2009年9月11日金曜日

文化の違いーー続編

先日ブログで台湾でのコミュニケーションの複雑性について、私なりの約35年に渡る経験からすこし感想をのべてみた。

日本でも勿論、関西人、九州人、東北人、東京人など、地方によって幾分なりとも文化や考え方、方言などの違いがあり、多少の文化的違和感を感じることもあるだろう。

しかし、日本語のドラマであれば、仮に方言を使っていようと、すべての役者のことばに日本語の標準語の字幕がでることはない。

しかし、中国大陸や、台湾のドラマには、画面に字幕がよくでてくることがある。特に時代劇などのドラマには、それが多い。それほど、同じ民族でありながら、お互いの言葉が聴き取れず、理解不能に陥る言葉が多いのだ。「エッ!!何で字幕が??」と最初のうちは驚いていた私もすぐに理解できた。

私が教えていた大学のクラスの学生だけを例にとっても、自分の生まれてから使っている方言を使うと、クラスメートと話しが通じなくなるのだ。台湾では、標準語といわれる北京語、多くの人が使っている台湾語、客家語、そして、日本語や他の外国語などが、日常的に飛び交い、それぞれの文化を保留している。

勿論、北京語を標準語として教育が行われているから、若い人は北京語を話せば通じ合えるが、自宅に帰り、親族と話しをする時は、間違いなくその民族の方言に戻る。これが、アクセントや訛り程度の違いではないのだから厄介だ。

35年台湾と交流をもっている私でも、聴いてわからない言葉が多過ぎる。そして、その文化に誇りを持っている民族の結束は固く、それが、会社などの共同体の中でも微妙に影響する。まあ、日本の会社にも、関西人、関東人、東北人などなどでグループを作るのかどうか、残念ながら私の日本での職歴は外資系の会社のみだったので、経験がなく、わからない。

日本の10分の一の面積を有するのみの台湾ですら、その中にこれ程の文化的な違いと民族性の違いを持つ。そして、それが微妙にいろいろな行動の変化と成って現れ、35年の交流経験を持つ私にすら、時々理解不能のパイプの詰まりを感じさせる。

だから、その文化、方言、民族性においても、11カ国の国民が同居しているようなもの、、、と言われる中国大陸の人々とのコミュニケーションやビジネス展開を単一民族のFC展開のようなつもりで考えて行ったら、当然大きな問題にぶつかり、その修正へのエネルギーは莫大なロスを生む事だろう。やらない前から大いに想像できる。

アメリカなどの異民族との同居を扱いなれている国ですら、最近は中国語(北京語)が堪能なアメリカ人担当者をたて、ビジネスへの切り込みを計っており、日本も段々そうなりつつある。大手の会社は中国語の堪能な若者を自社で抱え、又は、現地の日本語が堪能な人々を雇い、通訳に当たらせている。

しかし疑問に思うのは、それらの中国語が堪能な日本の若者が果たしてどの位の経営的ビジネスセンスを持ち、どこまで、他国のトップの経営判断などを理解し噛み砕いて的確に重要な内容を伝えられるのだろうか??、、、。又、中国大陸からの日本留学生を入れている会社も、その相手にする会社の所在地と経営陣の出身地や文化的な背景までその留学生が対応できるかどうかまで細かく配慮しているだろうか?、、、。何しろ外国と同じなのである。一歩故郷をでれば、、、、。

人種のるつぼであるアメリカでも、メキシコ人、アジア人などの区別は容易につき、ビジネスを始めたいと考えるなら、それぞれの言葉も含めかなり対応を変化させる準備が事前に考えられるていることだろう。

だからこそ、日本人の中国ビジネス戦略も単一ではなく、深く地方、地方の文化の違い、言葉の違い、生活習慣の違いを考え、現地の人々の言葉位、簡単な内容なら自身が直接話したり聴いたり出来る位の努力を経営陣もしてから、乗り込むべきなのではないだろうか。台湾の経営陣には日本語を聴いてわかる人々が非常に多い。そして努力している。日本語も英語も、、、。中国もしかり、、、、。

逆に考えてみて、もし、明らかに外国人と思える会社の経営陣が流暢な日本語でビジネスを語ってくれたら、かなり早く、日本の会社の経営陣も心の扉を開けるのではないだろうか。

だから、日本の経営者も今後自社のグローバリゼーションをすすめ、世界的な会社にしてゆくには、このコミュニケーションと文化の問題を無視してはいけない様な気がする。急がば回れ!!まず、ここからの切り込みを考える会社が伸びそうな気がするのはテツママだけだろうか、、、。今後の展開に興味津々、、、。

というか、今後の必要不可欠な要素となるであろう。通訳にまかせればいいなどという安易な考えはもう通用しなくなる時代がもうすぐそこに来ている。