心を問われる出来事。何たるショック!!あ〜〜あ!!億万長者でなければ命を落とす事もなかっただろうに、、、、。

2009年8月21日金曜日

残念なニュース

ダイワスカーレットについで、アグネスタキオン産駒として大活躍していた、ディープスカイが、奇しくも父、アグネスタキオンと同じ浅屈腱炎で引退決定という残念なニュースを読んだ。

このところ、名牝ブラックエンブレム、ピンクカメオなど、活躍牝馬も相次いで引退。チョット寂しい気がする。

ディープスカイは言わずと知れた2008年のダービー馬。その前のNHKマイルカップからの変則2冠達成はキングカメハメハ以来の快挙。その数々の活躍で、2008年度最優秀3歳牡馬に輝いた名馬だ。その鼻に刻まれた白く綺麗な流星と可愛い目を持つ素敵な馬であり実力馬だった。

昨年秋の天皇賞では、ダイワスカーレットとウオッカの激闘の陰で、残念ながら3着に終わってしまったが、古馬の中で3歳馬でありながらその存在感は見事で、堂々たる走りはダービー馬としての面目躍如。最後まで父アグネスタキオンと同じ安定感溢るる走りを見せてくれた。

脚部不安はこの父アグネスタキオン譲りなのだろう。残念な遺伝子である。幻の3冠馬として、生涯成績4戦4勝というパーフェクトの成績を残し、皐月賞後引退してしまったアグネスタキオン。惜しくも11歳という若さでつい先日、6月末にこの世を去ってしまった父と同じ病での引退。

症状とすれば重症ではなく、長期休養をすれば復帰も可能な程度だそうだが、何しろ、昨年度、リーディングサイヤーとして輝いた父アグネスタキオン亡き後の、もっとも期待される後継種牡馬、ディープスカイ。

これからの大仕事は父に代わり、立派な子孫を残す事。今回、浅屈腱炎発症後、即引退の措置がとられたのも、馬産界の未来の産駒への期待が非常に高いからに他ならない。

彼は、ダーレージャパン(アドマイアムーンが所属するファーム。アラブ首長国連邦のシェイクモハメド皇太子の所有)で種牡馬になるという話しが出ているそうだ。イギリスのニューマーケット他、世界に拠点を持つゴドルフィン軍団での種牡馬生活開始。

世界の優秀な牝馬と交配が行われ、産駒は世界に羽ばたくことであろう。数々の名勝負とその素晴らしい馬体、ハンサムな容姿をファンの目に焼き付けてくれた、ディープスカイ。元気でね。そして、お父さんの分まで長生きして、素晴らしい産駒を残してね。お疲れさま!!

2009年8月16日日曜日

新たな驚き

今年の夏は、日本からの友人家族が我が家に滞在していました。私にとっても、忙しい3週間のプログラムが終了しました。

私は、このご家族の長男君の海外語学研修と乗馬の学校へのデイキャンプ参加のお手伝いをしたのです。私のブログの愛読者であり、兼ねてより交流を続けていたご家族の新たな試み。

ついにこの長男君はまだ(もう??)5歳にもかかわらず、3週間の乗馬学校のコースを一日もやすまず、無遅刻で完走。英語とフランス語の環境の中でですよ!!

週3回(2回だと思っていたら3回でした。)の乗馬練習をこなし、まだ小型の馬とは言え、単独で騎乗し、停止回転などたずなを引いてコントロールするなど、見事なパフォーマンスを見せてくれました。

今朝、無事に日本に帰国の途につきましたが、誇らしげにキャンプ規定のTシャツと帽子をかぶり、キラキラした目で我が家を後にしました。

昔からブログでも、子供の無限の可能性をアピールしてきましたが、本当に見事な国際デヴューで、彼のご両親も心から満足そうでした。

日を追うごとに、食事の量も増し、溌剌と学校での出来事を話し、エネルギー一杯の活動をこなした彼には、その思い出のTシャツや写真を見るたびに、今後の大きな自信となることでしょう。

わずか3週間のサマーキャンプでしたが、心身ともに大いなる成長を感じさせてくれた子供の未知の可能性と柔軟な適応力、逞しさに、再度、新鮮な驚きを感じた夏でした。

2009年7月30日木曜日

それぞれの夏

ちょっとブログご無沙汰しました。とにかく、体がいくつあっても足りない程忙しいのです。といっても生来のおせっかいが招いた自業自得なのですが、、、、。

8年前、我が家の庭でガーデン結婚式を挙げた日本人の友人夫妻に目出たく長男5歳、長女2歳が生まれ、その長男君が晴れて国際デヴューを果たしたのです。

私が連載していた子育てに関するブログも愛読してくださったご夫妻で、日本ですでに、英語の基礎を少しつけてあったのですが、何しろこちらはフランス語圏。

その上、朝8時から夕方5時までのデイサーヴィスで、馬の学校(まだ最年少組なので、乗馬は週に2回。その他川遊び、プール、動物の世話など、大自然の中でワイルドなキャンプ)に入ったのですから大人の目から見たら大変な事。

しかし初日の周りの緊張ぶりをよそに、本人は至って逞しく、ついに今日で3日継続。堂々たるデヴューです。兼ねてよりやった事のない大人の頭で考えるより、子供には無限の可能性と逞しさ、適応力があることを説いていた私も、想像以上の順調な滑り出し。

彼は昨日ついに、乗馬の初回もクリアーし、キラキラした目で私に報告してくれました。見事なものです。日本人の大人がいきなりアラビア語や韓国語の学校に入れられ、9時間も耳慣れない言葉の環境の中でこうも堂々と時間を過ごせるでしょうか。

やはり、子供だからこその、それも、目標を定めてかなりの独立訓練を親子で経てきたからこその成果でしょう。彼は日本でも朝早く起きて畑の仕事をし、夜は8時に就寝。なるべく体を鍛えるため、外で運動。

こちらの大自然の中、昨日は長靴を履いてキャンプ場で川遊び。ロープウエーからの空中ジャンプなど、楽しくて仕方がないようです。

ちなみに今日のお世話当番の動物はウサギ。昨日まではヤギでした。今回はとりあえず3週間のキャンプですが、最終週には、お父さんも日本から駆けつけ、乗馬の腕前を見学する予定なので、本人もやる気満々です。

世界中の子供達はすでに夏休みが始まり、それぞれの夏を過ごしている事でしょう。逞しく、健康で、豊かな心の子供達こそが、これからの世界の国の宝。大切に育みたいものです。

2009年7月20日月曜日

暑いなあ〜〜!!東京

おひさしぶりです。ちょっと台北へいっていました。台湾は南国だから、さぞ暑いと思ったら、何と何と、東京の方がずっと暑いのには閉口。

本当にもう、クーラーなしの生活なんて日本じゃかなり無理そう。カナダの我が家はクーラーとヒーター兼用で温度コントロールが出来る機械が入っているのですが、大抵5月から9月末までは切っていて、自然の温度です。

カナダの夏の家は、窓を開けていれば、涼しい風が入り、外でも木陰は本当に涼しくクーラーもあることを忘れます。夜などは布団をかけて寝ないと朝方寒く感じるときもあるぐらい。

ああ!!もう、日本の夏も冬も私には厳しいなあ〜〜!!やっぱり湿気の強さにはうんざり。みんなで地球環境を壊したバチね。

夏バテに皆さんもご注意を!!そういえば、この出張前に問屋でうなぎを1ケース(24本入り)買ったんだ!!早く食べて元気をつけなきゃ!!

少々バテ気味のテツママより、皆様への暑中お見舞いで〜〜〜す。お体お大事に。

2009年7月12日日曜日

暖かい配慮を!!

先月の話になるが、幻の3冠馬として、無敗で皐月賞を制覇したのち、屈腱炎を発症し、種牡馬となった、アグネスタキオンが突然死した。

その競走時代のあまりにも強い姿から、今でも「もし、ダビーに参加していたら、、、」とか「もし順調に古馬になっていたら、、、、」と多くのファンに惜しまれ続けている。

しかし、種牡馬と成ってから8年。彼の残した産駒はまことに見事で、中でもダイワスカーレット(生涯戦績12戦パーフェクト連対。史上初)、昨年のダービー馬、ディープスカイなど、超一流馬を多く排出してきた。

そのため、あのディープインパクトが種牡馬となって、最高種付け料1200万となっても、わずかクラシック一勝の戦績で種牡馬になったアグネスタキオンが、諸先輩馬を差し置いて、第二位の1000万円の種付け料でも引っ張りだこだったそうだ。

昨年度は長く続いた父、サンデーサイレンスに代わりリーディングサイヤーに輝き、産駒がこれほど見事なパフォーマンスを見せているんだから、馬産家の人たちが飛びつくのも無理はないかもしれない。

しかし、人間が、その欲望と夢と金儲けのために、もの言わぬサラブレッドを酷使していることにはならないだろうか????アグネスタキオンの死は心不全だったと聞く。

このクラスの種牡馬になると平均年間100頭への種付け数をはるかに越えた、200回前後にも達するという。平均して毎日というわけではないから、春の牝馬の発情期に集中する重労働。いくら優秀な産駒を出すからといっても、何だかアグネスタキオンは人間の欲と身勝手さに殺されてしまったような気がする。

昔昔、初の牝馬ダービー馬として、競馬史に燦然とその名を刻んだヒサトモという馬の末路を皆さんはご存知だろうか。これまで牝馬がダービーを制したのはウオッカを含めてわずか3頭。ダービー開設後第6回大会(昭和12年。つまり戦前)で初めて牝馬ヒサトモがウオッカと同じく、すべての参加牡馬を蹴散らし、颯爽とゴールをかけ抜けた。本来なら幸せそのものの未来の生活が待っているはずだった。

しかし、その後、競走時代、繁殖時代のオーナーの没落という悲劇に見舞われ、又、彼女自身も受胎が難しい牝馬で、ついに輝かしい初代ダービー牝馬でありながら、地方競馬に売り渡され、15歳(人間なら60歳ぐらいとか)で競走生活に復帰。強い調教に耐え、けなげに2戦目を走り終えた後、厩舎に戻る途中で心不全に襲われ、崩れるように倒れ、この世を去ったそうだ。勿論強すぎる調教による過労死であったことは言うまでもない。

復帰一戦目では、ゆるゆるの体で久々のレースとはいえ、そこは初代ダービー牝馬。地方のごちゃごちゃの馬を相手では役者が違い、楽勝してしまったがための悲劇だった。そのときも周りの人間の欲と面白がったばか騒ぎに哀れにも犠牲となり、遺体もその後どこに埋葬されたかすら記録がなく、不明とか。人間の欲望の犠牲になった本当に悲しい哀れな末路だ。

今、私が心から心配しているのは、ディープインパクトの健康だ。アグネスタキオンの夭逝でディープインパクトへの負担はさらに増しているのではないだろうか。

欲に目がくらんだ馬産家の「自分さえよければ、、、」という犠牲にだけはなってほしくない。彼は競馬サークルを越えて、広く国民に夢と希望を与え、不景気や不透明な世の中に一陣の爽やかな風を送り込んでくれた国民的ヒーローだ。

アグネスタキオンの突然の心不全死。ヒサトモの哀れな心不全死を思うにつけ、心から競馬サークルの人々の常識ある、暖かい対応を願う。彼、ディープインパクトは全ての日本人の宝であり、誇りだからだ。その健康管理と節度ある無理の無い交配日程に直ちに見直されることを願ってやまない。

そうでなければ、あんな愛らしい国民の英雄を4歳で引退させられ目の前から消し去られても、まだ愛らしい姿を追って牧場まで会いにいったり、その姿をDVDで偲んだりしているファンの気持ちが収まらない。

思い出してください!!2005年から2006年にかけて、もっとも国民に愛され、不透明な世の中に彗星のごとく現れ、人々を勇気づけてくれたのは、彼、ディープインパクトだったんですよ。その胸のすくような走りにどれだけの人が救われ、自分の希望を載せたことか。

子供達の澄んだ目にも、彼は英雄で将来の大いなる夢だったことを忘れずに、大人の欲に目が眩んだ犠牲にだけはしないでほしい。管理している牧場の人々も今一度よく考えてほしいと願い、あえてブログに掲載し、お願いを述べました。

長生きしてほしいです。ディープインパクトや、その他の多くの夢をくれた名馬には、、、、、。もの言えぬ身だからこそ、我々人間が労ってあげねば、、、、。今回のアグネスタキオンの若すぎる死は我々への警鐘だったとしか思えません。

2009年7月10日金曜日

流行とまやかし

どんなものにも流行がある。それは生き物(ペット)などにも顕著に観られる。ブランド物が大好きな日本人は、犬やネコも流行のブランドものが大好きで、有り難そうな血統書がついていると、高いお金を出して買うらしい。

欧米諸国と比べて、日本のペットは異常に高い感じがする。でも、結構売れるらしい。昔、西太后という悪名高き后が、中国の王朝を支配したとき、取り巻きの宦官がこぞって可愛い愛玩犬を献上し、ご機嫌をとった。

