2009年3月28日土曜日

今は昔

昨日、舞踊家であり、女優であった藤間紫さんの訃報に接した。享年85歳とのこと。惜しい人を亡くした感がある。勿論、直接の知り合いではない。しかし、満更縁のない人でもなかった。

彼女のご主人は歌舞伎界の重鎮、市川猿之助さん。奇想天外な宙乗りの技をいち早く歌舞伎に取り入れ、斬新な近代歌舞伎を創造し、歌舞伎界に新風を吹き込んだ功労者であることは、皆様ご存知のことと思う。

私は大学時代、アルバイトで、今は残念ながら廃刊に追い込まれてしまった「主婦の友」という雑誌の編集のお手伝いをしたことがある。

その企画は、当時旬の話題を振りまいていた芸能人の赤ちゃんを12人選び、1月から12月まで掲載するというもので、「赤ちゃんカレンダー」と名づけられていた。私はその中の二人の芸能人のお宅に伺う記者に同行し、雑用をこなした。

その一人のお宅が、当時まだ女優、浜木綿子さんと結婚生活中で、可愛いご長男が産まれて間もない市川猿之助邸だった。写真撮影に対応されたのは、浜木綿子さんのみで、当時のご主人の猿之助さんには、お目にかからなかったが、そのご長男の写真撮影をした日のことは、昨日のことのように鮮明に覚えている。

その後、このご夫妻は別々の道を選択され、市川猿之助さんは、この藤間紫さんと熱愛の末、2000年に正式に結婚されたことを、新聞や雑誌のニュースで知った。藤間紫さんは市川猿之助さんより16歳も年上で、その過去の華やかな経歴とともに週刊誌の格好のネタとなり、かなり当時の新聞、雑誌の紙面を賑わしたような記憶がある。

藤間紫さんは、7歳のときから日本舞踊をならい、18歳で藤間流の家元の内弟子となり、その後24歳年上の家元と結婚。後に意見の食い違いから家元とのお家騒動に発展し、新たな流派を起こして袂をわかつなど、この年代の人としては実に能動的な生き方を選択した行動的な女性の一人。

日本舞踊の世界のみならず、映画、舞台にも進出し、その演技力も高く評価され、芸能界にも多大な功績を残した彼女。私の印象に深いのは、軽妙な演技で楽しかった映画、社長シリーズでのユーモア溢れる明るい演技。しかし、それだけでなく舞台では、「華岡青洲の妻」など数々の重厚な演技でも鳴らした女優。

ご自身の輝かしい活躍のみならず、陰では、市川猿之助さんが脳梗塞で2003年に病の床に伏すまで、彼の独創的な近代歌舞伎の名プロデューサーとしても、素晴らしい才能を発揮されたそうだ。近年は、大恋愛の末結ばれたご主人の看護やお仕事に多忙な毎日を送っておられたとのこと。

2月に肝硬変で入院されてからは、ご主人の猿之助さんは毎日病院に通って、最後まで励まされたとか。舞踊家としても、女優としても、そして一人の女性としても、素晴らしい足跡を残された藤間紫さん。安らかに、、。ご冥福をお祈りします。