2009年4月22日水曜日

気骨の人(1)クリント・イーストウッド

これからしばらく、私の好きな気骨の人シリーズをご紹介!!まったく個人的な好き嫌いの世界だから、多分独断と偏見に満ちていると思うけど、、、、。まず最初の人は、まもなく(4月25日から)監督・主演映画「グラン・トリノ」が公開となる、私の大好きな映画人の一人、クリント・イーストウッド。

私が初めて彼を観たのは、映画ではなく、テレビでだった。まだ、中学生ぐらいだっただろうか。「ローリンローリンローリン、ローリンローリンローリン、ローハイド!!イヤ~~~ッ!!」というテーマミュージックが流れ、長い鞭を振るい、荷馬車(?)を疾走させ、颯爽と荒野を駆け抜けて行く荒くれ者のカーボーイ姿の彼が登場。

7年間続いた人気シリーズ「ローハイド」の中の彼は、まだアメリカの連続ドラマそのものが珍しかった当時の私に本当に鮮烈な印象を与えた。

細面のそれでいて野性味に溢れた若き日のクリント・イーストウッド。彼は、このテレビの演技でイタリアの監督、セルジオ・レオーネに見初められ、「荒野の用心棒」他、立て続けにマカロニウエスタンの主役をつとめ、アメリカの俳優ながら、ヨーロッパでの人気の方が先行した人。

その後出あったドン・シーゲル監督とのコンビで製作された「ダーティハリー」の型破りな刑事役で、人気アクションスターの地位を不動のものとし、「ダーティハリー」は4作品製作され、彼の代表作のひとつとなった。

彼の家系は名家ながら、子供時代、世界恐慌の煽りを受け、貧しい生活を経験。高校卒業後、朝鮮戦争の最中、陸軍に入隊。除隊後、アルバイトをしながらロスアンジェルスのカレッジで演劇を専攻した苦労人。当時、ユニヴァーサル映画と契約したが、端役ばかりで、1959年にCBCテレビの「ローハイド」で人気をはくすまで、下積み生活が長かったそうだ。

マカロニウエスタンでの成功と、その後アクションスターとして人気を不動のものとしても、彼の映画人としての夢は終わることなく、映画制作会社を設立。1971年に初監督作品を世に出した。その後の彼は、自分の信念に基づく作品のみを地味に製作し続け、自身で監督、主演をしつつ、監督としての経験と地位を築き上げていった。

1992年、彼の役者としての基礎を作り上げてくれた二人の恩師、セルジオ・レオーネ監督とドン・シーゲル監督に捧げる為に監督兼主演で製作した最後の西部劇「許されざる者」で、彼はついに映画人の最高峰、アカデミー賞の監督賞、作品賞を受賞。恩師に最高の栄誉をプレゼントした。

私がローハイド以後、再び彼に大きく心を動かされた作品は、全米で原作がミリオンセラーとなり、上映前から話題となった「マジソン郡の橋」のカメラマン役。これまでの彼とはがらりと違う役柄で、たった4日間の人妻との激しい恋に身を焦がし、生涯その彼女を思い続けるという誠実なカメラマンを演じた彼。

最後の別れのシーンは大雨の中、未練を胸に彼女とご主人の乗る車を追いかけ、信号待ちの短い時間後、心の葛藤を振り切るように、交差点を二台の車が右と左に別れていくシーン。夫の運転する車の中で涙する彼女。このとき初めてメリル・ストリープという名女優に大いに泣かされた。その時のクリント・イーストウッドはもう初老の俳優だったが、渋い、心を揺さぶるような名演技が今でも脳裏を離れない。

「ミリオンダラー・ベイビー」では、永遠のテーマ「安楽死」を扱い、「硫黄島からの手紙」と「父親達の星条旗」では戦争の悲惨さを日米両サイドから描いてみせた。そして、今回の作品「グラン・トリノ」では、人種差別と戦争の悲惨さを朝鮮戦争がえりの一人の偏屈な老人の役で描き出した。

もともとは蔑んでいたアジア人の子供との心の触れ合いを描き、最後には偏屈で閉ざされていた心を開き、この少年のために闘う彼。彼の生涯最後の主演作品として選んだストーリーは、アジア人との心の触れ合いを描いた人種差別にピリオドを打つ内容。

彼が映画の中で大切にしているもののひとつは古いフォードの車、グラン・トリノ。そして、ストーリーの中で自分を嫌いぬく息子が販売しているのは日本車という設定も皮肉だ。

人種蔑視の言葉も多く使われ、物議を醸し出しそうだが、彼が最後の主演作品で言いたかったのは、「心さえ触れ合えば、人種の壁は越えられる!!肉親よりも誰よりも心が触れ合う人こそが、命がけで守らなければならぬ、又、守りたい人なんだ!!」と彼はこの映画で言いたかったのでは、、、、、。これは私の勝手な想像だけど、、、、。

今後、彼は監督業は続けるそうだが、この作品で役者としての自分は葬るらしい。そのためにこのようなテーマの作品を選んだとか。まさに彼の役者魂のすべてを注ぎ込んだ力作に仕上がり、感動できる満点評価を受けているこの作品。私も必ず観ようと思っている。

先日日本で、「チェンジリング」という幼児誘拐に敢然と立ち向かう力強い母親の姿を素晴らしいタッチで描き出してくれた彼の作品を観たばかり。今では、常に話題作を提供し続けている彼も、実は日本の黒澤明監督を崇拝しているファンの一人。

カンヌ映画祭で黒澤監督の姿を見つけた彼。人ごみを掻き分け黒澤監督に近づき、ほほにキスをしながら「貴方が居なかったら今の私はいなかった」とお礼をいったのは有名なエピソード。 真面目で誠実で燃えるような情熱を失わぬ彼の率直な態度。

俳優、監督、音楽家(ジャズ)、ビジネスマン、政治家などなど、多くの顔を持つ彼ももうすぐ79歳。2003年イラク戦争勃発時には、敢然と当時のアメリカ大統領、ジョージ・ブッシュ氏の決定に、「両国は極めて重大な過ちを犯した」と批判したり、同性結婚にも独自の持論を展開するなど、常に話題を投げかけている気骨の人。

1953年に最初の結婚をして以来、離婚、同棲、再婚の過程で7人の子持ち。現在の奥さんは、最初の奥さんとの間に産まれた娘さんと同じ歳で、私生活でも華やかな話題を提供している情熱的で魅力的な彼。これからも役者は無理でも、監督として、大いに心に残る素晴らしい作品を製作してほしい。

まもなく公開の「グラン・トリノ」。皆さんお見逃しなく!!!