その中でも、シーズーというペキニーズの改良種のような、面白い顔をした犬をこの西太后はこよなく愛し、当時は珍重された犬だったとか。でも彼女の没落とともにかなり虐殺されてしまったと聞く。

事程さように、目的をもって、適当に交配され、有り難そうな血統書を付けて、高く売り出されている犬、ネコなどの先祖は実に怪しい血統らしい。何代も前の記録など、実はほとんどないとか。17世紀以前のサラブレッドもしかり。

大体アラブの馬、アジアの馬、欧米の馬を適当に掛け合わせ、当時の欧州貴族の趣味的遊びとして、その骨格が形成されてきたサラブレッドの血統表。まだ、実際に多くのレースに参加し、輝かしい戦績を残した牡馬なら、17世紀初頭ぐらいからかなり信頼できる血統表があるが、繁殖牝馬ともなると、その数世代前の記録などは実はほとんどなく、誠に怪しい記録だそうだ。

そのサラブレッドづくりにも時代の流行がある。昔々は、欧州ではステイヤー(長距離を得意とする馬)が珍重され、短距離のスピード馬はあまり珍重されなかった。とくにイギリスの馬産家などには、ステイヤーこそが価値ある種牡馬であり、繁殖牝馬だった。そしてその時代がかなり長く続いた。

しかし、アメリカ競馬が盛んになり、強い中短距離馬が現れてからは、サラブレッドも段々中短距離馬がモテハヤされ、兎に角スピード感のある、速くて軽快な馬こそが素晴らしいとモテハヤされるようになってきた。

なぜこんな話題をとりあげているのかというと、皆さんはウオッカの母系の血脈をご存知だろうか。ご承知のとおり、彼女は64年ぶりに牝馬として、ダービーを勝ちその後も素晴らしい活躍をつづけ、牝馬歴代最高の賞金をかせぎ、G1を6個もとっている凄い牝馬だ。

父のタニノギムレットもダービー馬だから、彼女は素晴らしい素質を元々持っていた馬で偶然の産物ではない。

ウオッカの母系は実はステイヤーの素晴らしい血筋を重ねて重ねてつくり上げられている。谷水牧場は現在のオーナーのお父さんの時代から、素晴らしい血統を未来のために積み重ねてきた。その努力が、父娘、ダービー2代制覇という素晴らしい成果となって現れて来ているのである。

そのお手本となったのが、あるイギリスの繁殖家。多くの欧米ブリーダーが素晴らしいスピードを持つ中短距離馬を繁殖馬や種馬として求め交配させることが流行り始めた中、彼は頑固にステイヤーの血を絶やさずクロスさせ、血統の中に織り込んできた。

その結果、ステイヤー同士の交配でも、オールマイティのもの凄く強い馬が多く現れ始めたのだ。元々ステイヤーとは地力があり、長丁場を走るため、我慢強く粘り強く、そして、直線最後の戦いでは、最後の力を振り絞りスピードを上げてラストスパートもできる。

そんな名馬の血は、その後、人間の調教次第で、あらゆる距離適性の力をみせるようになって来たのだ。

ウオッカはマイル(1600メートル)が最高と言われているが、2400メートルのダービーも制した。ダイワスカーレットとの死闘を演じた昨年秋の天皇賞も2000メートルだった。ダイワスカーレットは2500メートルの有馬記念を圧倒的な力でねじ伏せた。この2頭が生み出す子供はどんな子供なのだろうか。遺伝子上、本当に楽しみである。

種牡馬の優劣ばかりが騒がれがちだが、実は繁殖牝馬の素晴らしい特徴を大いに目覚めさせるのが、名種牡馬。つまり、この世界でも繁殖牝馬の優劣こそが、大きく産駒の能力を左右する。やっぱり母馬の影響大なのである。

だからこそ、英国王室なども、優秀な繁殖牝馬を大切に大切に重ね合わせてきた。今、その王室の末裔として、日本で繁殖牝馬となっているウインドインハーヘア(ディープインパクトの母)なども実に素晴らしい王室秘蔵の牝系の血が流れている。

もともと17世紀以前は怪しい血統だったサラブレッドもイギリスやフランス、イタリア、ドイツなどの貴族、王室に大切に研究され、人間の試みによって、優れた素質をさらに高め、磨き上げられてきた。とは言え、名馬ばかりが掛け合わされてきたのかというとそうとも言えない。中には無名の馬も混じっている。

でも、ステイヤーとしての地力を備えていさえすれば、人間の調教技術で、距離適性はかなり融通が利く事を我々に身をもって示してくれたウオッカと谷水牧場の交配記録。

人間もしかりではないだろうか。まず子孫を粘り強く、我慢強く、逞しく育て上げ、その素質を全開させるよう指導し、未来に必ず花開く事を信じ、百年の計をたてる。その基礎作りこそが独自の一流のブランドをつくり上げる早道。マヤカシの紙(血統書、保証書、卒業証書、権利書)などには、誤摩化されぬ確かな目が必要な時代だ。

2009年7月6日月曜日

夏のひととき

タイトル程、優雅なお話しではない。雑草との格闘のお話。このところ朝か、午後、必ず大雨がふり、その後、カーッと真夏の太陽が降り注ぐ。

従って、花々や芝生への水やりの手間が省けておおいに楽だが、この様なお天気は、雑草達にも最適なお天気。伸びる事伸びる事。ちょっと不注意をしていると、あっという間にそこら中雑草の天下。

放っておくと、多年草の花咲が悪く、養分を吸われてしまうので、夏は雑草との戦い。中には可憐な花をつけていて、抜くには忍びない草花もあるんだけど、一応、庭としての美観を損なうものは抜かなくちゃ。

毎年、この時期になると、雑草を抜きながら、物思いにふける。踏まれても抜かれても、大地にしっかりと根をはり、又翌年にはむくむくと顔を出す雑草。強いなあ!!

改良種になればなるほどバラなどは脆い。人間も大自然から学ばなくちゃならないことがあり過ぎの様な気がする。便利さの追求。快適な空間。素晴らしい美を追求するあまり、何か人間も動物であることを忘れ去っている様な気がする。

もう、クーラーや洗濯機のない家庭は少ないだろう。その結果、ビルの谷間はいつもエアコンから排出される温風で、夏はうだるような暑さ。

車の排気ガス。空気汚染。快適なオフィスへ行くまでの家畜電車。(まあラッシュの時だけだろうけど、、、、。)何かが何処かで狂い始めている感じ。

高い学歴を得るために、泥んこ遊びをあきらめさせ、勉強、勉強と口をつくのは勉強を強いる言葉が多くなる親。勿論勉強は大切だが、親までが先生と同じく子供を管理し、自由に発想させず、子供の自由を奪い、その個性を重視せず、尊敬する事を忘れたような世界。

全てお膳立てされた環境で、ただ勉強ばかりしていた子供に、もし、何か意外な問題が発生したら、恐らく柔軟な対応は難しいだろう。勉強に専念させるために、勉強以外のことは殆ど親が手を出し、他にも大切な冒険や失敗をさせて精神力を鍛えていないからだ。

今日本は、政治、経済、文化ともに混迷の中にある。すでに今年の秋の東京モーターショーには、ポルシェもフェラーリも不参加だそうだ。そこで、困り果てた主催者側は日程を短縮することにしたそうだ。

勿論、世界的に不況。特に自動車産業の落ち込みは激しい。しかし、今年の上海で行われたモーターショーには、ポルシェもフェラーリも参加していたというのに、、、、。どうして日本には来ないの??こんな一時期では考えられない様な不人気な日本。

今、確実に日本は、世界の中であまり注目されない素通りされる国になりつつある。北朝鮮にもバカにされ、ミサイルも7発も打たれた。

こんな時期に政治は相変わらずお家騒動ばかり。首相が国費を使って政府専用機でアメリカのオバマ大統領に会いに行ったときも、ランチすらご招待がなかったそうだ。何億円の無駄??

このようなたよりない国の基礎を根底から支えられるような、強い子供を、しっかりした子供を、逞しい子供を育てるのは、日本の母。勉強より先に、まず、逞しい、国際的にも強い魂を持った子供の育成に期待したい。

2009年6月28日日曜日

巨星落つ

又ひとつ、世界の巨星が静かに落ちた。マイケルジャクソン。キングオブポップと賞賛され、全世界の人々を熱狂させた偉大なるスターのあまりにも突然の死。

世界を震撼させたそのニュースに誰もが耳を疑った。なぜなら、彼は来月中旬から最後の全英ツアー開始を予告し、連日リハーサルを繰り返している最中だったからだ。

1980年代から90年代の始めまでは、飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼。しかし、その後のスキャンダラスな出来事の数々はこの不世出のスーパースターの肉体を蝕み、最近は薬物中毒と噂され、常に健康不安説が流れていた。

その歌声のみならず、素晴らしいダンス、ムーンウオークなどのパフォーマンスは余人の到達できぬ鮮やかな輝きを放ち、観るものすべての人々の心に突き刺さるような衝撃だった。

まだわずか50歳。あまりにも若過ぎる。先日、エルヴィスプレスリーのグレースランドを訪問したときにも感じた事だが、きらびやかな衣装、数々のゴールド、プラチナレコード、広大な土地に自家用ジェット。

数えきれぬ華やかな物質に囲まれ、きらびやかであればあるほど42歳でこの世を去ったエルヴィスプレスリーの孤独と苦悩の叫びが伝わって来るような気がした。

エルヴィスの娘、リサマリーは、キングオブロックと称された偉大なる父と同じように、晩年は体がボロボロになるまで、スキャンダルにつきまとわれていた前夫マイケルの死を聞き、言葉も出ない程ショックを受けたそうだ。

もう、何も苦しむことのない世界に行けて、もしかしたらマイケルも楽になれたのかも、、、。ともあれ、白人ながら黒人の歌声さながらの魂を込めた歌声を届けたエルヴィスプレスリー。

スポーツではゴルフのタイガーウッズ、政治ではオバマ大統領が人種の壁を超えたと言われているが、それよりも遥か前に素晴らしい歌声とパフォーマンスで世界の人種の壁を乗り越えたマイケルジャクソン。やはり素晴らしい見事な巨星だった。静かにご冥福を祈りたい。

2009年6月25日木曜日

夏のたより

もう、完全に夏です。暑い日差しとけだるい芝刈りの音。綺麗な花々。深い緑。そして、行き交うゴルフカート。

我が家のベランダから見える毎年夏の風物詩。6月ももう終わりに近づき、真夏の7月を過ぎると段々秋の足音が聞こえてきて、短い夏の終わりを迎えるカナダの東部。

これからの一ヶ月ぐらいが、本当に遊びには最適な季節。ちょっと家を留守にしている間に、すっかり花々の緑がふかまり、彩りが増し、あっという間に景色を変え、一気に夏の訪れを感じさせてくれるようになった我が家の庭。

これらの草花の成長を見ると、本当にたくましいなあと羨ましくなる。どんなに雪にとざされようとも毎年きまって、大輪の花を咲かせる自然の営み。人間なんて、本当にひ弱だなあと改めてこの時期には圧倒される思いがする。

帰国してまだ日が浅い私は、まだまだ頭がボーッとして本調子ではないが、鮮やかに咲き誇る庭の牡丹や芍薬、バラに囲まれ、大いなる癒しと元気を貰っている感じ。音楽と芸術とそして、咲き乱れる花々。又、ゆったりした時間につつまれている。

2009年6月11日木曜日

息子の言いがかり

このごろ、息子に変な現象が現れている。とにかく、忘れ物が多いのだ。朝出かけてからしばらくすると、「へへへ、、、」と照れ笑いしながら戻ってくる。

さいふ、携帯電話、そして、なんとなんと仕事用のパソコン。昔の息子には考えられぬ忘れ物。比較的家族の中では慎重で、これまであまり見られなかった現象だが、遺伝子的には、絶対に起こりうる現象なので、見ているこちらも苦笑い。

とにかく、私の実母が忘れ物の名人。数え上げればきりがなく、世界中で忘れ物をし、誰かを喜ばせていた。ニュージーランドではホテルのベッドの枕の下に胴巻きを置き、中の現金他貴重品をそっくり忘れ、約出発後3時間ぐらいしてから、「あれ〜〜〜っ!!」と気付き、ホテルに電話!!

でも残念ながら、「そのようなものは御座いませんでした!!」という非情な一言でパー。シカゴで、ロスで、カナダで、忘れ物や盗難やともかく色々とやらかしてくれた。かくいう私も傘、サングラス、帽子、マフラー、スカーフ、ハンドバッグなど、ひょいひょい置き忘れ、数えられないほどの失態。

従って、息子には偉そうな事は言えないのだが、ひとつ気に入らないのは、私が日本に来て、息子のアパートに居る時に限って、なんだかボーッとして、忘れ物をすることが多いと変な言いがかりをつけている事だ。

自分は少なくともこんな危なっかしい祖母や母親の遺伝子を濃く受け継いでいることを直視し、十分自分も粗忽であることを認め、今後は注意してほしい。さもなくば、母親のように、子供をスーパーに置き忘れ、家に帰ってから、「あれ〜〜〜!!大変!!忘れちゃった!!」というトンでもないハプニングもあるよ。へへへ、、、、。

2009年6月7日日曜日

紅一点の頑張り

伝統あるG1安田記念1600メートル春のマイル王決定戦が終わった。牝馬と牡馬という組み合わせの2頭のダービー馬のマイル決戦は史上初。香港から参加した2頭も加え、アジアマイルチャレンジと銘打ち、最強マイラーが集結した豪華メンバーの紅一点、ウオッカが最後の100メートルを切ってから魅せたもの凄い瞬発力と豪脚にテツママ吃驚、そして感動!!

やはり彼女はドバイで終わってなんかいなかった。今日は先回のG1ヴィクトリアマイルで7馬身もちぎった、牝馬同士の闘いのようにはすんなりと勝たせてはもらえなかったけど、結果は皆さんもうご存知の、最後の最後の彼女のもの凄い末脚にすべての牡馬が脱帽。

勿論、牝馬の枠を大きく超えた名馬と呼ばれて久しい彼女、ウオッカ。でも、レースを終えて息を整えた後の本当に優しい、穏やかな目を見ると、やはり牝馬特有の可憐で奇麗な目。

今日は多分、昨年のダービー馬、ディープスカイは99%勝利を手にしたと思っていただろう。最後の10歩ぐらいまでは、、、、。

「満員電車内でオジさんたちに囲まれ、降りたくてもなかなか降りられない女の子のような状況で今日は虐められました」とユーモアたっぷりに最後の直線で他馬に囲まれて、スパートできなかった状況を説明していた武豊騎手。

「今日の私の騎乗は下手でした。馬に感謝です。馬を褒めて上げてください!!」と勝利騎手インタヴューで話していたが、確かに周りを取り囲まれ、出口を完全に失ったかに見えていた最後の直線。

私も「危ない!!出口がない。囲まれた、、、」とウオッカの勝利を一瞬あきらめかけた。しかし、最後の一ハロンぐらいからの武騎手の狭い狭い隙間を縫って抜け出した見事な手綱捌きを目の当たりにして、「さすが!!」と本当に超一流の素晴らしいものを見せてもらった気がした。

思惑がはずれ、馬混みに閉じ込められ、自分の描いた作戦が裏目にでたことを正直に話し、「下手な騎乗でドキドキさせてすみません。馬に助けられました!!」と話していた武豊騎手。しかし、誰もが目を疑ったあの一瞬の脱出劇と最後の最後の大逆転劇は、やはり、武豊騎手の冷静沈着かつ剛胆な超一流騎手の手綱捌きなくしては生まれてこなかったことだろう。

ピンチを見事な大逆転劇につなげ、ますます紅一点のウオッカの強烈な末脚にスポットライトをあてさせ、素晴らしいエンディングに導いてくれた武豊騎手。春の東京G1最終レースを飾るに相応しい興奮と感動をありがとう。そしてウオッカをここまで素晴らしく磨き上げてこられた陣営の皆さん、本当におめでとうございます!!

ウオッカ!!貴女は本当に円熟した素晴らしい女傑。まだまだ、引退させるには惜しいまさにまさに今が旬の堂々とした名馬。牝馬史上初の10億円馬、牝馬単独最多G1勝利記録など、数々の金字塔を打ち立てたこのヒロインのドラマはまだまだ終わらせたくない、、、。

2009年6月6日土曜日

日本の陪審員制度に一抹の不安!!

いよいよ日本でも裁判の陪審員制度が導入され、民間人が裁判に加わり始めた。「選ばれちゃったらどうしよう!!」と不安を抱えている人も多いときく。

そんな不安を解消させるべく、裁判所や法の現場では、色々な対策を練っているとも聞く。たとえば、過去の判例を教え、答えを導いたり、妥当な量刑の重さを示唆したりする工夫が施されている。テレビでも裁判員制度開始のスペシャル番組を放映し、関心を高めている。

しかし、こんな状態を見れば見る程、「大丈夫かあ〜〜!!」と不安になる。日本という土壌は昔から「男は黙って、、、、」とか、「女は嫁しては夫に従い、、、、、」などなど、自分の意見を強調したり、主張したり、うまく説明したりすることを良しとせぬ、舌足らずな文化が蔓延ってきた。

戦後急速に欧米の文化が入り、男女平等、思ったことは自由に、、、、などなどと表面はかなり変わったように思われがちだが、まだまだ、会社という組織体では、歴然たる上下意識が蔓延り、男女平等といいつつ、女性が意見を言い過ぎると「あの女は、、、、」と陰口をたたかれるのも日常茶飯事。

テレビなどをみても、子供時代から自分で自分の意見をしっかりと持ち、自己主張を思いっきりし、周りの人はその意見に耳を傾ける習慣が足らないのでは、、、、と思われるような、すぐに親の顔色や周りの反応を見ながら話す子供が多いように見える。

そもそもまだ大人自身がなるべく周りにあわせ、目立たず、平凡であること、異端児だと思われないように、できるだけ無難な答えを出そうと努力しているような社会風潮の中で、一体何人の人が、他人の過ちを的確に捉え、きちんとした意見をいい、自己の確たる信念をもとに自分の意見を他人とは違ってもアピールし続ける肝っ玉があるんだろうか??

どうも日本では、まだまだその土壌が育っていない、ちょっと、いや、かなり不安な状況であるような気がして仕方がない。

勿論、事件の資料分析、専門家の意見拝聴、周りの人々の発言内容を咀嚼して、自分の無難な意見を絞り出し経験を積み重ねていくことだろうが、さてさて本格的に自信を持って対応できるようになるまでにはどの位の月日が必要なのだろうか。

結局、今のこの陪審員制度に参加する人々は、周りの意見になんとなく影響を受け、周りの顔色を見、無難な答えを出そうとする人が多くなるような気がしてならない。

それで、いくら裁かれるような法を犯した人々に対するとは言え、一人の人間の運命を左右し、その家族をも含め、多くの人々の人生を狂わせるかもしれない責任の重い仕事に携わっていけるのだろうか。はなはだ疑問である。

国際的な舞台でも、日本人の事なかれ主義、優柔不断な言動は目立ち、アピールや演説の迫力不足、説得力の弱さなどなど、色々な分野でかなり欧米諸国のトップとは印象が違う。欧米や他国では、宗教に裏打ちされた、全く違う角度から生と死を見つめ続ける文化がある。

しかし、日本では八百万の神をあがめ、冠婚葬祭時のみにその宗教色を強め、にわかキリスト教徒や仏教徒になる人々も多く、幼少時から宗教に基づく生死の問題提起の教育をされてはいない。

従って、結婚式を神道で、葬式を仏教で、ヴァレンタインデーやクリスマスをキリスト教で祝っている何がなんだかわからない人々が多い。

そのような人々は一体どのような角度から、確たる罪と罰、生死の意見を導きだす事ができるのだろうか。人が人を裁くということを真剣に考えれば考える程、やはり、専門家の意見を尊重せざるを得ない気持ちにさせられることだろう。

又、子育てや子供の教育問題にも不透明な問題点が目立ち、学力のみならず家族とは、、、という根本的な教育問題にもメスを入れなければならないのが今の日本の現状。

教職に就いている先生方にも迷いから来る鬱病が増えているときく。教育に真剣に取り組んでいる先生方ですら、なかなか率直な意見が述べられないまだまだ閉鎖的な日本の教育界。勿論、教職者の率直な意見を阻むのは学校や父兄の態度にも問題点が多いのだろう。

そんな中、まず日本人が取り組まなければならないのは、オバマ夫人やクリントン夫人のように、堂々と男性と同じ、もしくは男性以上の存在感を醸し出せる独立心の強い女性達の育成ではないだろうか。

いずれ母となり、大切な国の宝である子供達を育て上げる母親そのものの意識改革と真の意味での独立心の育成こそ、「急がば回れ」で、政府が取り組むべき急務であろう。

日本女性が真の社会的な独立を果たせ、堂々たる意見が家庭でも社会でも言えるような状況が確立されて初めて、裁判などの公の場でも、周りを気にすることなく、一人でも堂々と異なった意見を主張できる時代が来るに違いない。

なんだか、今の日本じゃ公私ともに、まだまだ男女とも意見を堂々と言えるような次元には至っていない気がするのはテツママだけなのだろうか。

自分自身ですら見失っている人が多い日本の現状。自分自身がわからず、自分の命の重さすら見失っているような人々には他人の罪と命の重さを計り、的確な意見が言えるのかなあ??ちょっと、いや、かなり心配!!

2009年6月3日水曜日

昭和の俤

昭和を代表する音楽界の巨匠が次々と姿を消してゆく。作曲家遠藤実氏、三木たかし氏、そして作詞家石本美由起氏。演歌の巨匠が残した昭和を代表する名曲の数々を挙げればきりがない。

それらの曲や詩に励まされ、慰められ、明日への活力を貰った人々も数多いことだろう。すべてのジャンルの音楽を気分によって聴きわける私も、これらの昭和の巨匠が残した多くの日本の演歌に心を動かされ、時に涙し、時に明るく前進する活力を貰った一人だ。

特に最近亡くなった石本美由起氏と歌手美空ひばりのコンビで生み出された数々のヒット曲は、私の青春時代の懐かしい懐かしい思いでの歌の一つとなっている。

明るいマドロス調の歌「港町十三番地」、聴くたびに、思わず歌に引き込まれ涙が滲んだ「悲しい酒」など、私の心に深く残っている名曲は、これからも時代を超えて多くの人々に口ずさまれてゆくことだろう。

こうして、昭和の俤が一人一人と消えてゆく中で、最近、石原裕次郎23回忌が話題を呼んでいる。なんとなんと23回忌の記念行事を東京ドームで行うというのだ。石原プロの数々のプランが発表され、石原軍団の手により、ファンに届けられるこの記念イヴェント。

改めて、昭和を駆け抜けた石原裕次郎という一人の俳優、歌手の偉大なる足跡が偲ばれる。当時、男優といえば、水も滴る良い男、高い演技力、タニマチの有無などなど、スターダムに昇るには多くの条件を備えている必要があった。

そんな中、当時現役の慶応ボーイで、良家のお坊ちゃん。湘南の海で颯爽と遊ぶスポーツマンというまったくこれまでの俳優というイメージや殻を破った石原裕次郎という青年が、本当に新鮮で、格好よく、多くの若者の心を捉えた。

「演技力??」多分それほど無かったと思う。「タニマチ??」勿論ない。「水も滴るいい男??ウ〜〜ン、どうなんだろう??ちょっと不良っぽいあの眼差し」。

これまでの俳優というイメージから言うと、全く新しいタイプの俳優が、いきなりドラムを叩き、歌を歌い、「股下何センチ??」というのが当時の格好いい男性の規格となるほど長い脚を自慢にスクリーンに飛び出してきたのだ。

勿論、現石原慎太郎都知事は当時すでに小説家としてかなり有名で、大いに注目されており、その弟ということで、最初から恵まれたスタートを切ったことは間違いない。

しかし、後には、この弟の残した偉大なるスターとしての足跡が、兄、石原慎太郎氏の大きな政治的バックボーンとなったことは、事実であろう。

没後23年を経た今でも、東京ドームで23回忌を開ける石原裕次郎という昭和の大スター。そして、その昭和の大スターを尊敬し、男の友情で結ばれ、石原軍団を結成してきた渡哲也、館ひろし、神田正輝、三浦友和などの現役スター。男同士の深い絆を感じさせてくれるこのイヴェント。私も注目している。

礼儀正しく、面倒見がよく、男のロマンを追い求め、自由奔放に昭和を駆け抜けた魅力的なスター石原裕次郎。「やはり、昭和はまだまだ生きているんだなあ〜〜!!歌も、俤も素晴らしいものは永遠なんだ、、、、、」。

2009年5月31日日曜日

歓喜と感動の瞬間!!

皆さん、今日の日本競馬最高峰、3歳クラシック第2冠、日本ダービーご覧になりましたか。感動しました。興奮しました。そして、心から喜びが沸いてきました。

というのも、以前ブログでご紹介したことがある、あのロジユニバースがついについに、今年の3歳馬、7768頭の頂点に立ち、日本のすべてのホースマンの夢の祭典、日本ダービー優勝馬となったからです。

「無敗の3冠馬誕生への壁」と題して、今年の牡馬クラシック3冠の1冠目、皐月賞の結果について以前お知らせしましたよね。それまで無敗の強さで、圧倒的1番人気馬になりながら原因不明の惨敗で、14着に敗退し、多くのファンを心配させたり、がっかりさせたこの馬。

皐月賞の敗因としては、マイナス10キロの馬体重だったことから、どこか体の具合がわるかったのでは、、、、と密かに心配されていたロジユニバース。従って、このダービー前には、皐月賞馬のアンライバルドの人気の陰で、あまり期待されずひっそりとしていたのに、、、。

でも今日、ふたを開けてみれば、やはり2番人気の期待馬として、多くのファンの支持を受けていた。その優雅でハンサムな品のよいルックスも大いに人気の秘密かも、、、。

今日の東京は大雨で、馬場はダービー史上40年ぶりの不良馬場。騎手も馬もゴールまで泥だらけになって死闘を繰り広げていた。しかし、ロジユニバースはそんな重馬場をものともせず、ラストスパートでは見事に2着馬、あの超良血のリーチザクラウンに4馬身差をつけて完勝。

12年ぶりに関東馬がダービー勝利馬となり、関東のすべてのホースマンも喜びに包まれていた。クラシック制覇としては、あの名マイラー、ダイワメジャー以来の関東のエース馬誕生の瞬間だった。

勿論、手綱をとった関東のベテラン、横山典弘騎手の最短コースで馬に負担をかけぬ好騎乗も光り、彼自身もダービー挑戦15回目にして初の名誉あるダービー騎手の称号を手にした。

横山騎手は皐月賞でロジユニバースが原因不明の惨敗をして以来、「もしかしたらこの馬はダービーには難しいのでは、、、、」と疑いを抱き、あまり自信を持てなかったそうだ。

勝利騎手インタビューに答えて、「馬を信じきれなかった自分が情けない。最後のゴール前ではもうヘロヘロに疲れていたのに、ロジユニバースは最後まで頑張り抜いてくれた。本当にこの馬に助けられた!!」と優しい言葉で愛馬を労っていたのが、清々しいコメントだった。

東の横山典弘、西の武豊とその名騎手ぶりを讃えられているこの関東のエース騎手が、実はこれまでダービー騎手の称号を手にしていなかったというのもちょっと信じられぬ意外な感じがしたが、それほど、ダービー騎手になるのは難しく、すべての騎手の憧れのタイトルなのだろう。

普段は勝っても負けても喜怒哀楽をほとんど顔に表さず淡々としている横山騎手が、24年の騎手生活で初めて掴んだダービー騎手の称号に、本当に嬉しそうな顔をしているのを見て、私まで幸せな気持ちになった。

今年の名誉あるダービー馬となったロジユニバースの生い立ちから、オーナーとの出会いのストーリー。2歳からの本格的な調教でみせた非凡な素質と、その素質を信じて大切に育て上げた陣営の熱意。その苦闘の歴史を少し読んで知っていた私は、なんとかこの馬に勝たせてあげたいとかねがね思っていた。

サラブレッドには致命的とも言える足まがりという体のハンデがありながら、このドロドロにぬかるんだ道悪の馬場をゴール目指して必死に走るロジユニバースの健気な姿を目の当たりにして、本当にジーンとくるものがあった。まさに歓喜と感動の瞬間だった。

この馬をじっくり眺めた事がある人なら、誰もがその上品な面立ちと馬体に魅了され、イケメン馬ぶりを口にするロジユニバース。今日はその上品な馬体一杯に泥を跳ね上げ、道悪の中、超一流馬と死闘を繰り広げ、さぞ疲れたことだろう。

ロジユニバースと陣営の皆さん!!日本競馬の祭典、牡馬クラシック第2冠、日本ダービー優勝おめでとう!!そして見事初のダービー勝利騎手の栄冠を手にした横山騎手、本当に本当におめでとう!!お疲れ様でした。

2009年5月29日金曜日

新たな楽しみ実現??

5月24日の日本オークス、皆さん観た??ブエナビスタの末脚、異次元の凄さだったね。でも、最後の直線に向かったばかりの時は、正直、間に合わないと一瞬思った。しかしゴールを抜けたときには、明らかに差しているとわかった。でもでもきわどいハナ差とは、、、、。

名手アンカツにして、4コーナーでの進路コース取りに一瞬の気の迷い。しかし、当日の天候では、その迷いは当たり前の馬場状態。雨にぬれた後の外の芝では、いかにブエナビスタが凄い末脚をもっていようと殺される可能性が高い重い馬場。内の方が伸びやすいことは名手には想定済み。そんな状態の中、内へ行こうと彼女を導いたのは当然の判断。

でも前の壁が厚く、あまりの混み具合をみて、内では他馬が邪魔になり抜け出す事が難しいと判断した、とっさのコース変更はまさにベテランならではの剛胆な決定。

しかし、その内へ外への迷いを経た移動は、時間ロスと負担を馬に与え、観戦していた誰もが一度は「間に合わないんじゃないか?!」と一着ゴールを半ばあきらめかけたことだろう。私も同じ。

なにしろゴールまで残り2ハロンの時点で、すでに先頭に立っていたレッドディザイアとはまだ4馬身半ぐらい差があったんだから、、、。並の馬なら絶望的な差。

しかし、そこからが凄かった。本格的に追い始めてから瞬時に伸びたブエナビスタのもの凄い鬼脚。あのハラハラドキドキのラストスパートは、伸びにくい外の芝状態と雨の影響を考えたら、奇跡的とも言える信じられない豪脚。まさに異次元の脚ですべての他馬が止まって見えた。

桜花賞1600から距離が一気に延びたオークス2400。しかもあの馬場状態で上がり3ハロンを33秒6という末脚が使えるなんて、やはりブエナビスタという馬は並の牝馬ではない。凄いの一言!!

一瞬の迷いで生まれたコース取りのミスを自ら認め詫びていたアンカツ騎手を救ったのはブエナビスタの「追われたら絶対に前に居る馬は抜き去る」という超一流サラブレッドのみが持ち合わせている本能的な高い高いプライドとド根性。

今回は超一流サラブレッド、ブエナビスタの卓越した能力とプライドが、この逆境を跳ね返し、自身で夢の舞台、フランスのロンシャン競馬場で開かれる、凱旋門賞行きの切符をもぎ取る原動力となった。

ディープインパクトと同じく小柄で普段は大人しく、おっとりした優しい顔の馬で、一体どこにこのもの凄い闘志とスタミナがあるんだろうと信じられない程なよなよとした印象のブエナビスタ。見るからにがっちりして大柄な馬格を誇る強そうなウオッカとはあきらかに外見の印象は違う。

今の私の興味は、ウオッカとブエナビスタの直接対決。一体どちらの方が強いんだろう。瞬発力のみくらべたら、ほぼいい勝負。ウオッカの引退前(今年の年末前)にぜひ、この夢の対決を見てみたい。実現したらいいなあ〜〜この豪華対決!!ファンにはたまらない魅力だ。

先日私が偶然アメリカで観戦したケンタッキーオークスの勝ち馬であり、85年ぶりにアメリカクラシック3冠の2冠目を牝馬として制覇したレイチェルアレクサンドラが今年の凱旋門賞に参加するかどうか、すでに注目の一頭となっている。

去年の凱旋門賞優勝馬は3歳牝馬ザルカヴァ。果たして今年の凱旋門賞の優勝馬は???世界のダービー馬が牡馬の意地をかけて、凱旋門賞牡馬優勝を目指している。

日本からも昨年のダービー優勝馬、ディープスカイ、昨年のジャパンカップ優勝馬、スクリーンヒーローが挑戦を表明し、すでに一次登録を済ませたそうだ。勿論、ブエナビスタも一次登録は済ませたと聞く。

もし、順調にブエナビスタも参加できれば、日本から3頭が凱旋門賞挑戦という壮大な夢が叶う。ブエナビスタの挑戦が実現すれば、日本調教馬として3歳牝馬の凱旋門賞挑戦は、JRA史上初。

昨年の凱旋門賞覇者、牝馬3歳(当時)ザルカヴァといい、今年のアメリカクラシック2冠目の覇者、牝馬3歳レイチェルアレクサンドラといい、世界中でまだまだウーマンパワーが炸裂中。

異次元の末脚でオークスを制覇し、日本の牝馬クラシック2冠馬となった根性娘のブエナビスタ。女ディープインパクトと言われる彼女に、今年の凱旋門賞制覇の夢を託したいなあ、、、、、、。

そして、毎年凱旋門賞が開かれ、世界一美しい景観を持つ競馬場といわれるフランスのロンシャン競馬場へもぜひ行ってみたいものだなあ〜〜!!イギリスの伝統を誇るアスコット競馬場など、まだまだ行ってみたいところが多い。

もともと故障さえしなければ、あの女傑、ダイワスカーレットで今年の凱旋門賞挑戦の夢を語っていたアンカツさん!!このやんちゃ娘ブエナビスタで夢が叶うかもよ!!

お体お大事に!!夢はまだまだ続くんだから、、、、。10月の第一日曜日、凱旋門賞のファンファーレが楽しみになってきたあ〜〜!!

2009年5月27日水曜日

映画鑑賞(2)

5月20日にカナダから日本に移動し、ちょっとがたがたしていて、ようやく又落ち着いてブログに向かう静かな時間がきました。

昨日と一昨日の二日間は例によって例のごとく、我が友人との楽しい映画鑑賞タイム。念願の映画、新たに話題となった映画を二日間に立て続けに3本観ました。

「グラントリノ」「消されたヘッドライン」「天使と悪魔」。どれも凄いです。飽きない展開です。迫力も満点で、噂に違わぬ名画です、、、、とまあ、私は思うのですが、、、、。

「グラントリノ」に関しては、前にすでにご紹介し、まさにその通りの圧巻の内容でした。「消されたヘッドライン」は新聞記者の事件に取り組む姿勢とストーリーの展開の早さに引き込まれました。

「天使と悪魔」に関しては、聖地ヴァチカンを舞台に法王なきあとのコンクラーベを巡り、有力候補4人の誘拐事件が発生。殺人予告された犯人と、ギリギリのタイムリミットの中をヴァチカンに保管されている貴重な過去の事件資料をもとに推理しながら救出を試みる大学教授と科学者のスピード感溢れ、迫力ある演技が見事。

とまあ、3本とも実に良くできた映画であることには脱帽。スケールの大きさなどでは、むしろ「消されたヘッドライン」「天使と悪魔」の方が明らかに費用も近代撮影技術にも工夫を凝らした力作だと認めざるを得ない。

しかし、しかしである。このすでに半分以上女性を卒業し、女性専用車にのらずとも、痴漢などに襲われる心配の無い老婆テツママの心を鷲掴みにしたその映画は、、、やはり、やはり「グラントリノ!!」

3本観た後、すでに二日前の最初の1本として観たこの映画が、、、というより、この映画のクリントイーストウッドの眼差し、動作、軽妙な会話、偏屈故に巻き起こす近隣の人々との笑えるトラブル。そんなそんな彼の重厚な演技と鍛えられた肉体から醸し出される80歳近い男の色気に久しぶりにテツママ、クラクラ!!ノックアウト!!

メラメラと届かぬ海の向こうの大スターに恋心勃発。ドラマの中で不器用で偏屈な生き様しかできない、妻を無くした晩年の老人を演じていたが、その一つ一つの会話に、動作に、そして時折見せる荒々しさに何とも言えぬ男の魅力をフンプンと感じるのはテツママだけだろうか。

「消されたヘッドライン」の主役はラッセルクロウ。「天使と悪魔」の主役はトムハンクス。どちらも重厚な演技を誇る個性的な名優ではあるけれど、この80歳近いクリントイーストウッドの醸し出す男臭さ、それでいて品と知性を失わぬ男の色気の前には、何かイマイチ欠けている物足りなさを感じてしまう。(勿論、テツママの評価基準に基づくものであり、大いに異論はあろう!!)。

しかし「グラントリノ」は、戦争を身近に感じ、人生経験や老いの寂しさなどを体感してきた我々の年代だからこそ、心に響く感動と共感の嵐が巻き起こり、それを演じる彼の魅力も又増幅され、心を揺さぶられるのやも知れぬ。

若い人ならきっと、映画はフィクションの世界で、サスペンスやアクションのストーリーの面白さを追い求め、ひとときの娯楽として楽しむことだろう。それなら多分この3本を比較すると「天使と悪魔」「消されたヘッドライン」そしてしんがりが「グラントリノ」の順番かな。

でもでもでも、皆さん!!クリントイーストウッドの「映画人」というより、人間として、役者として、「彼自身」のすべてを注ぎ込んだ力作、「グラントリノ」見逃す手はないと思うよ〜〜〜〜!!特に英語がかなり堪能な人。その粋な会話のやりとりがまさに圧巻!!

こんな素晴らしい映画をみて、「戦争」という人間の愚かな戦いに反対し、人種を越えた平和な世界が実現するよう、我々も老骨でも微力を尽くそうよ!!

クリントイーストウッドの主演作品最後となるかもしれないこの「グラントリノ」。戦争の深い傷跡、その苦悩から孤独に陥った人間が晩年に得た人種を超えた触れ合いの素晴らしさ。きっと見終わった皆さんの心にも暖かいものが満ち溢れてくる名画だと思うよ。

以上、鑑賞後の感想報告でした。

2009年5月19日火曜日

思いがけない訪問(続編)

先日、4月末から5月初旬にかけてのナッシュビル、メンフィス、ケンタッキーへの家族旅行について、少しご報告した。その際、息子の思いがけない一言で、毎年、伝統のあるケンタッキーダービーとオークスが開かれるケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場へ行き、第135回ケンタッキーオークスを観戦したことをお伝えした。今日はその続編をお伝えしよう。

今更ながらわかったことだが、チャーチルダウンズ競馬場で5月1日、我々は幸運にももの凄い騎手と馬にめぐり会っていたのだ。そして、知らず知らずに歴史の証人の一人となって奇跡的な出来事を観戦していた。

そう、我々の眼前で、見事、第135回ケンタッキーオークス優勝馬となったレイチェルアレクサンドラ(レイシェルアレキサンドラとも呼ばれている)と、この第135回ケンタッキーオークス、翌日の第135回ケンタッキーダービー連勝と言う離れ業をやってのけたC.ボレル騎手。

レイチェルアレクサンドラは、その後、5月16日に、2009年アメリカクラシック第2戦、プリークネスステークスにC.ボレル騎手騎乗で参戦。何と何と並みいる一流牡馬を一蹴し、牝馬として85年ぶりにこのプリークネスステークスまでも制覇してしまったのだ。

2着に入ったのは、アメリカクラシック3冠レースの中でも別格、3歳馬の最高峰レースと呼ばれるケンタッキーダービーの勝ち馬、マインザットバード。

C.ボレル騎手は自身が乗って勝った今年のダービー馬を2冠目の相棒に選ばず、85年も牝馬の勝ち馬が出なかったにもかかわらず、ケンタッキーオークス勝ち馬の牝馬レイチェルアレクサンドラを選び、見事、栄光の2冠目も制覇。

牝馬として、牡馬クラシック3冠の2冠目、プリークネスステークスに挑戦するだけでも凄いのに、85年ぶりに見事栄冠を獲得したもの凄い牝馬を、なんと我々はオークス当日、ノー天気にターキーのもも肉やビザを食べながら、ビール片手にワアワア言いながら、見ていたのだ。

我々がこの目で見ていたケンタッキーオークスのレイチェルアレクサンドラは、135回のケンタッキーオークス史上、2着馬との着差20馬身4分の1という最大着差で勝利を獲得。今後、なかなか破られることはないだろうと思われるこのもの凄い着差の記録。

そもそもケンタッキーオークス出走馬はすでにかなりの水準揃い。スピードとスタミナ自慢が出走するオークスのレースで、20馬身以上の着差は奇跡的。今後この記録を破るのは容易ではなく、レイチェルアレクサンドラは長くアメリカ競馬史上に名を刻み続けることだろう。

C.ボレル騎手はケンタッキーダービー、プリークネスステークスと今年のアメリカクラシック3冠レースの2冠を制覇したが、過去に同一騎手が違う馬に騎乗して、アメリカクラシック3冠レースの2冠を制覇した記録はなく、史上初の快挙とか。素晴らしい記録である。

アメリカのすべてのホースマンにとって、クラシック最高峰のケンタッキーダービーを勝つことが夢。この1冠だけ勝っても、種牡馬としてお墨付きをもらい、将来の栄光の種牡馬の座が約束されたようなもの。

例外の一頭としては、アメリカでは種牡馬にならず、日本に渡って大活躍し、アメリカ中のホースマンを悔しがらせた大種牡馬、サンデーサイレンス。日本のホースマンにとって幸運だったのは、サンデーサイレンスは幼少の頃大病し、遺伝子に影響を与えたかもしれないと疑われ、アメリカでは種牡馬としての価値を疑問視されたこと。

1989年に夢のケンタッキーダービーをぶっちぎりで圧勝し、有り余る能力を見せたにもかかわらず、アメリカでは種牡馬として誰も評価せず、ただ一人社台グループ(北海道のノーザンホースパークなど多くの牧場で大成功)の吉田善哉氏のみが惚れ込み、日本に連れて来たお宝馬。

レイチェルアレクサンドラは今年、その最高峰のケンタッキーダービー優勝馬のマインザットバードを破り、プリークネスステークスに牝馬として85年ぶりに勝っちゃったんだから、さあ大変!!

3冠目は2週間後にニューヨーク州、ベルモントパーク競馬場で開かれる歴史あるベルモントステークス。今から行方を大いに注目。アメリカのクラシック3冠レースは日本とは違い、レースの間隔が短く、馬の体調を管理するのが難しいので、近年3冠馬は出ていない。

今年はもう、レイチェルアレクサンドラが3冠を阻止したばかりではなく、牝馬として牡馬を蹴散らしてしまったので、勿論、アメリカクラシック3冠馬誕生の夢は消えてしまった。でも今後、名牝レイチェルアレクサンドラが牡馬達にどんな争いを挑むか、大いに夢は膨らむ。

85年ぶりに牝馬が、、、、と書くと、直ぐに思い出すのが日本の女帝ウオッカのこと。ウオッカが64年ぶりに牡馬を蹴散らし、日本ダービーを制覇したときには、日本中が大騒ぎ。今年のドバイデューティーフリーでは、いまだに陣営が敗因をつかめぬ原因不明の直線失速で7着に敗退。すでに限界説すらささやかれていたそうだ。

しかし、5月16日海の向こうのアメリカで、レイチェルアレクサンドラがクラシック3冠レースの2冠目で牡馬を蹴散らした翌日(実際には時差があるので同日)、5月17日の日曜日、日本の2008年最強馬として年度代表馬の栄誉を獲得したウオッカは久々に彼女らしい、圧倒的な強さでマイルの女王決定戦、G1ヴィクトリアマイルをレースレコードで制覇した。この走破タイムは自己のマイル記録を0秒3更新しているんだから、決してまだまだ限界などではない。

彼女はこの一戦に勝利し、牝馬賞金獲得額歴代1位となり、名牝エアグルーヴを超えた。そして、東京の府中の杜、東京競馬場でG1、4個目を獲得し、同一競馬場G1単独最多勝利記録を樹立した。

彼女はこの勝利で過去にG1を5勝して牝馬として最多勝記録保持馬だったメジロドーベルに並んだが、内容的にはあえて牡馬混合のイバラの道を選んだ上での5勝。ウオッカの方が数字的には同じ5勝でも、その重さが違うことはすべてのホースマンが認めることだろう。

騎乗した武豊騎手が最終追い切り後記者の質問に、「もし、今回ウオッカで勝てなかったら、自分自身が競馬不信に陥り、へこみます。」と答えていたほど、名手にはウオッカの体調に手応えがあったのだろう。

残念ながらすでに谷水オーナーは、7馬身差というマイル戦過去最大着差でマイルの女王に輝いたウオッカの年内引退を発表。勿論お母さんになるウオッカも大切だが、これまで武騎手が「牝馬を超えた名馬」と表現していた牡馬顔負けの豪快な走りを観られなくなるのかと思うと残念無念。

その豪快な走りを観られるのも今年一杯。ウオッカ!!貴女はどこまで名馬の記録を伸ばせるのかな??85年ぶりにアメリカで快挙を果たした海の向こうのレイチェルアレクサンドラ。64年ぶりに牝馬の枠を超えて日本人を熱狂させたウオッカ。

どちらも牡馬混合のクラシック3冠レースで歴史に残る豪快な走りをみせてくれた女傑2頭。夢をありがとう。怪我しないで最後まで頑張ってね!!そして、いいお母さんになってね!!

ところで、日本の牝馬クラシック3冠レースの第2戦、オークスの発走もいよいよ5月24日の日曜日に迫ってきた。スペイン語で「素晴らしい景色」と名づけられたブエナビスタ。

いよいよ1冠目桜花賞制覇に続いて、2冠目オークスも制覇すべく最終準備中。女ディープインパクトという名誉ある称号を贈られたお茶目なお嬢様。女帝ウオッカに続けるように、頑張れ~~~!!

今入ったニュースでは、オークスで牝馬クラシック2冠制覇できたら、ブエナビスタは世界最高峰の凱旋門賞に挑戦するプラン有りとか。女ディープインパクト、3年前のディープの無念を晴らせるか?!

2009年5月16日土曜日

花入れ完了

我が家の年間恒例行事といっても過言ではない、一年草の花入れの行事が終わった。「疲れた!!」大体4時間半、夢中でやっていた。今、ブログを書いていても、足腰が痛い。ついつい一気にやってしまった。

このごろ何でもあまり一気にやらず、少しずつやっていたのに、好きな花入れは始めたら、完成するまで、どうしても止まらない。まあ、もうすぐ又家を離れるので、一気にやらなきゃならない仕事だけど、、、。

午前中に花の買い出し。12時頃に前庭の玄関脇にあるペアの細長い花器から植え始め、次にガレージ脇の大鉢3個へ。そして、大きな樹の下にある花壇やその他5カ所を終え、裏庭へ。緑の芝と、多年草の花々の間に彩りとして入れる大鉢が、下のブリックテラスを含め4カ所に点在。そして、直に花壇に植える場所が一カ所。

ついに最終地、上のベランダのふたつの花籠に向う頃には、すでに午後4時を回っていた。色々と構図を考えながら、好きな花を植えていると、本当に時間の経つのが早い。

今年は少し例年とは花の種類を変えてみた。ちなみに今年のメインはサルビアのサルサスカーレットという色。そこに、黄色と紫のパンジーを配し、ワインレッドや薄い紫、淡い黄色のカリブラコアという垂れ下がる花をあしらってみた。色としては強烈じゃないと、大自然の中では映えないことを過去13年の経験から学んだ。

以上の場所をすべて植え終えるには、サルビアのボックス苗(大体1箱で12株位入っているもの)10箱、パンジーのボックス苗10箱。カリブラコア(長く垂れ下がるもの)10箱が必要だった。又おまけに、庭の飾り棚があるアーチに下げる大きなフラワーバスケットを購入。

これだけ買うと、後ろのトランクだけでは入りきれず、後部座席を倒してビニールを敷き、一杯に並べて運ぶ。いつも始める前には「どうなることやら??」と自分で買っておきながら、完成できるかどうか不安で、ため息が出る程の量。

従って、この花入れの行事が終わると、本当に綺麗で楽しくなるのと同時に「ああ、これで今年も11月中旬まで大丈夫だ!!」と何だかホッとする。多年草だけでは、どうしても咲く時期がまちまちで、彩りが寂しい。この辺りの緑は強烈だからだ。

もう勿論、色々な多年草が咲き始めており、シバザクラなどは今が満開で見事だが、すぐ枯れてしまう多年草は庭の構図上は、当てにならない。すずらんだけでも4種類ぐらいの高さや色が違うものがあり、牡丹、芍薬、数種類の百合とバラ、4色ぐらいのケイトウの花、その他名前も知らない花々を含めると多分100種類ぐらいあるが、いつの間にか咲き、いつの間にか消える。

ともあれ、緑の中に一夏変わらぬ彩りが加わり「さあ、これから、本格的なカナダの東部の夏の始まり!!」と私に感じさせてくれる花入れの行事。「いつまで、続けられるのかな??体力的に、、、、」「そうだ、ゆっくりやればいいんだ、、、焦らず、、、」「でも、それが難しい!!花好きの人にはわかるよね!!この気持ち、、」と独り言。

2009年5月10日日曜日

思いがけない訪問

5月1日、私は自分でも未だに信じられないところに居た。「音楽の旅」と名付けた今年のナッシュビルとメンフィスへの親子旅の始まりは、4月28日からだった。夜、ホテルに落ち着き、「さて、明日はなにを??」と親子で協議を始めた。

取りあえず、4月29日の午前中は付近のスーパーへ食料の買い出しに行くことにした。我々の旅のスタイルは、目玉となる、予約が必要なもののみ、出発前に予約し、空いた時間を現地で、体調と睨み合わせながらスケジュールを埋めていく。

この旅で出発前にすでに予約ずみだったのは、メンフィスのグレースランド(エルビスプレスリーの家)の入場券(プラチナ)、ナッシュビルの観光ツアー(約3時間)、そして、カントリーミュージック最大のショーと言われているグランドオールオプリー鑑賞(約3時間)の切符のみ。

4月29日の午後はナッシュビル観光ツアーに出かけた。そして、夜は、臨時に白血病チャリティーライブショーというのが、ネットで探せたので問い合わせ、残り座席がわずかというのですぐに出かけることにした。そこで、夕食を楽しみながら10人ほどのカントリミュージックスターの歌声を楽しんだ。

しかし、標題の「思いがけない訪問」というのは、このライブショーのことではない。このショーの情報をネットで検索しているとき、偶然息子が、「あれ!!なんだかもうすぐケンタッキーダービーがこの近くで開かれるんだってさ!!」と屈託のない声で言ったことが始まりだった。

「エッ!!なに!!」とすぐ反応した私に、あまり馬のことには興味のない息子が、のんびりと、「いやあ!!ケンタッキーダービーが5月2日に開かれるらしいよ。この近くでさ!!」と答えた。

そういえば、空港から借りたレンタカーで、高速を走っているとき、ルイビル、ルイビルという看板がやたらと目に付き、ぼんやりと「ルイビルって、なんだか超聞き慣れた名前だなあ?!」とぼんやり記憶をたどっていたところだった。

「そうだ!!ルイビルって、かの有名なケンタッキーダービー、オークスが開かれる、アメリカで最も由緒あるチャーチルダウンズ競馬場があるところだ!!」と記憶が繋がった瞬間、親子の息はぴったり。「近いよ!!多分メンフィスより。行きたい??」と訊く息子。

すでに、心ここにあらず。そわそわと、「勿論、行きたい!!でも4月30日にメンフィスのグレースランド往復8時間の運転。その翌日にケンタッキーまで往復5時間以上の運転、大丈夫??」と一応母親らしく体を気遣う私。しかし、勿論すでに、行動に向け直ちに計画開始。

4月30日、ナッシュビルからメンフィス、グレースランドへの旅は朝4時起き、5時出発で、8時(夜)帰りの強行軍。直ちに夕食にレストランへ。エルビスプレスリーの音楽と博物館を大いに楽しんだばかりの我々は、超ハイになりながら、夜9時過ぎまで、賑やかに食事。

その後、ホテルにもどり、いそいそと翌日のサンドイッチの材料や車にのせるものの準備などをし、入浴して早寝。車で長距離移動中は、いつも後ろの座席で、朝食のサンドイッチを作り食料や飲み物を提供するのが私の仕事。

翌日はどんよりした曇り空で、ナッシュビルは雨がぱらついて居たが、ケンタッキーは暑くもなく、寒くもなく、日差しもまあまあのレース観戦には最高のお天気。その日はダービー前日のオークスを開催中。

競馬場に近づくにつれ、本当に驚いた。付近の家と言う家の前に大勢の人々がうろうろと、値段が書かれたプラカードを掲げ、立っている。「何だろう??」と思ったら、自宅の前庭を臨時駐車場にして、出来る限りたくさん車を止めさせ、商売をしているのだ。

駐車料金は10ドルからはじまり、競馬場に近づくにつれ段々高くなり、最後はついに35ドルまで上った。「今日はオークスだから、この値段。明日はダービーだから、今から予約すれば、50ドルにしてあげる」と堂々と地元のポリスの前で交渉している。だから地元警察も公認の行為なんだろう。

我々は、まずその35ドルの私設駐車場に車をとめ、5分程離れたチャーチルダウンズ競馬場の正門を目指した。人が多くて、なかなか前に進めない。上空はヘリやジェットが飛び交い、宣伝のバルーンが上がり、白馬に騎乗した、格好いいお巡りさんが、巡回していて、すでにまわりは異様な雰囲気だ。

ともかく、「どこからこんなに人が集まってくるのだろう??」と不思議なほど、人、人、人。その人ごみをかき分け、サイレンの音も高らかにパトカーに先導された、とてつもなく長い、(普通のリムジンの倍ぐらいの長さ)もの凄い高級車が次々と止まる。

その中から、降りて来るVIPの人々のファッションに度肝を抜かれた。ド派手な映画の世界。ロングドレス、カクテルドレス、タキシード、粋な帽子。「そうだ!!今日はダービーじゃないけど、それに次ぐ牝馬最高の舞台、名誉あるケンタッキーオークスの日だ!!」と改めて、その伝統あるレースに敬意を払い、正装して訪れた人々のファッションに見とれる。

この日、来場者の中で最高のファッションに認定された人には、賞金が支払われるとか。なるほど、みんな、張り切ってお洒落をして来るわけだ。われわれは臨時に、「ともかくこの格式あるアメリカ最高の競馬場、チャーチルダウンズ競馬場を見学し、入れればオークスでも見てこよう!!」とつい2日前に決めたばかりなので、勿論、日本の振り袖もロングドレスもシャレた帽子も準備なし。

ごくごく普通の、但し、日本の誇る3冠馬、ディープインパクトの顔写真プリント入りTシャツを着用。これがせめてもの意地、、、。まあ、友人からの貰い物のTシャツを最高の形で着るチャンスに恵まれたってこと。さすが世界の最高峰、フランスの凱旋門賞に一番人気で出走したことがあるディープインパクト!!ここでも知っている人が居た。

勿論、当日に指定席など買えるわけがなく、幸い、インフィールドには入れる切符があるとのことで、そんな着飾った人々とはご縁のない、ごく庶民的な人々の集まる芝生に座って観戦。

40分おきぐらいに疾走してくる馬の足音が遠くから響いてくると、やおら立ち上がり、目の前を怒濤のごとく過ぎ去る馬群を目で追いながら、のんびりとターキーのもも肉やピザを食べながら、ビール片手に、観戦。まわりはキャンプのテントや椅子で一杯。みんなピクニック気分だ。親しみ溢れた女性達にホームメードのケーキまでご馳走になった。

息子曰く。「アメリカの超ハイソと超庶民の楽しみ方が見学できて、おおいに堪能!!」とのこと。このインフィールドには、レースは全く見ないで、歌い踊る場所もあり、『なんでわざわざここで??」と大いに疑問を抱いたが、ともかく、ケンタッキーオークスとケンタッキーダービーが開かれるこの二日間は、最大のお祭りのような特別の日らしい。

チャーチルダウンズ競馬場の1番ゲートの前には、2006年のケンタッキーダービーをデビュー以来無敗で制覇し、3歳クラシック一冠目を制覇。その後、二冠目のプリークネスステークス出走中に脚を骨折。無念の競走中止、引退となったバーバロの颯爽と疾走している銅像が建っていた。

競走中止後、バーバロの重度の骨折が発表されると、「安楽死にしないで、助けて!!」という多くの人々の祈りにも似た声がそこここから上がった。その願いに答えるべく、バーバロのオーナーはペンシルバニア大学の最高の医療スタッフに手術を依頼し、一時は、元気に歩く姿まで見せたバーバロも結局、翌年の1月に手の施しようがない程の重体に逆戻りし、ついに安楽死となってしまった。

その悲しい知らせに全米のファンと関係者が涙にくれたという秘話をニュースで読んでいた私は、1番ゲートの前に建てられたバーバロの大きな銅像を見て、いかにこの馬が多くのファンを魅了し、愛されていたかが、改めてわかった。

銅像はまだ真新しかったから、建立されて日も浅く、このチャーチルダウンズ競馬場の新名所になっているのだろう。多くのファンがその銅像の前で写真を撮っていた。勿論私も一枚。

今年のケンタッキーオークスの栄えある優勝馬はレイチェルアレクサンドラと言う馬だった。オークスも翌日のダービーもCボレル騎手が大差で2連勝した。残念ながらわれわれはオークスしか見られなかったが、翌日のケンタッキーダービー勝ち馬、マインザットバードと言う馬は51倍という大波乱を起こしたそうだ。

17番人気だったこの馬に乗ったボレル騎手がドンジリから追い上げ、6馬身以上離してゴールしたもの凄いレースだったらしい。そういえば、今年のケンタッキーダービー勝ち馬、マインザットバードの母はマインシャフトと言う馬の娘。つまり、マインザットバードはマインシャフトの孫だ。

先日来、ブログで取り上げていた、話題の超良血馬カジノドライヴの父は、マインシャフト。つまりカジノドライヴは今年のケンタッキーダービー馬の叔父に当たる。残念ながら、期待の大器、カジノドライヴはカネヒキリと同じ、馬の癌とも呼ばれる難病、屈腱炎を発症し、細胞移植手術を受けるため、長期療養生活に入ったそうだ。

ぜひぜひ、カネヒキリと同じように、奇跡の復活を果たし、その超良血馬の勇姿を見せてほしい。まあ、そのカネヒキリも屈腱炎は克服したが、最近骨折して、しばらくレースを離れるらしい。でも、この馬の癌とも呼ばれる屈腱炎を2度も克服した強い生命力と馬の頑張りにオーナーも陣営も再度期待して、復帰させるために頑張るとか。カジノドライヴにもカネヒキリに負けずに頑張ってほしい。

大種牡馬サンデーサイレンスは1989年にこのチャーチルダウンズ競馬場で名誉あるケンタッキーダービーを制した。そのとき観戦していた社台グループの創設者、吉田善哉氏はサンデーサイレンスの勇姿に感動し、魅せられた。どうしても日本にサンデーサイレンスを輸入したいという彼の熱意が実り、サンデーサイレンスは海を渡り、はるばる日本に来た。その後のサンデーサイレンスの活躍は日本のみならず世界のサラブレッドの血脈に大きな足跡を残した。

サンデーサイレンスは最後の年の自身の誕生日と同日に、英国王室ゆかりの牝馬、ウインドインハーヘアとの間に素晴らしい牡馬を誕生させた。その牡馬こそが、21年ぶりに無敗の三冠馬となり、日本中を熱狂させた、あの英雄ディープインパクト。私の大好きな馬だ。

ケンタッキー州ルイビルのチャーチルダウンズ競馬場は、この偉大なる英雄、ディープインパクトを生み出した、いわば原点とも言えるところ。「いつか一度は訪れてみたい!!」と思っていた私の憧れの場所のひとつだった。夢は思いがけない形で実現した。

息子のなにげない一言から突然生まれたチャーチルダウンズ競馬場訪問と伝統あるケンタッキーオークス観戦の楽しい一日旅行は、きっと一生忘れることはないだろう。

2009年5月8日金曜日

気骨の人(4)エルビスプレスリー

しばらく、ブログご無沙汰しました。実はナッシュビル、メンフィス、ケンタッキーへ旅行中でした。丁度、ゴールデンウイークで帰宅中の息子と約半年前からの予定の旅行。今回のテーマは「音楽の旅」。ところが、そこに、とんでもない「お馬の旅」まで加わり、合計1300キロぐらいをレンタカーで走破。「お馬の旅」は又別の回にご紹介することとして、今回はエルビスプレスリーに焦点をあて、ご紹介しましょう。

ナッシュビルといえば、オールドファンも多い、カントリーミュージックの生誕の地。市全体が「音楽都市へようこそ」という看板で溢れ、どこでもカントリーミュージックの生演奏が楽しめる親しみに溢れた田舎スタイルの市。エルビスとも関係深い都市だ。

そこから車で約4時間離れたところ、メンフィスに、20世紀最大のスター歌手といっても過言ではない、あの「エルビスプレスリー」が住んだ家、「グレースランド」がある。我々の今回の旅行の目玉とも言えるこのグレースランドへの訪問旅行は、ナッシュビル到着の翌々日(翌日は地元の探索、食料の仕入れと白血病チャリティーを掲げたカントリーミュージックのライブディナーショーに参加)の早朝から始まった。

朝、4時起床、5時ホテル出発。一路メンフィスへ。実は若い頃、エルビスの映画にも歌にも実によく触れていたが、何となく気障で、あまり好きではなかった。しかし、その歌唱力とカリスマ性、エンターテイナーとしての一流の資質は当時でも認めざるを得なかった。

しかし、歳を重ねるにつれ、不思議と彼の甘い、癒されるようなソフトな歌声に懐かしさを超えた暖かさを感じ始め、興味を深めるようになった。そして、彼の青春時代を過ごしたメンフィス、多くのレコーディングをした、ナッシュビルをぜひ訪問してみたいと思うようになった。

メンフィスは本当に田舎だった。もし、彼の偉業がなかったら、メンフィスはこれ程までに注目を集めることは絶対になかっただろう。それほど、今でもエルビス一色といっても過言ではない、小さな小さな町に見える。グレースランドの前の道は生前から「エルビスプレスリーロード」と名付けられ、車キチガイの彼はよくこの道で、ファンも交えレースをして遊んだそうだ。このグレースランドは今、アメリカの国定史跡に指定されている。

彼の偉大さは、ギネスブックでいったいいくつ彼が世界記録をもっているか、皆さん自身でお調べになったらお分かりになると思う。とにかく、彼の家(マンションと呼ばれている母屋)、離れの運動施設(今は彼のステージ衣装とゴールド、プラチナレコードの展示場)、愛車の博物館(高級車とハーレーなどのオートバイで一杯)、エルビス記念館、愛用の飛行機リサマリー号(彼の娘の名前)他自家用ジェットの展示場などをみれば、桁違いの大物であったことが一目瞭然。

何しろ博物館だけで4つ、お土産販売店だけで9カ所、その他、彼のヒット曲、「ハートブレークホテル」にちなんで名付けられた同名のホテル、レストラン、牧場などを含めたら広大な場所で、ツアー時間は大体4時間と聞いていたが、なんと我々は、朝8時45分から、午後3時半ごろまで、グレースランドに居た。

これ程長く居ても、まだこのホテルの中などは、見ていない。次のサンスタジオもぜひ見たかったからだ。サンスタジオはエルビスが最初に4ドル自腹を切ってレコーディングをし、後にこのスタジオのオーナーに見いだされた歴史的な場所。その最初の録音された声も聴けた。ちなみに、彼は母親にプレゼントするため、このレコーディングを思いついたのだそうだ。

彼の歌は、ロック、ブルース、ゴスペル、カントリーそれぞれのミュージックを混合したような独特のフィーリングを聴くもの全てに与えた。そして、白人文化、黒人文化とさらに異文化を取り入れたエルビスの歌声はアメリカという国そのものを象徴しているような、彼独自の世界だった。

その類い稀なる歌唱力は、紆余曲折を経て、アメリカ人の誇る、象徴的な歌手として今日まで、賞賛され続けている。ちなみに小泉前首相もブッシュ前大統領に案内され、この地を訪れたそうだ。エルビスと誕生日が偶然同じ小泉前首相もエルビスの大ファンの一人とか。アメリカの象徴的大歌手に敬意を払い、訪れたのだそうだ。

勿論、初期のエルビスのセクシーな腰を振るアクションは、当時のおかたい人々にショックと拒絶感を与え、センセーションを巻き起こし、多くの番組で批判を浴びた。しかし、当時の人気番組、エドサリバンショーのエドサリバンにその実力を賞賛された彼は、その後、押しも押されもせぬ大スターへの道を歩んでいった。

でも私が彼に、最も惹かれている点は、その飾らぬ庶民性にあった。巨万の富に恵まれ、毎日100万ドル(当時)使っても使い切れないほどの大金持ちになっても、彼は彼の独特の哲学によって行動し、大切なものを見失うことなく、両親への遺言文や娘への遺言文にその揺るがぬ独自の哲学を記し、残していた。

そんなエルビスの人間性に溢れたエピソードをご紹介すると、彼はガードマンの一人が亡くなったとき、どうしても葬儀に参加したいと希望し、混乱を避けるため、地元の警察官の中にまじり、警官の服装をして葬儀に参加したことがあったそうだ。

又、娘の4才の誕生日のプレゼントをなににするか迷いに迷ったあげく、父の永遠の愛を込めた手紙を準備して、彼の意志を伝えることとした。この手紙はリサマリー(エルビスの娘)の最高の宝物として、未だに誇らしく展示されている。

ギネスブックに載っている彼の世界記録の一つに、「死後、世界にもっとも多くファンクラブを残しているスター」というのがあるそうだ。まだ480以上もの活動を続けているエルビスのファンクラブが世界中に存続している。これらのファンクラブやその他のエルビスのファンの寄付によってのみ運営されている病院がメンフィスにはある。1977年に死没した彼。30年以上過ぎた今でもこの愛され方は、彼の素晴らしい人間性なくしてはあり得ないだろう。

彼はしばしば、バックコーラスに黒人を使った。当時のショーのプロモーターはエルビスに「バックコーラスの黒人は呼ばない」と伝えた。その度にエルビスは、「では、私もショーに出ない」とプロモーターに伝えた。驚いたプロモーターは、何度も謝り、ショーへの出演料を積み上げたそうだが、エルビスが首をたてに振ることは二度となかったそうだ。

彼は一発レコーディングを常によしとし、途中でやり直すことを好まなかったため、まだまだ、未発表の遺作がかなりあるそうだが、こんなところにも筋を通すかれの意地と努力が垣間見える。映画監督の話しでは、エルビスはとても頭の良い人で、映画の撮影でも台詞を実によく覚えており、映画ではジェームスディーンを尊敬し、こよなく愛した彼の憧れの映画人だったそうだ。

晩年彼はナッシュビルのRCAスタジオBでよくレコーディングをしており、私も訪れた。そして、彼がそこで、レコーディングをしたオリジナル版の歌声に酔いしれた。彼は、時空を超えて我々の胸の中に居た。

その見学ツアーに参加していた人々は一様に、古い昔の世界を懐かしみ、彼と共に過ぎ去った日々を思い出しているようだった。時にはうっとりと、時には激しいリズムに体を揺らし、どっぷりとエルビスの世界に浸っていた。世代を超えて、時代を超えて、さらに現代に引き継がれるエルビス独自の世界。

ちなみに、彼の記録のひとつに、「ロック、ブルース、ゴスペル、カントリーすべての音楽分野で賞をとっているのは、世界中で彼一人」というのがあるそうだ。アメリカの若者の中でもっとも活躍した10人の一人にも選ばれたことがあるエルビスプレスリー。42才で天国に召された偉大なるミュージシャンのあまりにも若すぎる死を心から残念に思う。

2009年4月27日月曜日

気骨の人(3)オードリー・ヘップバーン

男優二人の気骨の人をご紹介したので、ここでは、私の好きな女優で気骨の人を描いてみよう。彼女の映画又は舞台の作品を一本も観たことがない人というのは、多分少ないだろう。若い人でもおそらく再放送又はCMで彼女の妖精のような、愛らしい魅力に遭遇しているはずだ。

なぜなら、2007年11月3日、日本で放送された「スマステ」の特別企画、「大人が選ぶ映画のヒロインベスト30」でも、彼女が演じた「ローマの休日」のアン王女が堂々の1位に選ばれているぐらいなんだから。彼女がアメリカのパラマウント映画と契約し、初めて主演したこの「ローマの休日」、私も最低3回は観ている。

彼女は1953年以前にもアメリカ以外で色々な演劇活動をしていたが、まだあまり頭角を表していなかった。しかし、この年、彼女は初めてアメリカで「ローマの休日」に出演し大当たり。

この映画の素晴らしさと感動は本当に何度みても、薄れるどころか益々私を惹きつける。毎回、観るたびに、恋をあきらめ王女に戻り、新聞記者質問会にのぞむ王女役のオードリー・ヘップバーンがその大きな魅力的な瞳にうっすらと涙をうかべつつ、恋人に毅然とした態度で別れを告げるシーンは、涙なしには観られない。

彼女ほど、この役がぴったりする過去を背負っている女優もあるまい。まさに他の誰にも演じられない、オードリー・ヘップバーンのみが到達できる世界だったように思う。

ストーリーの中で、一人の若い女性として、ローマの数々の名所を相手役グレゴリー・ペック演じる新聞記者と活き活きと遊びまわる彼女。そして、宿命を自覚し、宮殿に戻り、王女として、気品溢れる毅然とした態度で謁見する見事な演技。まさに、貴族の血(彼女の母はオランダの貴族出身)を引く、気品溢れるオードリーならではの世界。

彼女はこの「ローマの休日」で、一躍人気映画スターの仲間入りをしたばかりでなく、その年のアカデミー賞主演女優賞他多くの映画賞を総なめにした。

しかし、その直後、数々の映画の企画を作り上げ、オファーしたパラマウント映画他映画界の強い要請に答えることなく、オードリー・ヘップバーンはブロードウェイの舞台「オンディーヌ」への出演を熱望し、映画会社の反対を押し切る形で、舞台に没頭した。

こんなところにも、自身の信じる道を行くオードリー・ヘップバーンという女優の非凡な気骨を感じる。結果的にはこの舞台「オンディーヌ」で、舞台役者最高の栄誉、トニー賞を獲得し、更に彼女の女優としての評価を高めることとなった。

その後の彼女は、映画では、サスペンスコメディー、ミュージカル、ヒューマンドラマなど、ジャンルを問わず多くの作品に登場し、その美貌と気品と素晴らしいファッションセンスで多くのファンを魅了し続けた。

相手役にはグレゴリー・ペック、ハンフリー・ボガード、ウイリアム・ホールデン、ゲーリー・クーパー、ヘンリー・フォンダ、メル・ファーラー、ケーリー・グラントなどなど、錚々たるイケメン俳優、多彩な男優を相手にし、クラシックバレーで鍛えた見事なスタイルでしゃれたファッションを着こなした。

当時、ヘップバーン刈り、サブリナパンツなどその着こなしでファッションリーダーとしても大いに当時の女性に影響を与えた彼女は、少女期に6年間オランダでクラシックバレーを習得後、イギリス、フランス、イタリアなどを公演してまわったクラシックバレーのプロでもあり、その華奢ながらバレーで鍛えた素晴らしいスタイルで、ファッションの世界でも独特の彼女の世界を作り上げた。

少女時代、アイルランド系イギリス人の父親はオランダ出身の母親と政治的意見を異にし、ファシズムに走り、家庭を捨てた。両親の離婚後、オランダに渡ったオードリー・ヘップバーンは時にはチューリップの球根を食べて飢えをしのぐほどの貧困の中、クラシックバレー公演で稼いだお金で家庭を支えたばかりではなく、ナチスドイツに反抗する同志を助け、資金を援助した。

そんな、苦しい悲しい悲惨な過去を忘れられず「アンネ・フランク」の伝記映画の主役のオファーが来たときには、「生々しい過去を思い出し、辛くなるから」という理由で、辞退している。

当時、ドイツ占領下にあったオランダでの苦しい生活の思い出は、映画人を引退した後、彼女をユニセフの活動に参加させる強い動機となった。「ソマリアやスーダンで飢えと貧困に苦しむ子供達は、まさに少女時代の私自身の姿」。

「だから、私が子供達に救いの手を差し伸べるのは当たり前」と述べて、晩年積極的にユニセフの活動を続けたオードリー・ヘップバーン。再婚後(イタリアの医者)、子育て時代には人気絶頂のスターの座を惜しげもなく捨て、家庭を大切に守った信念の人。

ファッションといえば、当時の私も彼女の素晴らしいファッションに大いに魅了された一人。ジバンシーという日本ではまだあまり知られていなかったフランスのデザイナーの手腕を高く評価し、彼女の映画の専属デザイナーとして腕をふるったジバンシーの衣装を颯爽と着こなし、スクリーンに登場。

その衣装は、一見平凡で、特に変わったところはないのに、よく見ると実に素敵なカットや切り替えで、シンプルな中に気品溢れるデザインだった。当時、ケネディ家の女性のお気に入りのデザイナーの一人で、故ケネディ大統領の葬儀の際、ケネディ家の女性がジバンシーの喪服で葬儀に参列したのは有名なエピソード。

その頃から今まで、私のお気に入りのデザイナーは衣装なら、ジバンシーとハーディエイミス(英国王室の専属デザイナーでエリザベス女王お気に入りのオートクチュール専門のデザイナー)。小物ならバーバリーかな??エルメスやプラダ、シャネルなどにはあまり興味が湧かない。但しお気に入りのみ。要するに観るだけ。先立つものがない庶民故、無駄遣いはしていない。

ともあれ、星の数ほどあまた居る世界の芸能人の中で、アカデミー賞(映画)、トニー賞(舞台)、エミー賞(テレビ)、グラミー賞(音楽)の4部門をすべて制覇した俳優は男女合わせてわずか9名。その中の一人が彼女。死を迎えるまで、自身の信念を通し、自分の生き方をしっかり守り、その姿を通して、世界の人々に素晴らしい夢を贈り続けた気骨の人。

「戦争と平和」、「麗しのサブリナ」、「シャレード」、「マイフェアレディ」などなど、彼女主演の名作をあげればきりがないオードリー。そのストーリーの素晴らしさとともに、世代を超えてこの女が、これからも世界中の人々を魅了し続けることは疑う余地がない。

貴女をイメージしてヘンリー・マンシーニが作曲した名曲「ムーンリバー」の甘いメロディーと共に、妖精のようなキュートで気品溢るる貴女を、私もいつまでも忘れない。スイス・ローザンヌに眠る妖精オードリーよ、安らかに、、、、。

2009年4月23日木曜日

気骨の人(2)ポール・ニューマン

2008年9月、一人の男優が世界中から惜しまれつつこの世を去った。彼の名前はポール・ニューマン。私の大好きな映画人の一人。彼も俳優、監督、政治家、レーサーなど多くの顔をもっていたが、常にその行動は自身の強い信念に裏打ちされた、誠実なものであった。

ユダヤ系の両親の下、経済的には裕福な家庭で少年期を過ごした彼は、子供時代脆弱で、いじめっ子の標的となっていた。そんな息子を案じた母が彼に演劇への道をすすめたが、その当時の彼には熱中できる道ではなかった。

後に彼はオハイオ大学在学中に第二次世界大戦が勃発、空軍に入隊、ハワイに派遣される。終戦後オハイオ大学を卒業。その後、ケニヨンカレッジに入り、フットボールに熱中したが、素行が悪く追放されてしまう。

その頃から彼の胸には、演劇の世界への強烈な興味が湧き始め、演劇講師の道を目指しイェール大学の大学院へ進学。つまり、彼の後の演技も演技論もけっしてありきたりの努力の末に到達した頂点ではなく、少年時代に両親が開いた道を真剣に自身の足で、歩き続けた結果だったのだ。

この時、本格的に演劇の道を目指すため、彼は学費を捻出しなければならず、亡き父の残したスポーツ用品店を売り払い、退路を断って自身の目指す道に突き進んだ。

俳優としての彼は、地方のドサ回りも経験。決してポッとすぐにスポットライトの下に立てた幸運児ではなかったが、諦めることなく、自身の優れた観察力と地道な努力で舞台に立ち続けた。

そんな彼に舞台で初の大役「ピクニック」の主役が舞い込み、その熱い演技がワーナー・ブラザーズの目にとまり、5年契約が結ばれた。この頃、期待の俳優は「アクターズ・スタジオ」に入れ演技を磨くといわれた名優への登竜門。ここで演技を磨き始めたころから、彼の役者としての表舞台への門が開かれてきた。

当時の同期生はマーロン・ブランド、ジェームス・ディーンという錚々たるメンバー。しかし、ここでも、まずスポットがあたったのは、ジェームス・ディーン。そして、同期のマーロン・ブランドも着々と大スターへの道を歩み始めたが、彼の評価はマーロン・ブランドのコピーという厳しい評価。

勿論、反逆児の彼がこんな評価に満足するはずはなく、失望して一時は投げやりとなっていた彼の作品は駄作ばかりと酷評されていた。そんな彼に思いがけず巡ってきた主役の座は、なんと皆様もご存知のあのジェームス・ディーンの悲劇の事故が原因。

ジェームス・ディーン主役で撮影が予定されていた「傷だらけの栄光」の主役に、文字通り、傷だらけで挫折を繰り返しながら挑んだポール・ニューマンの迫真の演技。このストーリーは実在するボクサーの伝記だったが、彼はこのボクサーの話し方、癖、動作すべてを細かく観察し、忠実にその実在の彼を再現させてみせた。

その演技に対する真摯な情熱が絶賛を浴び、彼は一躍、ポール・ニューマンの世界を創り上げていった。いつも役になり切れるまで研究に研究を重ねる学究派の彼は、「ハスラー」でも、「ル・マン」でも、徹底的に役にのめり込んでいった。

その結果、彼は「ル・マン」で演じたレーサーという仕事にすっかり魅了され、自身のチームを作り上げ、自動車レースにも参戦し好成績を残した。この時すでに40歳を過ぎていたポール・ニューマン。彼の夢を追う姿に年齢は関係ないのかもしれない。

私生活では不遇時代一度結婚に失敗しているが、その後再婚した奥さんとの間に6人の子供を授かり、昨年この世を去るまで50年以上も鴛鴦夫婦と評判で、「家でステーキを食べられるのに、どうして外でハンバーグを食べるの??」と家庭を大切にする良き夫の幸せを表現していた。

そんな幸せな家庭生活から生まれたのがポール・ニューマン家独自の味、美味しいサラダドレッシング。彼はこれを世に広め、多くの人に味わってもらうために食品会社を設立。世界中で大当たり。ビジネスマンとしても栄光に包まれた。このドレッシングはパスタやサラダに最高だそうだ。

そんな彼の家庭生活もいいことばかりではなかった。彼の道を共に歩んでいた息子の麻薬中毒での突然の死。彼はひとときのショックから立ち直ると、息子の名前を冠した基金会を設立し、麻薬撲滅をテーマとした映画製作やテレビ製作などの製作資金を援助し、助成金を贈ることによって息子の死を無駄にせぬよう、麻薬撲滅運動に参画し続けた。

サラダドレッシング販売で大成功した食品会社のすべての利益は、貧困で勉強できぬ子供達に贈られ、政治家としては、ベトナム戦争反対や公民権運動をたからかに叫ぶことによって、人気俳優の影響力を大いに世界中の人々に役立てたポール・ニューマン。自身もいじめを受けた幼少期の人種差別の思い出なども彼をこうした政治活動に走らせた原因となったのだろう。

俳優として、監督として、3回のアカデミー賞受賞を果たし、押しも押されもせぬ人気スターとなったポール・ニューマンは、当時まだ、日本では外国人スターをCMに起用すること自体が珍しかった時代に、日産自動車のCMで、日本人のお茶の間にも進出した。 当時彼の宣伝した車は彼の名前のモデルとして、未だに存在するそうだ。

私に鮮烈な印象を残している彼の作品はみっつ。「ハスラー1と2」、そして「タワリング・インフェルノ」。ハスラーでは「人間にとって真の勝利とは??敗北とは??」と問いかける孤高のギャンブラーを素晴らしいビリヤードの世界で描いてみせた。その憂愁を帯びた青い瞳でキューの先を見つめる彼の真剣な眼差しに私は大いにしびれた。

この映画は、ポール・ニューマンが初めて彼独自の演技の深さを映画人すべての人々に納得させ、決してジェーム・スディーンやマーロン・ブランドの物まねスターではないことを認めさせた出世作ともいえる。

三つ目の「タワリング・インフェルノ」は、実在のサンフランシスコのタワーをモデルに似通った内容の原作が二つ発表され、奇しくも同じ時期に、ワーナー・ブラザースと20世紀フォックスで、映画製作企画が持ち上がり、あまりにも内容が似ているので、両映画会社が協議し、共同制作した映画。

ワーナーでは、主演にポール・ニューマンを考えており、20世紀フォックスでは、当時人気を二分していたスティーブ・マックイーンを主役候補に選んでいたので、ファンには堪らぬ、両雄の映画対決となった作品。

高層ビルの大火災の撮影技術が見事で、最後の大爆発までハラハラドキドキする恐怖が続き、この頃から、パニック映画というジャンルが人気をはくすようになっていった。

最後のエンドロールでは、この2大スターのどちらの名前を先に出すかという問題が物議をかもし、結局同列配列という苦肉の策を選ばせた程、両雄相譲らぬ力作であった。

数々の栄光と挫折を繰り返し、その心の赴くままにポール・ニューマン独自の演技を追い求め、常に恵まれぬ子供達に愛を注いだ気骨の人。その憂いを帯びた青い目に出会えたことは私の若き日の大切な思い出。いつまでもその名作とともに私のみならず世界中の人々を魅了し続けることだろう。

最後に気骨の人ポール・ニューマンの面目躍如。アメリカ政府の高額所得者への減税政策案が発表された時の彼の一言をご紹介して、このページを閉じよう。

「私のような大金持ちから、高い税金を取らぬ政府はオオバカだ!!」

ブラボー!!ポール・ニューマン。いつまでも語り継がれる名優よ、安らかに!!

2009年4月22日水曜日

気骨の人(1)クリント・イーストウッド

これからしばらく、私の好きな気骨の人シリーズをご紹介!!まったく個人的な好き嫌いの世界だから、多分独断と偏見に満ちていると思うけど、、、、。まず最初の人は、まもなく(4月25日から)監督・主演映画「グラン・トリノ」が公開となる、私の大好きな映画人の一人、クリント・イーストウッド。

私が初めて彼を観たのは、映画ではなく、テレビでだった。まだ、中学生ぐらいだっただろうか。「ローリンローリンローリン、ローリンローリンローリン、ローハイド!!イヤ~~~ッ!!」というテーマミュージックが流れ、長い鞭を振るい、荷馬車(?)を疾走させ、颯爽と荒野を駆け抜けて行く荒くれ者のカーボーイ姿の彼が登場。

7年間続いた人気シリーズ「ローハイド」の中の彼は、まだアメリカの連続ドラマそのものが珍しかった当時の私に本当に鮮烈な印象を与えた。

細面のそれでいて野性味に溢れた若き日のクリント・イーストウッド。彼は、このテレビの演技でイタリアの監督、セルジオ・レオーネに見初められ、「荒野の用心棒」他、立て続けにマカロニウエスタンの主役をつとめ、アメリカの俳優ながら、ヨーロッパでの人気の方が先行した人。

その後出あったドン・シーゲル監督とのコンビで製作された「ダーティハリー」の型破りな刑事役で、人気アクションスターの地位を不動のものとし、「ダーティハリー」は4作品製作され、彼の代表作のひとつとなった。

彼の家系は名家ながら、子供時代、世界恐慌の煽りを受け、貧しい生活を経験。高校卒業後、朝鮮戦争の最中、陸軍に入隊。除隊後、アルバイトをしながらロスアンジェルスのカレッジで演劇を専攻した苦労人。当時、ユニヴァーサル映画と契約したが、端役ばかりで、1959年にCBCテレビの「ローハイド」で人気をはくすまで、下積み生活が長かったそうだ。

マカロニウエスタンでの成功と、その後アクションスターとして人気を不動のものとしても、彼の映画人としての夢は終わることなく、映画制作会社を設立。1971年に初監督作品を世に出した。その後の彼は、自分の信念に基づく作品のみを地味に製作し続け、自身で監督、主演をしつつ、監督としての経験と地位を築き上げていった。

1992年、彼の役者としての基礎を作り上げてくれた二人の恩師、セルジオ・レオーネ監督とドン・シーゲル監督に捧げる為に監督兼主演で製作した最後の西部劇「許されざる者」で、彼はついに映画人の最高峰、アカデミー賞の監督賞、作品賞を受賞。恩師に最高の栄誉をプレゼントした。

私がローハイド以後、再び彼に大きく心を動かされた作品は、全米で原作がミリオンセラーとなり、上映前から話題となった「マジソン郡の橋」のカメラマン役。これまでの彼とはがらりと違う役柄で、たった4日間の人妻との激しい恋に身を焦がし、生涯その彼女を思い続けるという誠実なカメラマンを演じた彼。

最後の別れのシーンは大雨の中、未練を胸に彼女とご主人の乗る車を追いかけ、信号待ちの短い時間後、心の葛藤を振り切るように、交差点を二台の車が右と左に別れていくシーン。夫の運転する車の中で涙する彼女。このとき初めてメリル・ストリープという名女優に大いに泣かされた。その時のクリント・イーストウッドはもう初老の俳優だったが、渋い、心を揺さぶるような名演技が今でも脳裏を離れない。

「ミリオンダラー・ベイビー」では、永遠のテーマ「安楽死」を扱い、「硫黄島からの手紙」と「父親達の星条旗」では戦争の悲惨さを日米両サイドから描いてみせた。そして、今回の作品「グラン・トリノ」では、人種差別と戦争の悲惨さを朝鮮戦争がえりの一人の偏屈な老人の役で描き出した。

もともとは蔑んでいたアジア人の子供との心の触れ合いを描き、最後には偏屈で閉ざされていた心を開き、この少年のために闘う彼。彼の生涯最後の主演作品として選んだストーリーは、アジア人との心の触れ合いを描いた人種差別にピリオドを打つ内容。

彼が映画の中で大切にしているもののひとつは古いフォードの車、グラン・トリノ。そして、ストーリーの中で自分を嫌いぬく息子が販売しているのは日本車という設定も皮肉だ。

人種蔑視の言葉も多く使われ、物議を醸し出しそうだが、彼が最後の主演作品で言いたかったのは、「心さえ触れ合えば、人種の壁は越えられる!!肉親よりも誰よりも心が触れ合う人こそが、命がけで守らなければならぬ、又、守りたい人なんだ!!」と彼はこの映画で言いたかったのでは、、、、、。これは私の勝手な想像だけど、、、、。

今後、彼は監督業は続けるそうだが、この作品で役者としての自分は葬るらしい。そのためにこのようなテーマの作品を選んだとか。まさに彼の役者魂のすべてを注ぎ込んだ力作に仕上がり、感動できる満点評価を受けているこの作品。私も必ず観ようと思っている。

先日日本で、「チェンジリング」という幼児誘拐に敢然と立ち向かう力強い母親の姿を素晴らしいタッチで描き出してくれた彼の作品を観たばかり。今では、常に話題作を提供し続けている彼も、実は日本の黒澤明監督を崇拝しているファンの一人。

カンヌ映画祭で黒澤監督の姿を見つけた彼。人ごみを掻き分け黒澤監督に近づき、ほほにキスをしながら「貴方が居なかったら今の私はいなかった」とお礼をいったのは有名なエピソード。 真面目で誠実で燃えるような情熱を失わぬ彼の率直な態度。

俳優、監督、音楽家(ジャズ)、ビジネスマン、政治家などなど、多くの顔を持つ彼ももうすぐ79歳。2003年イラク戦争勃発時には、敢然と当時のアメリカ大統領、ジョージ・ブッシュ氏の決定に、「両国は極めて重大な過ちを犯した」と批判したり、同性結婚にも独自の持論を展開するなど、常に話題を投げかけている気骨の人。

1953年に最初の結婚をして以来、離婚、同棲、再婚の過程で7人の子持ち。現在の奥さんは、最初の奥さんとの間に産まれた娘さんと同じ歳で、私生活でも華やかな話題を提供している情熱的で魅力的な彼。これからも役者は無理でも、監督として、大いに心に残る素晴らしい作品を製作してほしい。

まもなく公開の「グラン・トリノ」。皆さんお見逃しなく!!!